第4話 1
新しい学校へ、おばあさんといっしょに挨拶にいった。小さいビルの間に立っている小さい学校。古いタイル張りの壁が時代を感じさせる校舎だった。
校長室に通され、湿っぽいソファーに座らされた。
校長先生も、担任の先生も女の先生だった。おばあさんは、一通りの挨拶が終わるとため息をついて話し出した。
「この子のおじいさんが早くに亡くなりましてね。はぁ、私の連れ合いですけどね。私はこの子の母親を一人で育てたんです。あんな勝手な子に育てたつもりはないのに……。大学は東京へいきます。っていうて、一人で決めて、一人で行ってしまうような子でした。親が勝手なもんでこの子も私も苦労します」
おばあさんは肩をおとした。
「そうですか、それはたいへんでしたね。でも、おばあさん、娘さんにもいろいろご都合があるのでしょうから……。それに、美弥さんは苦労だなんて思っていないかもしれませんよ。良いお嬢さんに育っていらっしゃるじゃないですか」
校長先生が苦笑いしながら、おばあさんの愚痴を止めてくれた。
「いや、美弥はええ子ですよ。ほんまに、親に似んええ子です。よろしくお願いします」
おばあさんは深々と頭をさげた。
クラスは、みんなで一七人。私を入れても一八人だそうだ。ちょっと頭がくらくらするくらい少ない人数だ。一年生の時から同じメンバーで同じクラスだったらしい。私の居場所はあるんだろうか?
「美弥さんやったら、きっとすぐにクラスの仲間と友だちになれると思います。始めはちょっととまどうかもしれへんけど、仲ようやろうね」と担任の先生。
すごい京都なまり。クラスのみんなもこんな話し方をするのだろうか。
この先生や校長先生は、私のことをいい子だとか、クラスの人たちと仲良くできるといっている。私は、笑い出しそうになっていた。先生たちは、私のどこを見ていっているんだろう。私のことを少しも知らないくせに。
先生が私を見てにっこり笑った。私はあわてて先生から目をそらし、うんとうなずいた。
おばあさんの留守をねらって、また二階へ上がった。
つま先立ちするだけで、天袋のなかのノートに手が触れる。
だれが書いたか分からない日記。訳の分からない単語がつらねられている日記。
私は、訳の分からない言葉を目で追って、次々とページをめくった。
『サケ、タバコ、ナゼノム? ヒトリデサビイシイカラデショウ?』
私にもわかる言葉で終わっている。
学生運動って淋しいものなのかしら。学生がみんなと一緒に運動するなら、運動会みたいで楽しい感じもするのに……。学園紛争、学園ドラマ? 何か争ってるのよね……。
次のページをめくってみた。何も書いていない。ノートの回りが茶色になっているだけだった。
私は、ふっと顔を上げた。一瞬何が起こったか分からなかった。ただ、さっきと違うのは、辺りが暗くなっていた。
何度かまばたきして、始めて私は夜の丘の上にいることがわかった。目の前には、遠くの町の灯りがちらちらしている。涼しい風が吹き抜けていく。どうしたんだろう? ここはどこなんだろう? 私は夢を見ているのだろうか?
