第70話 あの時の気持ち
東條院家で詩帆の料理修行をした日から二日経ち、月曜日。
嶋田聖は、家を出て通学路を歩いていた。
いつもの通学路、天気もよくてブレザーを着ていると少し暑いくらいだ。
聖の家から学校までの道のり、ちょうど半分に差し掛かったあたりで聖は立ち止まる。
そこで一度、聖は深呼吸をする。
「ふぅ……」
久村司と付き合ってから、そろそろ一ヶ月ほど経つ。
付き合ってから毎週の月曜日は一緒に登校しようということで、道中で待ち合わせをしている。
もう何度か一緒に登校しているので少しは慣れたが、まだやはり緊張する。
それに今日は……土曜日のあの日以降、初めて司と会う。
土曜日のことを思い出すと、聖はいまだに恥ずかしくなって顔が熱くなってしまう。
あの日……聖は、司とキスの寸前までいった。
廊下で物音がしなかったら、おそらく……いや、確実に唇が重なっていただろう。
そこまで考えると、さらに顔が熱くなって、真っ赤になっていることが自分でもわかる。
(くっ、落ち着け……これから司に会うんだ、会う前からこんなんじゃ……)
一度目を瞑って深呼吸をする。
これだけ意識してしまうのは、昨日に詩帆と電話をしたからだ。
詩帆との電話はこれまた急で、電話を出て詩帆の第一声が、
『久村くんとキスしたの!?』
である。
それを聞いた時は思わず自室で「なぁ!?」と叫んでしまった。
どうやら聖と司が準備室に行った時に、東條院と凛恵とそんな話をしていたらしい。
しかも三人が準備室に来た時、自分達がとても気まずい雰囲気になっていたから、キスをしたのだろうと判断したようだ。
『あの部屋に監視カメラがあったからそれを見たんだけど、角度的にしてるかどうか見えなくて、聖ちゃんに直接聞きたいの!』
『ちょっと待て、あの部屋、監視カメラあったのか!?』
『東條院さんの家だからね』
その言葉で納得出来てしまうのがすごい。
あそこでキスをしなくて正解だった。
そんなことを考えていると……。
「聖ちゃん、おはよう」
「ひゃっ!?」
突如話しかけられて、身体がビクッと反応してしまう。
隣を見ると先程まで頭の中で思い浮かべていた相手、久村司がいた。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫だ、おはよう、司」
恥ずかしい声を聞かせてしまい、聖は誤魔化すように早口で喋る。
「きょ、今日は来るのが早かったな。それに凛恵はどうしたんだ? 自転車もないようだが」
「凛恵が今日は日直だったみたいで、朝出かける直前に気づいて。ギリギリの時間だったから凛恵が一人で自転車に乗って先に行ったんだよね」
「そ、そうだったのか。意外とおっちょこちょいなんだな、凛恵は」
「土日を挟むとやっぱり忘れやすいよね、そういうのって」
司の妹の凛恵がいないということで、今日は二人きりで登校することが確定のようだ。
今日は本当なら司と二人きりじゃなく、凛恵と一緒に登校したかった。
もちろん二人きりが嫌というわけじゃなく……あの時のことを思い出して、上手く喋れる自信がないからだ。
一瞬、二人の間に違和感がある沈黙が流れた。
「そ、そろそろ行くか。私達も学校に遅れてしまう」
「そうだね」
司が普通に返事をしてきたことに、聖は少しだけムッとしてしまう。
(私だけ、その、意識しているみたいじゃないか……)
聖はそう思ったが、さすがにそんな恥ずかしいことは口に出すわけにはいかない。
二人はいつも通り、だけど少し違う通学路を歩き始めた。
待ち合わせしている場所から五分間ほど歩いても、他の生徒と会うことはほとんどない。
だから凛恵がいない時は、いつもこの五分間だけは手を繋いで登校しているのだが……。
今日はまだ、手を繋いでいない。
「今日の体育の授業ってなんだっけ?」
「確か、男子はバスケじゃなかったか? 女子は外でテニスとかだった気がするな」
「ああ、そうだったね。バスケってことはどうせ、勇一の独壇場だろうなぁ」
会話自体はいつも通りなのだが、聖は少し違和感を覚える。
いつも以上に司の方から話しかけてくる感じがする。
手を繋がず、司の方からずっと話題を振っていた。
(もしかして、やはり司も先日のことを意識してくれているのか……?)
