さよなら風たちの日々 第10章—1 (連載29)

狩野晃翔《かのうこうしょう》

第29話

  

               【1】


電話の相手は信二だった。高校生だった頃はあんなに一緒だったのに、やはり卒業して別々の道を歩むと、おのずと疎遠になってしまう。それは仕方ないことだけれど、だからこそ久々の電話は嬉しかった。

 お互いの近況報告をしてから信二は、本題に入った。

「十一月の初めにうちの大学で飛雄祭って名前の文化祭があるんだ。そこでビートルズやりたいんだけど、どう」

「メンバーはどうなってる。タツとトシユキにも連絡したのか」

「いや、してない。ボーカルとベースがおまえ。サイドギターとコーラスがオレ。リードギターはおれの従弟にやってもらう。あ、それからドラムはおれの彼女」

「何、彼女。信二。おまえ、彼女できたのかよ」

 ぼくが驚いてみせると、電話の向こうで信二の声が弾んだ。

「へへえ、実はそうなんだよ。同じゼミで知り合ったんだ。北海道の女の子なんだけどな」

 信二はそこまで言って、「あ。おまえ。ちょっかい出すなよ」と早くもけん制した。ぼくは笑って、リードギターの従弟のことを訊く。

「従弟はまだ高校生なんだ。小学校のときからクラシックギターをやってて、中学のとき、おれがロック教えたんだよ。今じゃクリームの完全コピーできるほどの腕前なんだ。楽しみにしていてくれ」


 ぼくは高校二年のとき、信二の誘いでワンダーフォーゲル部から軽音楽部に鞍替えしたことを思った。

 そのときの高校二年の文化祭。ぼくと信二は同級生のタツとトシユキというメンバーを加え、ビートルズのコピーバンド『ギャバーンクラブジュニア』を結成して演奏した。髪型は文化祭の半年前からマッシュルームカットにするために伸ばし、文化祭当日はオーダーメイドしたお揃いの襟なしスーツを着てたものだから、そのステージは大評判だった。

 キャバーンクラブとは、ビートルズが無名時代に出演していたナイトクラブの名前で、ビートルズ通なら誰でも知っているビートルズ発祥のクラブ名だった。

 実はマージービート、あるいはリバプールサウンドと呼ばれるビートルズサウンドは一見簡単そうに聴こえる。しかしコード進行に工夫がこらしてあったり、少し粗削りに聴こえるコーラスが特徴なだけに、その奥行きは深い。

 信二はその粗削りに聴こえるコーラスが得意だった。

「何曲やるの」

「バンド、けっこういっぱい出るんだ。だからやるのは3曲から4曲。だけどアンコールとか、その場の雰囲気で曲目変更もあり得るから、7曲か8曲はレパートリーにしたいんだ」

「練習はどうする」

「最近平井に、音楽スタジオができたんだ。そこを借りて練習しないか」


 ぼくは信二と練習する日程を打ち合わせ、電話を切った。

 そのあとぼくは、クローゼットの中で眠っていたバイオリン型のエレキベースを引っ張り出した。ポールマッカトニーが使っていたバイオリン型ベースはカールヘフナーというメーカーの楽器だったが、ぼくが持っていたのは、グレコ製のそのバイオリン型ベースのコピー楽器だ。アマチュアならそれで充分だった。

 さあ、面白いことになってきたぞ。

 久々のロックバンド演奏だ。ぼくの血が騒がないはずがなかった。


               【2】


十月中旬のある日曜日。待ち合わせの平井駅に着くと、三人はもう改札口でぼくを待っていた。少し驚いた。久々に会った信二は丸刈りだったからだ。かくいうぼくも今の髪型は普通の長さにしてあるので、信二も戸惑ったようだ。無理もない。ぼくも信二も高校時代はずうっと髪を伸ばしていて、ロックミュージシャン気どりだったのだから。

 信二はまず、女の子を紹介した。彼女は志乃という名前なので、愛称は、しぃ。そう呼んでくださいと、本人が言う。彼女の顔、容姿を見て少し驚いたことがある。背中まで伸ばした柔らかそうなロングヘアのせいだろうか。目が合うとすぐ笑顔を向けるせいなのだろうか。雰囲気が少しヒロミに似ているのだ。身長は157cmというから、ヒロミよりは7cmも高い。それでもしぃさんは十分小柄な女性の部類に入りそうだった。

 ぼくは信二を軽く小突いて、

「しぃさんって、ちょっと織原ヒロミに似てないか」と訊いてみた。

 すると信二はちょっと考え、やっとその名前を思い出したふりをして、

「ああ、そう言えば似てるかもしれないな」とだけ答えた。

 どうやら信二も小柄で華奢で、さらさらしたロングヘアーの女の子が好みらしい。

 実はぼくの好みも同じなんだけれど、この場でそのことを信二に言うつもりはない。


 続いて信二は従弟だというベンジを紹介した。エレキギターのテクニシャンというから、痩せていて神経質そうな高校生を想像していたのだけれど、全然違っていた。身長はぼくと同じくらいの175cm。色は浅黒いからスポーツ選手という雰囲気がある。唇がやや厚いのでソウル系の歌がうまそうに見えるが、訊いてみたら、歌は全然ダメなのだそうだ。髪型は耳が隠れる程度の長髪。その髪をときどき左右に振って揺り動かすのが、彼のクセらしい。


