第3章

第71話 やはり俺の推しは可愛い



「バイトがしたいな」


 俺は家でリビングのソファでテレビを見ている時に、ふと思ってそう呟いた。


「バイト?」


 ソファで一緒にテレビを見ていた妹の凛恵が、不思議そうにそう聞き返してきた。


「ああ、バイト」

「なんでいきなり?」

「部活もやってないから放課後は暇だし、バイトをしてお金を稼ぎたいと思って」


 もともと俺は、この世界に来る前まではバイトをしていた。


 この世界、「幼馴染お嬢様が邪魔をして、普通のラブコメが出来ない」というラブコメ漫画の中に入ってから二ヶ月ほどが経ち、学校の制服も夏服となった。


 二ヶ月の間に起こったことは、俺は一生忘れることは出来ないだろう。


 漫画で一番推しだった嶋田聖に出会い、会った瞬間に告白してしまい……いろいろとあってから、付き合うこととなった。


 本当に前の世界にいた時には考えられないことだ。

 幸せすぎて、この世界が夢でいつか目が醒めるんじゃないかと思って、少しビクビクしてるくらいだ。


 まあそこは置いておいて、俺はこの世界に来る前はバイトをしていた。

 バイトをしていた理由としては、「おじょじゃま」の推しである聖ちゃんのグッズとかを買うためにお金を稼ぎたかったからだ。


 しかし今、この世界に入って聖ちゃんと付き合い、直接推しに貢ぐことが出来る。

 こんな幸せな消費があるだろうか。


 だがバイトをしていない今、全然お金がない。


 これから夏になっていろいろとイベントがあるから、それまでにはお金を貯めておきたい。


「聖ちゃんとこれからも付き合っていく中で、お金は必須だろう?」

「ああ、聖さんのためか」


 妹の凛恵も聖ちゃんとは会っていて、すでに俺と聖ちゃんが恋人関係にあることを知っている。

 ……自分で恋人関係っていうのはなんか恥ずかしいな。


「いいんじゃない。どんなバイトをするの?」

「まあ、普通にカフェとか店員かな」


 前の世界もそんなバイトをしていたし。


「ここらへんの近くでカフェのバイトを募集してるところにしようかな」

「いいと思うよ」

「カフェだと軽い料理とかも学べると思うし、そしたら凛恵にも振る舞えるからな」

「んっ、楽しみにしてる」


 少し口角を上げて笑った凛恵。


 んー、俺の妹が可愛い。

 思わず凛恵の頭に手を伸ばして撫でてしまう。


「な、撫でないで」

「絶対に美味しい料理を作ってやるからな、待ってろよー」


 そんなことをしながら、俺たちはまったりと家で過ごした。



 翌日、学校の昼休み。

 いつもの五人で固まって、机を寄せ合って教室で食べている。


「勇一、今日もお弁当を作ってきたわ。今日のおすすめはハンバーグよ。一口サイズのハンバーグだけど、もちろん手作りよ」

「えっ、マジか、すげえな」

「はい、あーん」

「いや、それはいつも言ってるけど、恥ずかしいんだが……」

「勇一のために朝から頑張って作ってきたのよ? これくらいのご褒美は欲しいわ」

「うっ、わかったよ。あーん……ん、美味い」

「ふふっ、よかったわ」


 俺の前に座り、横でグイグイくる女の子にタジタジになっているのが、この「おじょじゃま」の漫画世界の主人公、重本勇一だ。


 そしてグイグイいって「あーん」をさせた方が、ヒロインお嬢様の東條院歌織。

 いつもながら東條院さんはめちゃくちゃ積極的だなぁ。


「重本くん、私も少しだけど作ってきたから、食べてくれる? 出汁巻き卵なんだけど」

「おっ、いいのか?」

「うん……その、あ、あーん」

「ふ、藤瀬、別に恥ずかしいならやらなくていいんだぞ?」

「や、やるよ! 東條院さんに負けないように! はい、あーん」

「あ、あーん……ん、これも美味いな」


 勇一の隣にはもう一人のヒロイン、藤瀬詩帆が座っていた。

 東條院さんとは勇一をめぐるライバル関係で、負けないように「あーん」で対抗していた。


「ほ、ほんと!? よかったぁ……」

「藤瀬も料理が出来るんだな」

「え、えへへ、最近、ちょっとずつ練習してるからね」


 藤瀬は美味いと言われてとても嬉しそうに笑う。

 彼女はもともと、壊滅的に料理が出来ない系のヒロインだった。


 それを前に東條院さんの家を借りて練習して、人並みに出来るくらいには成長したのだ。


