第69話 したのか、してないのか



 藤瀬の料理の修行が、とりあえず一区切りついた。

 二つの弁当箱に藤瀬が一人で作ったおかずとお米を詰めて、立派なお弁当が出来た。


「出来たわね。私が教えたにしてはまだまだだけど、最初の料理を見れば随分上達したものね」

「むしろ本当になんであんな暗黒物質を作れてたのかが謎ですが」

「東條院さん、凛恵ちゃん、本当にありがとう! このお弁当、二人に渡したいんだけど……いいかな?」


 藤瀬の言葉に東條院さんは目を丸くする。


「私達に? 明後日の学校の昼に持ってくる、勇一の分じゃないの?」


 弁当箱が二つあるが、勇一なら余裕で食えるだろうな。

 だけど藤瀬は今回頑張って作ったお弁当を、東條院さんと凛恵に渡すみたいだ。


「重本くんに渡す分は、頑張って一人で作る! 今回のお弁当は、手伝ってくれた二人に渡したいから!」

「……そう、まあそれなら、受け取っておくわ」

「ありがとうございます、詩帆先輩」


 凛恵は素直に受け取り、東條院さんは照れ隠しなのか顔を逸らしながら受け取った。


「聖ちゃんにはその、今日はないんだけど、今度作ってくるからね! 聖ちゃんからもいっぱい料理教わったから!」

「ああ、わかった。楽しみにしてるよ」


 聖ちゃんは自分の子供を見守るような優しい笑みでそう言う。

 その笑みが可愛くて少し見惚れていると……聖ちゃんと目が合った。


「っ……」


 聖ちゃんはすぐに頬を赤くして、目線を逸らした。

 俺もさっきのことで少し気まずいが、あからさまに逸らされるのはちょっと寂しい。


 まあ、しょうがないか……。


 こうして、なんだかんだ色々とありながら、藤瀬の料理修行は終わった。



 その日の夜、俺は家で凛恵と一緒に夕飯を食べていた。

 いつも通り凛恵が作ってくれたもので、とても美味しい。


「うん、今日も美味しいな」

「……そ、よかった」


 最近は毎日言っているので少し言われ慣れて素っ気ない返しだが、ちょっと恥ずかしそうに目線を逸らす凛恵。

 そんな凛恵は、藤瀬からもらったお弁当を食べている。


「藤瀬の作った料理はどうなんだ?」

「うん、まあ普通に美味しいよ。もともと何回か味見してるから、味自体は知ってたけどね」

「そうか、それならよかった。今日はありがとうな、凛恵。いきなり誘ったのにあそこまで手伝ってくれて」

「ううん、私も楽しかったから。歌織先輩も詩帆先輩も優しい人だったしね」

「仲良くなれたみたいでよかったよ」


 原作では東條院さんと凛恵が仲良くしている姿なんて全く見なかったから、会わせる前は少し不安だったが。

 凛恵が勇一に惚れていないだけでこうも原作と違う関係が築けるとは。


 これからも仲良くしてほしいな、凛恵が勇一のことを好きにならないようにしないとだが。


 そのままいつも通り、無言で凛恵の美味しい料理を食べ終わった。


「ごちそうさま、美味かったよ」

「ん、食器は水につけといて」

「いや、俺が洗うよ。その弁当箱も洗って東條院さんに返さないとだしな」

「……じゃあ、一緒に洗う」


 お互いに皿洗いを譲らず、二人で洗うことになった。

 最近はいつもどちらが洗うかという感じになり、一緒に洗うか俺が一人で洗うかとなっている。


 凛恵に一人任せるということは絶対にしない、料理を作ってもらってるのに何もしないというわけにはいかないからな。


 今日は凛恵が一緒にやろうと言ってくれたから、一緒に皿洗いをする。


 と言っても特に喋ることがないなら、いつも通り無言で普通に皿を洗う。

 俺が皿をスポンジで洗い、凛恵に渡して拭いてもらう。


 そんな作業を少し続けていたら、凛恵が喋りかけてきた。


「ねえ、お兄ちゃん……」

「ん、なんだ?」

「……聖さんと、したの?」

「えっ、何が?」

「……キス」

「……えっ?」


 洗っている皿を見ていた俺だが、その言葉で手が止まり隣にいる凛恵の方を向く。

 凛恵も皿を拭く手が止まり、少し恥ずかしそうに俺のことを見上げていた。


「だ、だから、聖さんと、キスしたの?」

「な、なんでいきなりそんなこと?」

「その、歌織先輩の家でお兄ちゃんと聖さんが隣の部屋に行った時に、詩帆先輩達とそんな話をしたから、気になって……」


 なんでそんな話をしていたのかわからないが……いや、藤瀬と東條院さんがいたら、そんな恋愛話をしてもおかしくはないか。


 というかまさか凛恵に直接聞かれるとは思わなかった、意外と理恵もそういうのが気になるのか。


「その、内緒ってのはダメか?」

「……ううん、やっぱり言わなくてもいいよ。ちょっと気になっただけだし、言いづらいでしょ」

「そう、だな。それが助かる」


 やはり妹の凛恵に聖ちゃんとどこまでいったか、など言うのは遠慮したい。

 凛恵もあまり聞きたくないはず……いや、今の質問をしてきたと言うことは、聞きたくないということではないのか。


 だが……多分、求めているような答えは言えないだろう。


 俺と聖ちゃんはまだ、キスをしてないのだから。



 数時間前の、あの時。


 聖ちゃんの頭を撫でている時に、その、そういう雰囲気になった。

 身体が当たるくらい近くで見つめ合い、お互いに黙った。


 聖ちゃんの潤んだ瞳を見つめていると、瞳がゆっくりと閉じられた。


 俺は勇気を出して顔を近づけて、唇を重ねる……寸前。


 廊下で何か物音がしたのだ。

 その後すぐに東條院さん達が来たから、おそらく隣の調理室のドアが開いた音だったのだろう。


 ぶっちゃけ俺にはほとんど聞こえないような音だったのだが、聖ちゃんは耳が良いからか異常に反応を示した。


 聖ちゃんの首の後ろあたりに手を回していたからわかったけど、めちゃくちゃビクッとしてた。


 そして聖ちゃんは顔を真っ赤にしながら俺の手からすり抜けて、一瞬にして距離を取ってしまった。


 俺もその反応を見て正気に戻り……めちゃくちゃ恥ずかしくなり、聖ちゃんの顔が見れなくなってしまったが。

 というか俺、本当に、あともうちょっとで……あの聖ちゃんと、キスを……!


 くっ、正直言えば、めちゃくちゃしたかった……!


 したくないわけがない、めちゃくちゃ好きな聖ちゃんとのキスだぞ。


 ただタイミングが悪かったんだろうなぁ、それと場所も。

 あともう少し早くキスをする雰囲気になっていれば出来たと思うし、場所が東條院さんの家じゃなければ、邪魔が入らずに出来ただろう。


 はぁ、もったいない……といえばいいのか。


 だけどいきなりすぎてビックリしたし、聖ちゃんも嫌がってなかった……かな?

 どうなんだろう、付き合って一ヶ月も経ってないから、ちょっと早計だったかもしれない。


 き、嫌われてたらどうしよう……。


 ただ、あの時の聖ちゃんは――。


「死ぬほど可愛かったなぁ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る