第18話 結婚問題
その後は忠行、晴明、保憲が順番に算術の解き方を教えてくれることになった。保憲の教え方は少し意地悪だったものの、泰久は何とか基本的な問題は自力で解けるまでになっていた。
「凄い凄い。二週間でかなりの上達じゃないか」
最後に試験をしてみようと解かされた五十問をきっちり満点とって、保憲が感心したように褒めてくれる。晴明はいつも通りに不機嫌な顔ながらも、ようやく基礎が終わったとほっとしている。
「数字を操るってのは大変ですねえ」
しかし、泰久はくたくたでそれどころではない。師匠が一気に三人になったということは、監視の目が三倍になったということだ。全く手の抜けない二週間だった。
「も、もう、鶴と亀の足の数も、旅立った人の歩く速度も、流れ出る水の量の計算もしなくていいですか」
おかげで泰久はそう訊いてしまったが
「何を言っているんだ。今までやったことを基礎に次の実践的な問題を解くんだよ」
と晴明に冷たく言われてしまう。
ですよね。これで終わりだったら算術家と変わらないですもんね。泰久はぶすっと頬を膨らませていた。
「まあまあ。机に齧り付いてばかりいるのも飽きるだろう。ここらで俺たちの仕事を手伝ってもらおうか」
しかし、保憲の言葉に泰久は大丈夫ですと首を横に振っていた。二人の仕事とはこの間山のようになっていた文であり、そこに書かれているのは呪殺依頼やら呪い依頼やらだ。そんな手伝いは出来るわけがない。
「まあまあ。この時代の姫君に興味はないかい?」
が、保憲がそう簡単に逃がしてくれるわけがなかった。がしっと肩を掴んで、そんなことを訊いてくる。
「ううん」
そう言われても、泰久の中のこの時代の女性像は『源氏物語』や『落窪物語』から得たものだ。気にはなるが、どうなんだろうとも思う。取り敢えず、泰久が思うことは、何時の時代も女性は強いということくらいか。泰久の母も気丈な女性で、常にしゃんとしている人だ。
「若いくせに枯れているなあ。そろそろ結婚を考える年齢じゃないのかい?」
あまり芳しくない反応に、保憲はどうなんだと泰久だけでなく晴明まで見る。
そう言えば、晴明はまだ結婚していないようだ。安倍邸には益材のお手伝いをする女房がいるくらいで、女性が少ない。
「晴明様は御子を二人作られますから、そろそろですかね」
泰久は確か
「ふ、二人も」
それに対し、晴明は非常に嫌な顔をしている。あれ、この当時は結婚に消極的なのか。
「諦めなよ。こうして子孫が時空を越えてやって来たことは天啓だ。自分の代で安倍家が終わることはないんだよ」
それに対し、保憲はくくっと面白そうに笑って言う。
「あー。何となく察しました」
そしてその二人の反応で、泰久は納得することがあった。
晴明は母方の仕事を引き受ける形で陰陽寮に入っている。つまり、このままでは貴族の家であった安倍家は、そういう仕事をする家として認識されてしまう。それを晴明は避けようとしていたのではないか。
ところが、ひょっこり泰久が現われたことで、それは不可能ということが解ってしまったわけだ。しかも陰陽道を取り仕切る立場にまでなることを知ってしまい、より複雑な気持ちなのだろう。
「察したのならば黙っていろ。これ以上、この先の世で起こることを言ったら、ぶっ飛ばすからな」
晴明はぎりぎりと奥歯を噛み締めながら言う。本当にぶっ飛ばされそうなので、泰久は慌ててコクコクと頷いた。
「さて、安倍家の将来のためにも、姫君見物に行くよ」
「いや、絶対に違いますよね」
「うちに依頼してくるような姫なんてごめんです」
保憲の謎の号令に二人でツッコみつつ、結局は三人揃って依頼人の元へ行く羽目になるのだった。
とはいえ、この時代の姫君は御簾の奥にいて、さらに扇で顔を隠しているのが当たり前だ。見えるのは
白粉を塗った顔に長い髪。概ね予想通りの姿がそこにある。美人なのだろうが、気が強そうだなというのが、泰久の感想だった。ちなみにその女房は山吹と呼ばれている。
「今日はこのことで、暦博士様に相談したいのです」
山吹はそう言って保憲に文と木の板のようなものを渡す。それを保憲は恭しく頂き
「中を拝見しても宜しいですか」
と御簾の中にいる姫に伺いを立てる。
「大丈夫です」
しかし、答えるのは山吹だ。
泰久は面倒臭くないのかなと、そんなことを考えてしまう。流石に貴族文化で生きているとはいえ、八百年後ではここまで厳格ではない。
「では」
保憲は山吹にではなく姫に向って頭を下げてから、文を開いた。そして僅かに眉根を寄せる。
「ほう。なかなか困った内容ですね。それにこれ、ですか」
保憲はそう言って一緒に渡された木の板を見る。それは不格好に削られた
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