第2話


 私は、おばあさんが用意してくれた離れの部屋に自分の荷物をおいた。今日からここが私の部屋になる。この部屋には、エアコンが取り付けられていた。以前、ママの部屋でもあったこの部屋に、ママが私のためにつけてくれた。


「京都の家で冷房がなかったら、暮らしていけないもんね」といって、おばあさんの反対をおしきってかってにつけた。エアコンがついていなかったら、この部屋のガラス戸も葦戸に変えられていたんだろうと思う。


 私は、エアコンはつけずにガラス戸を開けたまま、荷物を解きはじめた。せっかくママが付けてくれたエアコンだけど、私だって、この部屋には似合わないのがわかる。暑くてたまらない時にだけつければいい。


 ダンボール箱に入っていた勉強道具や衣類を、古びた木の机とタンスにかたづけた。この木の机は、昔ママが使っていたんだと思って、そっと手をおいた。ふっと、ママの手をさわっているような感じがした。あたたかくてやさしい。


 ママのいったことが思い出される。


「美弥。一人でもだいじょうぶだよね。おばあちゃんもいるし。おばあちゃんはママのことは好きじゃないかもしれないけど、美弥のことは大好きだからね。淋しくなったらいつでもママに電話すればいいからね。はいこれ、新しいスマホ。これは、ママと美弥のホットラインだから、いつでもかけてきてね」


 私は、ママから渡されたスマホをポケットから取り出した。ママに今着いたと連絡しようと思い、ママのスマホを押した。耳にくっつける。


 何回かの呼び出し音の後に「お留守番サービスにつなぎます」と機械的な声がした。


 私は一息ついて、ママにラインを送った。

『今、無事につきました』

(ママはこれをいつ見るんだろう……)


「美弥ちゃーん」

 台所からおばあさんの声が聞こえた。

「はーい」

 私はスマホをポケットの中に入れ、縁側に出た。

「晩ご飯のおかず買いに行ってくるさかい、留守番しててや。ほんで、なんかこうてきてほしいもんあったら、ゆうといて」

「こうて……」

 私はつぶやいて、ああ、買ってきてほしいものかと、理解した。


「なにもありません」

「ああそうか。ほな行ってきます」

 カラカラと下駄の音がした。


 私は、ママにスマホが繋がらないぐらいで落ち込んでいられないと思った。言葉一つでも、何をいってるのかよくわからいことがあるんだ。アクセントの違いでまるで外国語を聞いているような感じになることもある。ここで暮らすってことは、こういう事になれて行かなきゃいけないんだ。


 そう思いながらも、この先のことを考えると、なんだか気が重くなる。学校でもクラスの人たちは京都弁を使っているのだろうなぁ。私は、みんなの言葉がわかるだろうか。考え方や、感じ方は同じなんだろうか。本当に、みんなとうまくやっていけるのだろうか……。


 もう一度、ポケットをさわる。スマホを握りしめると、他に細長い物が入っているのに気がついた。


 ああ、そうだ、と私は思いだした。京都駅のドッラッグストアーで買った小さなハサミだ。


 ポケットからハサミを取り出した。先がとがっていて小さな物を切るにはちょうどいい。そう、私は、こんなハサミがほしかったんだ。


 ママからハサミを取り上げられてから、私はずっとこんなハサミをほしいと思っていた。ママにそれをいうと悲しませる気がして、何もいわなかった。けれど、もうママとはいっしょに暮らすわけではないんだからと、京都駅についてすぐにこれを買った。


 紙を切るために。


 私は、紙を切るのが好きだった。それも、小さく小さく切る。紙は何でもよかった。広告のチラシでも、ノートの切れ端でも……。五センチ四方ぐらいの紙を半分に切る。そして、また半分。また半分。1ミリぐらいになるともう夢中になる。時々手がすべって三角になるときがある。その紙は三角の形に小さくしていく。指につまめなくなると人差し指の上にのせて切っていく。


 ママが家に帰ってくるのが遅いとき、私は、この紙切り遊びをした。時間が過ぎるのを忘れ、気がつくとおかあさんが帰っていることがよくあった。「ただいまぁ」の声に、私はママだと思って、切っていた紙をティッシュに包んでゴミ箱にすてる。


「おそくなっちゃった。ごめんね」

 私は、そっと掛け時計を見上げ、もうこんな時間かと思いながら「ううん。だいじょうぶ。ご飯炊いておいたからね」と笑った。


 ママが私の紙切り遊びを嫌いなんだとわかったのは、あの夜だった。あまりに夢中になりすぎて、私はママが帰ってきたことに気がつかなかった。知らない間にママは私の後ろに立っていた。


「何してるの?」

 ママの声がふるえていた。

「紙、切ってるの」

 私は答えた。

 暗い部屋で細かい紙を見つめていたので、ママの顔がはっきり見えなかった。私はたぶん、目を細めていたと思う。


「紙って、美弥……」

 ママは一瞬言葉を飲んだ。

「そんな顔をするのは止めなさい。そんなことをするのは、止めなさい」

 ママは、叫ぶようにいって、私の手からハサミを取り上げた。

「どうして、だめなの?」

 私は、目をしょぼしょぼさせた。焦点が合わない。ママの顔がぼやけて見える。


「どうしてって、……。じゃ、反対に聞くわ。美弥はどうして、こんなことをするの?」

「楽しいからよ」


 切っていくと、いつか、何もかも消えていきそうで気持ちが落ち着くという言葉はのみこんだ。

「紙をこんなに細かく切って、何が楽しいのよ?」

「……」


 ママの目に、涙が浮かんでいるように見えた。

「こんなことするのはよくないわ」

「わかった」

 私は、何もわかっていなかったけど、あまりにママが悲しそうな顔をしていたので、そう答えた。


「わかったら、早くその紙を捨てなさい」

 それから、私は二度とこの紙切り遊びはしなかった。ママの悲しむ顔を見たくなかったから。


 そういえば、あの日から、ママは私におばあさんの家で暮らさないかというようになったんだっけ……。


 ポケットから出したはさみをを見ているうちに、ママは私が紙切り遊びをすると、今でも悲しむのだろうかとちょっと考えた。


 私は机の前に座り、ティッシュを広げた。ノートの端を適当な大きさに切り、半分にする。また半分。半分。半分。半分。


 ああ、楽しい。どうして、こんなに楽しいのに、ママは嫌がるんだろう。


 紙を切っていると、ふと、だれかが私の後に立っているような気がした。ママ? 私はゆっくりとふりかえった。誰もいない。家の中がしんと静まりかえっている。自動車の通る音もない。静かだった。けれど、何かが動いていると感じる。マンションに一人でいるときとは何かが違っていた。しばらくして、ああと思った。風が通っているんだ。玄関から入った風が、庭に抜けているんだ。観音竹がかすかにゆれている庭を眺めていると、母屋の二階に目がいった。なんだかとても二階のことが気になる。


 だれかいるような気がする。だれかが私の紙切り遊びを見ていたような感じがする。


 おばあさんはなぜ、二階に行ってはいけないというんだろう。掃除をしてなくて汚れてるだけで、あんなに何回も何回も上がってはいけないと言うものだろうか? 何があるんだろう? ひょっとしたら、うなぎが住んでいるんだろうか? 私の紙切り遊びを見ていたのはうなぎ? 


 二階の部屋の中で、黒々としたヘビのようなうなぎが何匹もとぐろを巻いて、グニャグニャ動いている。そんな想像した私は、ゲッと声を出して口をおさえた。


 紙切り遊びはもういい。ティッシュをまるめてゴミ箱に捨てた。

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