第6話

  


 夕方になると、おばあさんは家の前の道路に打ち水をする。


 こうすると家の中と外に温度の差が出て風が通るという。ばけつで水をまいているおばあさんの後ろ姿を、玄関の座敷に腰掛け見ていると、風と一緒に時間がゆっくり流れているような気がする。

 ふと、京の町屋に住むうなぎは、風の事かしらと考えた。もしそうだとしたら、うなぎよ、私の思いをママに伝えて……。


「やっぱり京都は暑いわね」

 突然、ママの声がした。


 私は、おどろいてほおづえをはずし、声の方に背を伸ばしてママを探た。うなぎが私の願いをかなえてくれたのかしら。

「なんえ、あいさつもせんと、その言い方は。あんたは、いつもそうなんやから」

「ああ、娘がお世話になっております。美弥、いる?」

 ママが私を呼びながら玄関に入ってきた。


「あ、いたいた。元気だった? どう、こちらの生活は? おばあさんとうまくやってる?」

 私は立ち上がって、すべての質問に「うん」と答えた。

「元気そうね。安心したわ」

 ママは私の腕をもった。私の頭の先から足の先まで眺めて、満足そうにうなずいた。


「今日、来るなら来るって電話の一本ぐらいくれたらええのに」

 おばあさんが、ママの後から入ってきた。

「近々行きますっていったじゃない」

「今日のこというてるんや。ほんま、自分勝手な子や」

 ママは私に目配せをして、おばあさんには見えないようにぺろっと舌を出した。


「晩ご飯の支度もあるし、急に帰ってこられてもかなわんわ」

「あ、きょうは、どこか外食でもすればいいと思って……」

「そんな問題と違うやろ」

「ああ、帰ったそうそう、そんなにうるそういわんといて、それでのうてもストレスたまりまくってるのに」

 あ、ママの言葉が京都弁になってる。


「好きな事しといて、そんなこといわれてもなぁ」

 忙しそうに、おばあさんは、がちゃがちゃ音をたててバケツをかたずけた。

 ママは、横目でおばあさんを見た後で、

「美弥、あした学校へ挨拶に行こ。そろそろ挨拶にいかなあかんしな」

と私に笑いかけた。


「もう行ったえ」

 おばあさんが答えた。

「もう、行った?」

 ママがゆっくり、おばあさんの方にむきなおった。


「へえ、もう行きました」

 おばあさんは、ママを横目でちらっと見た。

「なんで、そんなことすんの! 私が美弥を連れて行くってゆうたやろ」

「あんたなんか、あてにできひん。いつ帰ってくるかもわからへん人、まってたら、美弥ちゃんがかわいそうや。もう、お盆で学校も休みやしなぁ」

「美弥のことは、みんな私がするっていっておいたでしょう。なんでそんなかってなことするの」

「えらそうによういうわ。みんなやるんやったら、ちゃんと親らしいことしてからいうんやな」

「私が、親らしいことしてないっていうの。今までだって、苦労してきたけど、ちゃんと美弥は自分で育ててきたわ」

「それも、雅尚さんがいやはったさかいやろ。雅尚さんに迷惑かけっぱなしやったさかい離婚されてしもたんやないの」

「離婚はされたんじゃないわ。二人で話し合って、離婚したのよ……」

「やめて!」

 私はさけんだ。


 私は知っている。ママとパパが離婚した理由を。私なんだ。私がいなかったらママとパパは離婚なんてしなくてもよかったんだ。

「けんかはやめて……」

 こうして、私のことでけんかをしたあとママとパパははなれていった。ママとおばあさんまで私のせいではなれていくのは、いやだ。


 私はその場にいたたまれず、門口をはしりぬけた。どこへ行こうとしているのか自分でもわからない。ただ、この場所からはなれたかった。もう、だれかがだれかとけんかをするところは見たくなかった。どんな人も私のせいでけんかなんかしてほしくない。私は走った。いやだいやだと叫びながら、息の続く限り走った。


 ふと気がつくと、私は河原を歩いていた。ゆったりと流れている川面を見ながら歩いていた。

 いつの間にか日が落ちて、あたりはうすぐらくなっていた。ここはどこなんだろう。どこからここへ下りてきたんだろう。

 ちょっと心細くなって、周りを見わたしていると「みつけた」というおばあさんの声がした。


 私はふりかえった。

「きっと、ここやろうと思ったわ」

「どうして、ここだと思ったの?」

 私が聞いた。

「美弥ちゃんのママもなぁ、私とけんかして家を出ていったときはいつもここ、鴨川の河原をぶらぶら歩いたはったんや。そやから、美弥ちゃんもひょっとしたらここに来てるかもと思たんや」

「この川が鴨川?」

 うんうん、とおばさんはうなずいた。


「でも、私はここが鴨川だって事も知らずにに来たのよ。どうやって来たのかもわからないし……」

「だから、ママの子供やなぁと感心してるんや。知らんでも、足はかってにここに向かって歩いてるんやなぁって」

 私は、そんなことがあるのかもしれないと思った。ママと考えていることが同じだったというのもちょっとうれしい。


 おばあさんはおおきくうなずいて歩き出した。私はおばあさんの後ろについて歩いた。


 おばあさんが何も言わないので私は「ママは?」と聞いた。

「帰ってしまわはった」

 おばあさんは、はき出すようにいった。

 私の足がとまった。

「どうして、どうして……」

 私は両手で顔を覆ってしゃがみこんだ。


「かんにんえ。ほんまに、アホな子や。私とけんかしたって、帰ることはないやろうに。美弥ちゃんがどんだけ待っていたか親やったらわかるやろうに。ほんまに子供が親だけで育てられると思てるんやろか。アホな子や」

 おばあさんの手が、私の頭をなぜてくれる。

「美弥ちゃんは、ママのところに帰りたいの?」

 私は頭をふった。

 帰れない。帰れない。今は帰れないんだ。

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