「子供がこんな時間。こんなところで何しているの?」
声がした。振り返ると女の人がいた。背は私よりずいぶん高い。けれど、Tシャツから出ている腕がとても細かった。ジーンズもぶかぶかな感じがする。髪を短く切り、太い眉、お化粧はしていないようだった。手には火のついたタバコを持っていた。声を聞かなかったら男の人かと思ったかもしれない。しかし、言葉が京都弁ではなかったからか、私は親しみをおぼえた。
「ここは、どこですか?」
私は聞いた。
「将軍塚だよ。知らないで来たの?」
私はうんとうなずいた。
「どこから来たの?」
「おばあさんの家から」
「そういうことじゃなくって、ええっと、まあいいか。それじゃ、そのおばあさんの家はどこ?」
「京都」
「ああん。まったく、ばかじゃないの」
お姉さんはイライラして、頭をガリガリかいた。
「ごめんなさい。京都に来たばかりで、よくわかんないの」
私は、少しお姉さんが恐くなった。
「しかたないなぁ。結局は、おばあさんとはぐれて、迷子になったというわけね」
「そ、そういうことかなぁ」
私にも分からないんだから、そういうことにしておこうと思った。
「もう少し、ここにいたかったけど、迷子じゃしかたないなぁ。交番にでも届けるか。時間も遅いしなぁ。ああ、ああ、やっかいだなぁ」
お姉さんは、持っていたタバコを一服吸ってから捨て、足でもみけした。
「タバコ、そんなところに捨てちゃだめなんだよ」
私は、お姉さんに負けないように大きな声を出した。
「うん? えへへへ……、ごめん」
お姉さんは笑った。笑うとえくぼができてちょっとかわいい。恐いイメージがふっと飛んでいった。
「ちょっとどいて」
私はお姉さんを押した。お姉さんのはく息はお酒くさかった。足の下にあるタバコを拾って、そこに置かれている半分壊れた灰皿に捨てた。
「いい子だね。表彰もんだね」
まだお姉さんは笑っている。
「タバコを吸うんだったら、灰皿持ってないとダメじゃない」
ママは、いつも携帯用の灰皿を持っていた。外でタバコを吸うときには、私に灰皿を見せて、「道に吸い殻を捨てるのはエチケット違反。これは、エチケットよ」といっていた。そんなにまでエチケットをいうなら、たばこを止めればいいのにと私はいつも思っていた。
「まあね。ごめんなさい」
お姉さんは、頭を下げると同時に、ふらっとふらついた。
「あぶないなぁ」
私は、お姉さんのからだをささえた。
「ごめん、ごめん」
「お姉さんは、ここでなにしているの?」
「お姉さん? 私のこと? 女だってわかった?」
お姉さんは、嬉しそうに笑った。
当たり前じゃない。こんなことでこんなに笑うのは酔っぱらってるからなんだ。
「お前を待っていたんだ」
人差し指を私の方に向けて、芝居がかった声でお姉さんがいう。
やっぱり酔っぱらってる、と私は顔をしかめた。
「うそだよーん」
お姉さんは両手を広げていった。
「わかってるよ。酔っぱらい」
「見てごらん。ここからは、京都の町が見渡せるんだ。平安の都を作ったのは、だれだ?」
お姉さんは、私の目の前にもう一度指をつきだした。
だれだっけ、学校で習った気もするけど、私はこたえなかった。
「桓武天皇だよ。知らないのか? 勉強不足だなぁ。もっと勉強しないと、国家権力に搾取されるぞ」
そういうと、お姉さんは丘の端まで走っていった。
「あぶないよ」
私は、お姉さんの背中に声をかけた。
「ここへ来て、千二百年間の歴史の舞台となった京都の町が見たかったのさ。数え切れない人の嘆き苦しみが聞こえるだろう。国家権力に押しつぶされた名もない人の叫び声が……。私は腐った日本の社会を変えるんだ」
「叫び声なんか、少しも聞こえないよ」
私は、叫んだ。そして、訳のわかんないこというおねえさんにちょっと腹を立てていた。
「うん? そうだよね。聞こえっこないよね。聞こえない。聞こえない。何にも聞こえない。私には聞こえない。ちっぽけな私には……。わかってるんだ。もう、ずっと前からよくよくわかってんだ」
お姉さんの肩がカクンと落ちた。しばらくして、私の方にふり向いたお姉さんはもう一度、にっこり笑った。
「あなたに会えてよかった。ありがとう」
深々とお姉さんは頭を下げている。
急にお礼をいわれても、私は何がありがとうなのかもわからない。
「ついておいで、交番まで……。ううん。交番までは送っていけないな。警察はまずい。近くまで送っていってあげるわ」
私は、ここにいてもしかたがないので、お姉さんの後ろをついて木の茂った細い道をくだっていった。
ふっと、冷たい風がふきすぎた。
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