「詩帆、成長したなぁ……」

「聖ちゃ……嶋田、子供を見守る親みたいになってるよ」


 そして俺の隣で親友の藤瀬を見守る女の子、この子こそ俺の彼女である、嶋田聖だ。


 藤瀬の料理下手を直すために一番頑張っていたのは聖ちゃんだから、藤瀬が勇一に料理を振る舞っているのを見て、嬉しくなったのだろう。


 というか危ない、俺が「聖ちゃん」と呼んでいいのは二人きりの時だけだ。


「さっき詩帆に聞いたんだが、今日の詩帆のお弁当は自分一人で作ったみたいだ」

「えっ、それはすごいね。ほんの少し前まで暗黒物質を作っていたのに」

「頑張っている証拠だ、うん」

「本当に親みたいな目線だね……ところで嶋田のお弁当は、自分で作ってるんだよね?」

「ああ、そうだな。ほぼ毎日作ってる」


 聖ちゃんのお弁当を見てみると、とても美味しそうなおかずが並んでいる。

 藤瀬に教えられるくらい、聖ちゃんも料理が上手だ。


「……食べたいのか?」

「うん、食べたい」

「ふふっ、正直だな。まあ、それくらいなら別に大丈夫か」


 俺と聖ちゃんは付き合っているのを内緒にしている。

 だから聖ちゃんは「付き合ってるのはバレない」という意味で、「大丈夫か」と言ったのだろう。


「俺の弁当のおかずもあげるよ。といっても、妹の凛恵に作ってもらったんだけど」

「そうか、凛恵の料理は食べたことないから楽しみだ。卵焼きをもらってもいいか?」

「もちろん」


 聖ちゃんは俺の弁当から卵焼きを取った。


「久村はどれがいい?」

「俺も卵焼きがいいかな」

「そうか、じゃあ取ってくれ」


 取ろうとしようとした瞬間、一瞬躊躇う。


 くっ……勇一のように、「あーん」をしてもらいたい。


 聖ちゃんにしてもらったらめちゃくちゃ嬉しいが、絶対にここでは無理だ。


 そんなことをしてしまえば、俺と聖ちゃんが付き合っていることがバレる。


 そうなると……クラス中の男子から嫉妬の視線が勇一に突き刺さっているが、俺にまで及ぶことになる。


 いや、ぶっちゃけそれは甘んじて受け入れるが、単に聖ちゃんが付き合っているのを内緒にしたいらしいから、バレるわけにはいかない。


「ん? どうしたんだ?」


 俺が急に固まったから、聖ちゃんが不思議そうにそう聞いてきた。


「いや、なんでもないよ。じゃあこれ食べるね」


 止まっていた手を動かし、聖ちゃんが作った卵焼きを手に取る。

 俺と聖ちゃんはほぼ同時にお互いの卵焼きを食べた。


「んっ、美味しい! さすが嶋田だね」

「そちらの卵焼きも美味しいな」

「凛恵に言っておくよ、嶋田が美味しいって言ってたって」

「ああ、ぜひ伝えてくれ」


 その後、俺達はご飯を食べ進めていく。


「そういえば久村、さっきはなんで固まってたんだ?」

「ん? 卵焼きを取る時のこと?」

「ああ、なんか葛藤していたようだが」


 さすが聖ちゃん、あの一瞬でよくそこまで見抜いたな。

 周りにはもう勇一達はいないし、誰にも注目を浴びてない。


 俺は聖ちゃんに少し近づき、彼女にだけ聞こえる声で言う。


「実は、俺も勇一みたいに、聖ちゃんにあーんしてもらいたいと思って」

「なっ……!?」


 俺の言葉に、聖ちゃんが一瞬で頬を赤くして反応する。

 聖ちゃんは周りをチラチラっと見てから、俺と同じように小さな声で話す。


「そ、そんなの、ここでするわけないだろ……!」

「うん、だから諦めて普通に卵焼きを取ったんだよ」

「そ、そうか……まあ、うん、そうだな」


 聖ちゃんはまた周りを見渡し、誰も見てないことを確認してから、さらに小さな声で。


「ふ、二人きりの時に、やってあげるから……司」


 そう言われた瞬間、俺の心臓はドクンッと跳ねた。


 くっ、も、萌え死ぬかと思った……! 危ない……!


 めちゃくちゃ可愛くて嬉しい言葉に、まだ慣れていない名前呼びなんて、俺にトドメを刺しにきているとしか思えない。


「……約束だよ、聖ちゃん」

「あ、ああ、もちろん」


 聖ちゃんは真っ赤になりながら顔を逸らした。


 はぁ、今日も俺の彼女の聖ちゃんが、可愛すぎる……!


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