第5話 さすがに零点は・・・・・・

「れ、零点を取るって、さすがに、ええっと。はあ」

 どうやら想像していたことと全く違うという事実に、零点は避けられない気がする泰久だ。しかし、なぜ自分の回答が完全に間違いだったのか。

 物の怪を捕まえると言った時点で侮蔑された。ということは、そういうことは全くしていないってことなのか?

 じゃあ、なんでそういう伝承が残っているんだよ。

 解らない事だらけで頭が混乱してくる。

 泰久が想像と全く違って目を回していると、晴明の屋敷に到着した。

「おおっ、戻ったか」

 だが、簀子縁すのこえんを歩いていると、泰久は思いきりぎゅっと誰かに抱き締められる。

「ぎゃああああ」

 抱きついてきたのはオッサンで、泰久は絶叫。

「父上、抱きつくとは非常識ですよ」

 晴明はやれやれと首を振っている。ええっと、この抱きついてきた狩衣のオッサンが、話題の晴明の父なのか。

「悪い悪い。晴明はるあきらの子孫だって。よく顔を見せておくれ」

 にこにこと笑う四十代くらいのオッサン、もとい安倍益材は僅かに泰久から離れると、どれどれと顔をじろじろ見てきた。

 似てるのかな。泰久も同じようにじろじろと見てしまう。

「子どもが増えたみたいだなあ」

 益材は納得したのか、にこにことそんなことを言う。それに晴明が額を押えるのが解った。

「父上、余所で余計なことは言わないでくださいよ」

「も、もちろん」

 ぎろっと晴明に睨まれ、益材はコクコクと頷く。親子の力関係が謎だ。っていうか、晴明の父親も想像とは全く違って、何だか明るい人だ。

「ともかく宴だな。そうだろう、晴明」

 益材は気分を切り替えるようにぽんっと手を叩くと、屋敷で働く女房を呼んだのだった。



「それでは、安倍家の発展を祈願して」

「そういうの、いいです」

 音頭を取る益材を無視して、晴明はぐびぐびと酒を飲み始める。その姿は飲まなきゃやっていられないという感じだ。

「ま、まあ、泰久も飲んで」

 益材はいつものことなのか、眉を下げた情けない顔になると、泰久に酒を勧めた。その初めて見る情けない顔に、なるほど、似ていると認めるしかない泰久である。

「ありがとうございます」

「いやいや。それにしても八百年後の世の中か。今とは全く違うんだろうねえ」

 益材はをつまみに食べつつ、興味津々と泰久を見る。

 ちなみにその蘇を泰久は見たことがなかった。それって何ですかと訊ねる。

「あれ、知らない? 牛の乳を固めたものだよ」

「へえ。牛の乳を」

 泰久ももらって食べたが、匂いが独特でびっくりした。食感もねっとりしている。

「か、変わった味ですね」

「ふむ。君の時代じゃ珍しいのか」

「ええ」

 こうして興味が現在の食事にずれ、晴明はほっとしていた。

 ただでさえ、八百年後に安倍家が陰陽道と天文道を、賀茂家が暦道を独占するという話だけでも心臓に悪い。今はまだ、この二家は新参者でしかない。それがいずれ独占状態になるなんて、他の者の耳に入ったらどうなることか。これと同じく、他にも聞きたくない内容が山ほどあるはずだ。

「先は知らないに越したことはない」

 晴明はワイワイと盛り上がる二人を横目に、そう心に誓うのだった。



 翌日。

「・・・・・・」

 泰久は平安時代の陰陽寮にやって来れた感動が吹っ飛ぶほどの事態に陥っていた。

 ま、全く解らない。

 零点を取ると晴明に断言されていたが、まさかここまでとは。

 一体何をどうすればいいのだろう。解らない。

 算木を使ってもいいというが、そもそも、占い以外で算木を使ったことがない。この問題にどうやって算木を使えばいいのか、その基本的なところが解らないのだ。

「固まってるね」

「そうですね」

 見事に筆が動かない泰久に、様子を見ていた保憲は苦笑。晴明は予想通りと溜め息だ。

「もうちょっと手前の段階がいいかな。試験問題を変えよう」

 このままでは泰久が何も知らないという確認にしかなっていないと、保憲は予め用意しておいた、泰久が現在陰陽博士だということを一切忘れて基礎だけを抜粋した問題を置く。

「ええっと」

「こっちなら解けるでしょ」

 にこっと笑う保憲は、解けなかったら大問題だよと言外に臭わしている。泰久は慌ててその問題を見て、まだ解るところがあるとほっとする。

「北斗七星のそれぞれの星の名前は解ります」

「よしよし。じゃあ、全部解いておいてね」

 笑顔を保ったままそう言った保憲だが、これはいよいよ陰陽師という職業の危機だと気づく。

「一体、八百年後にはどうしているんだろうね」

 保憲の思わずの確認に

「権力の多くは武家に移っているそうです。ですので、まあ、お遊びなんでしょう」

 晴明はそれだけ答える。

 なぜそれで陰陽博士がやっていけるのか。それは儀礼的になってしまったということと関係しているのだろう。つまり、形だけでいいわけだ。具体的に何かを解決することも、何かをすることもない。そういう状態になってしまっているのだ。

「なるほどね。まあいいか。晴明、あれの丸付けが終わったら、基礎の基礎から教えてね」

「はあ」

 結局は俺が教えるんだ。晴明は溜め息が出たが、致し方ない。晴明がこうやって陰陽寮に出入り出来るようになったのも、保憲のおかげだ。命令の多くは頷くしかないのである。

「く、悔しい。なんで、なんでこんなにも解らないんだ」

 それに、泰久が泣きながら問題を解いているのを見たら、あれもあれで苦労を背負い込んでいるのだろうとは思う。

「でも、酷いよね」

 ちらっと覗き込んだ問題用紙と解答用紙を見比べ、晴明は思わずそう溜め息を吐いてしまうのだった。

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