第19話 人を呪わば穴二つ

 呪いに使われる物としては、凄く王道な物だった。ということは、誰かがそういう呪術的なことを売りにしている陰陽師に依頼したということか。

 真っ当に学問として暦道や天文道をやって、さらに呪いを人の手で起こす二人を見ていると忘れがちになるが、この時代に呪いが全くなかったわけではない。いや、むしろ盛んに行われていたはずだ。

 泰久はちらっと前にいる保憲の顔を見るが、優雅に微笑んでいるだけだ。横にいる晴明に至っては塑像のように表情がない。

「相手の方は一体どのような御方ですか?」

 わざわざ文まで付けて届けてきたのだから解っているだろうと、保憲は山吹を見る。

「姫の元に通われる中将様が、前に通われていた人のようですわ。中将様の心変わりを姫のせいだと思っているようでして、困ったものです」

 山吹はふんっと憤慨を露わに言う。

「なるほど。了解しました」

「では、受けてくださいますか」

「もちろんでございます」

 保憲はそう言うと、文と人形を押し頂いて退出したのだった。



「自作自演でしょう」

「だろうね」

「えっ、そうなんですか?」

 さて、依頼をしてきた姫君の家から保憲の家にやって来たところで、晴明が不快感を露わに自作自演と断言した。それに保憲も同意するものだから、泰久は驚くしかない。

「要するに、問題の中将様が別の姫に心変わりしてしまったんだよ。でも、自分が呪ったら体裁が悪いから、呪われたことにしたわけだ。陰陽師がそのまま呪ってくれれば万々歳と思っているんだろうね」

 保憲は人形を床に無造作に放ると、面白いよねとくすくす笑っている。

「面白くないですよ」

 晴明はまた面倒な依頼を選んでと額を押えている。

「ええっと、ど、どうするんですか?」

 そんな二人を見比べて、泰久は引き受けちゃったけどとおろおろしてしまう。

「そりゃあ、簡単だよ」

 しかし、保憲は全く動じていない。それどころか、通りがかった女房に酒を用意するように頼んでいる。

「か、簡単」

 それにどういうことでしょうと泰久は保憲を見る。すると、保憲は意地悪くにやりと笑った。

「人を呪わば穴二つって言葉があるだろ」

 そしてそんなことを言ってくる。

「あ、ありますね」

 泰久は頷きつつ、何だか嫌な予感と後ろに下がってしまう。

「あらあら、また晴明で遊んでいるのですか?」

 と、そこによく通る女性の声がした。

「ああ。俺のいもの君だ」

 保憲が意地悪な笑みから普通の笑顔に戻ると、御簾の向こう側にいる女性について教えてくれる。

 妹の君。この時代、夫婦のことを妹背いもせの仲というので、妻ということだ。

綾子あやこ、今日は晴明だけでなく、晴明の縁者の泰久君もいるんだよ」

 そして保憲は御簾の中にいるのが晴明だけではないと教えた。

「あら。そうだったんですね。では、料理は三つご用意しますわ」

 綾子と呼ばれた妹の君は、面白そうに笑うと、そこですぐにいなくなった。さらさらという衣擦れの音がして優雅だ。先ほど、男女関係の複雑な事例を考えていただけに、ちょっとほっとしてしまう。

「我が妹は、色んなことに敏感でね。何やら不穏な話をしているなと察知してやって来たんだね」

 保憲は面白いよねえと笑っている。いやはや、夫婦揃って凄い。っていうか、保憲はもう結婚していたのか。

「お子様はもういるんですか?」

 泰久はひょっとして保憲の子の光栄みつよしに会えるのだろうかと訊く。

「ああ、今年で三つになる。ところが、父上のところにも子どもが生まれてね。困ったことに叔父が年下という事態が発生してしまったよ」

 ははっと笑うが、忠行、意外と旺盛なんだなと泰久はビックリしてしまう。と、そこで賀茂家の家系図が頭の中に浮かんだ。

「ああ。そのお子様は後に」

 しかし、あまり先の世のことは言うなと晴明から睨まれる。泰久は首を竦め、後の慶滋保胤よししげのやすたねだなと一人で納得することになった。

 保憲の弟であるが、文章道もんじょうどうに進んだ人だ。泰久が生きる時代にも保胤が記した『日本往生極楽記』や『池亭記ちていき』が伝わっている。

「ふむ。弟も後の世に名を残すのか。これは面白いね」

 そしてそんな表情から何か凄いことがあるんだなと、保憲は面白そうに笑っている。この人は別に未来のことを知りたくないとは思っていないらしい。

「それはいいとして、今回の依頼はどちらにも呪を発動させるということですか?」

 晴明はイライラと話を元に戻した。こちらは過剰なくらい未来の話が嫌らしい。泰久は予想外だなと思いつつも

「依頼された姫にも、何かをするんですね」

 と訊き返す。

「そういうこと。自分だけの、それも独りよがりな願望だけを叶えようなんて駄目だってのは教えておかないとね。ついでにこんな面倒なことに巻き込んでくれた中将にも、お灸を据えておかないとね」

 保憲はくくっと、本当に楽しくて堪らないという感じで笑う。

 この人、薄々気づいていたけれども、かなりいい性格をしている。泰久は呆れてしまった。

「なるほど。それが解っていたから、三人必要だったということですね」

 そして横にいる晴明も、やれやれという顔をしていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る