 雑談を終えて、貸しスタジオに入る。楽器のチューニングを終えて、まず小手調べだ。なんと信二はクリームの『クロスロード』をやりたいと言う。やったことがない、ジャックブルースできない、とぼくが言うと、ベンジが簡単なリフを教えてくれた。基本はそのリフに繰り返しで、あと途中途中でベースランとペンタトニックスを適当に入れればいいという。その程度ならぼくにもできる。

 ベンジはぼくにそのレクチャーをしたあと、ギターの音をひび割れた感じにするアタッチメントをコードとアンプの間に装着して音質、音量を調整し出した。

 ビートルズをはじめとする60年代のロックギターはアンプに直結させるのが主流だった。しかしそれ以降、音をひび割れた感じにする手法が流行り出し、クリームはその先駆けともいえるバンドだった。一説によるとエリッククラプトンがクリーム時代に使っていたアンプはVOX製で、このアンプは音量を最大限にするとひび割れた音になるので、クラプトンは好んでそのひび割れた音を鳴らしていたらしい。

 原理は簡単で、入力音圧をアンプの性能以上に高くすれば、出力された音はひび割れたものになる。イメージとしてはパチンコ店の店内放送の『がなり声』に近いかもしれない。

 

 しぃさんを見た。しぃさんは各ドラムのテンションボルトを緩め、何度も軽く叩きながら音を確認している。

「ここにあるドラムセットは、バスドラ、スネア、ハイタム、フロアタム、ハイハット、ライドシンバルの基本セットですよね」

「ジンジャーベイカーはこの基本セットに、大きさが違うタムとフロアタム、バスドラ、さらにクラッシュシンバル、ライドシンバルを何枚も追加して演奏してるんですよ」

 だからしぃさんは、基本セットでも音を限りなくジンジャーベイカーに近づけるため、各ドラムの張りを弱めて、低い音、くぐもった音に調整しているという。

「そして基本は、4拍目にアクセントを置く、アフタービートですよね。彼のドラムの特徴は。だからドラムが歌に遅れて聴こえてくる感じになるわけです」

 そのしぃさんの解説と調整が終わったところで、準備完了。いよいよ音を出すことになった。

  

『クロスロード』。この楽曲はA7、D7,E7の3コード、12小節からなるブルースナンバーで、クリームの場合、これを11パート演奏する。ボーカルが2,3,4パートと7,11パートで、ギター部分は5,6パート、8,9、10パートを受け持つ。

 クリームの頃、エリッククラプトンが最も攻撃的なギターを弾いたこの曲を、ぼくたちは信二のボーカルで演奏してみた。

 まず、しぃさんのスティック4回の合図でイントロが始まる。、そのイントロは12小節の最初のパートだ。そのあと第2パートから信二の歌が入る。


 I went down to the crossrosd feel down on my kees・・・


 ボーカルが終わると、5、6パートで最初のギターソロが入る。ベンジはメジャーペントニックのフレーズを中心に、半音チョーキング、1音チョーキング絡ませて演奏をつないでいく。

 危なげなく最初のギターソロが終わり、信二のボーカルにバトンタッチ。


 Going down to rosedale, take by my side・・・

 

 ときおり弾けるライドシンバルの音が小気味いい。バスドラの連打。スネア、ハイタム、フロアタム。しぃさんは小柄な女性であるにも拘わらず、パワフルかつ正確なアフタービートのスティックさばきをみせる。

 続いて聴かせどころは、後半のギターソロとなる、8,9,10パート。ベンジはこのパートを17フレットを中心にフレーズを組み合わせていく。この箇所のギターソロは各パートをまたいで演奏されるので、ギターソロに気を取られていると、コード切り替えが遅れてしまいそうになるので、ぼくはあわててベースのリフに専念する。

 しかしベンジはぼくのベースのもたつきにまどわされることなく、いよいよ究極のギターソロのラストパートに入っていく。

 最終の10パート。ギターはほとんど絶叫するような音になる。17フレットから20フレットだけを使い、2,3弦同時半音チョーキング、ベント、リリース、そしてまたチョーキング。ベンジの人差し指、中指、くすり指がフレットの上を目まぐるしく駆けめぐる。そしてギターもドラムもハイボルテージのまま、信二の最後のボーカルに移り、曲が終わる。


 You can run, you run, tell my friend boy Will Brown・・・


 演奏が終わって、ぼくは拍手した。華麗なギター演奏をみせた高校生のベンジ。力強い信二のボーカル。そしてパワフルなドラミングのしぃさんに。

 ぼくたちは笑顔を見せあった。ベースは不甲斐なかったけれど、このメンバーならビートルズのコピー演奏。イケるかもしれない。

 ぼくはそのとき、その確信を持った。




                           《この物語 続きます》




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