いや、むしろ意識しない方がおかしいというべきか。
先日の一件があってからはRINEも最低限しかしていない。
どちらもあのキス未遂事件については今まで触れなかったのだ。
司と喋りながらも、すぐ近くにある司の手をチラッと見る。
初めて司と手を繋いだ時も、登校する時も。
手を繋ぐ時は毎回、司の方からしてくれる。
今日も司の方からしてくれるのを待っているのだが、このままだともうすぐ他の生徒がいるところまで来てしまう。
(……私からしたことないというのも、あれだしな。うん、恋人として対等になるには、私からしないというのもおかしいだろう)
そんなことを心の中で呟きながら、聖は意を決して手を繋いだ。
「っ! えっ……」
「……ふふっ、どうした?」
「い、いや、ちょっとビックリして」
「私から、その、手を繋ぐのは変か?」
「いや、変じゃないよ。むしろめちゃくちゃ嬉しい。あと俺の手が六本くらいあれば、その全てで繋ぎたいくらい」
「お前は蜘蛛にでもなるつもりか」
司はいつもの感じで喋るが、少し照れ臭そうにしているのがわかった。
聖の方から手を繋いだだけでこれだけ嬉しそうにしてくれるのであれば、今後もしてみたいと思えてくる。
(まあ……私も、手を繋ぐのは嫌いじゃないしな)
そんなことを思いながら口角を上げてしまう。
「……聖ちゃん、その、この前の土曜日のことなんだけど」
「っ! な、なんだ……?」
まさかいきなり土曜日のことを話されるとは思わず、ドキッとする。
聖は恥ずかしくて顔を真っ赤にしながら、隣の司の顔を見上げたのだが……司は顔を赤くはしておらず、何やら申し訳なさそうにしている。
「その、あの準備室のことなんだけど……いきなり、その、ごめん」
「えっ?」
「あ、いや、ちょっとあれはいきなりすぎたし、その……聖ちゃんの気持ちを考えずに、しようとしてたから」
「っ……」
確かにあの時はいきなりそういう雰囲気になり、聖もすごく驚いた。
頭を撫でられるのが心地よく、身を任せるように司の方に身体を預けていて、目を開けて上を見たら顔がすごく近くて。
そんなに近くで見たことがない司の顔は、意外と綺麗でドキッとして。
真っ直ぐと目を見られて、顔が近づいてきて……。
(っ! お、思い出すな、私……!)
一気にその時の情景を思い浮かべてしまい、顔がさらに真っ赤になる。
「だから、ごめん。さっきまでは聖ちゃんにもしかしたら嫌われたかもって思ってて、手を繋げなかったんだ」
「そ、そうだったのか」
「だから聖ちゃんから手を繋いできてくれて、本当に嬉しい」
そう言って無邪気な笑みを見せる司に、聖は胸を高鳴らせる。
やっぱり司もあの時のことを意識して、不安になったりしてくれていたのか。
不安にさせてしまったのは、聖があの後に恥ずかしくて顔も合わせられずに別れてしまったからだろう。
申し訳なく思いながらもそれだけ一人で考えていてくれて、少し嬉しく思ってしまう。
「そんなことで司を嫌いになるわけがないだろう。私は、その……好きで、司と付き合ってるのだから」
そんな恥ずかしいことを朝から言うのに躊躇いもあったが、司を不安にさせたのは自分だから責任を取って気持ちをしっかり言葉にした。
「聖ちゃん……ありがとう、俺も聖ちゃんのこと大好きだ」
「っ……あ、ありがとう」
司からの言葉も、聖は恥ずかしがりながらも受け止めた。
そのままもう少し歩くと生徒が多くいるところに出るから、繋いだ手を離さないといけない。
「聖ちゃん、そろそろ……」
「ああ、そうだな」
手を離すところで聖は先程の司の発言で、気になったところについて、言っておきたいことがあった。
「その、司……あの時のことを話した時、私の気持ちを考えていなかった、と言っていたな」
「えっ……う、うん、そうだね」
なぜまたその話をするのか、というような反応を見せる司。
だが一つだけ、聖は言いたいことがある。
とても恥ずかしいことだ。
だから周りを見て人がいないことを確かめて。
司の耳元に近づいて、小さな声で言う。
「あの時……私は、目を瞑ったぞ。だから、私の気持ちは、そういうことだ」
すぐに顔を離して距離を取る。
司は何を言われたのか一瞬わからなかったようだが、意味を理解した瞬間に顔を真っ赤に染め始めた。
「えっ、な、えっ……!?」
「い、意味はわかるな! ほら、学校に遅れるから、早く行くぞ!」
惚ける司は立ち止まっていて、急がせるように手を繋ごうとして手を伸ばしかけたが、他の生徒がいる場所だから、それをやめる。
小走りをするように司の前に出て、振り返る。
「ほら、いくぞ……司」
「……ふふっ、敵わないなぁ、聖ちゃんには。一生敵う気がしないよ」
そんな言葉を呟きながら、司が聖の隣に立って歩き始める。
「いつか、するから。その時も、目を瞑ってね」
「っ……わかった」
お互いに顔が赤くなってしまったから、少し立ち止まってから通学路を歩き始めた二人だった。
――――――――――
お待たせして申し訳ありません…。
これにて第二章は完結です!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます