第4話 2
気がつくと、私はノートをひざの上に載せたまま部屋の中に座っていた。
ノートに目を落とすと、白紙だったところに字が書かれていた。
『デモが終わると、胸の高まりが急速に冷えてゆく。あのジグザクデモの中で感じた、まわりの学生たちとの一体感は何だったんだろう。今は何もない。一人である自分がなんともやりきれず、町を歩いた。急に将軍塚から京都の町を見下ろしてみたくなった。展望台で、ここから飛び降りてしまえば何も考えずにすむかなぁなんて、ちょっと考えていると、不思議な少女に出会った。どこから来たのか、どこへいったのか?
私の考えや行動が本当に正しいものなら、遠い昔から国家権力に搾取された民衆の声が聞こえるかもしれないと、あわい期待を抱いていたのかもしれない。私は、出会った少女にそんな質問をしてみた。すると、そんなもん聞こえないよと、その少女に軽くいなされた。当たり前だ。そんなものこの無知無力の小市民である私に聞こえるはずがない。小さい私。極小の私。当たり前のことが当たり前だと思えた瞬間、気持ちが軽くなった。
それにしても、不思議な少女だったなぁ。私の後ろをついてきていると思ったのに、ふりむくと影も形もなかった。ひょっとして、あの女の子は私の子供時代の幻だったのだろうか? まだウブで何も知らされなかった頃の私。親の期待に答えるように自分の意志を覆い隠し、ただ、親の顔色だけを見ていた。いい子になろういい子になろうとしていた私。いい子のはずの私が、今は酒とタバコにおぼれている。(おぼれてるって事、自覚してるんだ。ハハハ……。私は偉い!)
人生はうまくいかないもんだね。母は人から後ろ指をさされるようなことはした事がないという。今の私を母に見せてみたいもんだ。見せられないくせに、まったく、何を強がってるのか……』
あれ? と私は思った。これは、さっき私が経験したことだ。どうして?
私は、もしかしたら、と白紙のページを探した。
と同時に、「美弥ちゃーん」とよぶおばあさんの声がきこえた。
しまった。日記を読むのに夢中になりすぎておばあさんが帰ってきたことに気づかなかった。
私は息をひそめてじっとしていた。いや、からだが固くなって動けなかった。
「こんにちは」
表の方で声がした。お客さんだ。
「はい」
おばあさんが返事をした。戸口に引き返したようだ。
「回覧板、持ってきたえ」
「おおきに」
「なんや、このごろぶっそうな事件がおこってるんやて。ここらへんは年寄りが多いさかい、気いつけなあかんな。そや、そや、うらの中上さんとこも変な電話がかかってきたらしいえ」
隣のおばさんの声が続いている。おばあさんもときどき「へぇ」とか「はぁ」とか相づちをうっている。
私は、静かに階段をおりていった。ギシギシいう音にびくびくしながら、おばあさんには聞こえませんようにと祈りながらおりた。そして、ずっとそこに座っていたかのようにテレビをつけ、ちゃぶ台の前に急いで座る。
近所のおばさんとのおしゃべりが終わって、おばあさんが回覧板を持って暖簾をくぐってきた。
「あ、びっくりした。美弥ちゃんいつからそんなとこにいたんえ?」
「前から……」
「へぇ、そうか。ほんま、美弥ちゃんは静かな子やなぁ。もっと、存在感ださな、損するような気がするわ」
「おばあさん」
「なんえ?」
「学生運動って何?」
「えっ、あんた、二階にあがったんか?」
おばあさんは、さっと二階を見た。
私は、ぶるぶると首を振った。どうしておばあさんには、学生運動と二階がすぐに結びつくんだろう。やっぱり、何かあるんだ。
「二階と学生運動と関係があるんですか?」「へ、そやな。何でそんなこと思たんやろ。あほなおばあちゃんやな。そやけど、何で、学生運動なんてことを聞くのんえ」
「テレビ、今、テレビでやってたの。機動隊とか……。機動隊って警察でしょう? よくわからなくって……」
「ああ、なつかしのフィルムみたいなんをやってたんやな。このごろなんやそんな番組おおいなぁ。学生運動なぁ。私もようわからんかったわ。あのころなぁ……。私は高校生で……、もちろん、意識の高い同級生には学生運動、学生運動、いうてたひともいたけどなぁ。私にはようわからんかった」
おばあさんは、ためいきをついた。
「今から思うと変な時代やったなぁ。大学生さんがそのころの学校や社会に満足できひんで改革しなあかんと思わはったんやろな。管理社会の象徴が大学やということやったんやろ。勉強もせんと、デモしたり、学校封鎖やらやらはって、もう、大学は授業も何にもできひんかった。それをまた何とかしようとして機動隊が学校に入ったとか入らんかったとか。けがした人やら、死なはった人もいやはったとか……。警察とけんかしてどうしようというのやら……。けど、そんな運動する人は純粋やったんやろなぁ、他のことは見えんようになってしもたんやろなぁ……。そんなことで、社会が変わると本気で思たはったんやろうなぁ」
おばあさんが、急に私の手を握った。
「あかんえ、美弥ちゃんは、そんな運動したらあかんえ」
「私が?」
「そうや」
「どうして?」
おばあさんは私の質問には答えなかった。そして、
「女の子はな、頭でっかちになったらあかんのや。美弥ちゃんのママがそうやろ。勉強できて、仕事ばりばりしてても、ちっとも幸せそうやない。二階に女の学生さんがやはった時も、勉強もせんで、警察と争うやなんてなぁ……、私には考えられへんかった」
と悲しそうな顔をした。
「ほんまに二階上がってへんか?」
おばあさんがもう一度聞いた。
私はどきどきしながら、上がってないと首をふった。
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