キスと彼女②

「それは……」


 なんて答えればいいんだ。

 「初めてだよ」なんて嘘をついてもありさの事だ、気づいてしまいそうで怖い。

 ただ、正直に言うのもどうだろうか。

 早めに答えた方がいい、こうしている間にも少しづつ疑われてしまう。


「ありさが初めてだよ」


 やってしまった。

 ここでありさが気づいてくれれば、まだ謝って済む可能性が残ってる。

 彼女がこの言葉を鵜呑みにしてしまった場合はまずい。

 今後バレてしまったら、間違いなく関係に亀裂が入ってしまう。

 今更「嘘です」なんて言えるわけもない。


「そ、そうですか……良かったです……」


 ありさは視線を外し、頬を紅潮させる。

 終わってしまった。

 嘘を隠し通すなどといった、ハードモードなんて出来る訳が無い。

 何とか方向修正できないものか。


「コーキさんのファーストキス奪っちゃってごめんなさい。でも、あの時は抑えられなくて……」


 肩をモジモジさせながら、恥ずかしそうに答える。

 完全に逃げ場を失った。

 

「そ、そうか……」


 照れるありさを横目に、罪悪感を感じる俺。

 というかなんでこんな時だけ鈍感なんだよ。

 この前の考えを見透かすような洞察力はどこにいったんだ。

 

「コーキさん……」


 彼女は席を立ちこちらに向かって来る。恍惚したような目で。

 まずい、このままでは……。


「ありさ、一旦ストップ」


 両手を前に出し、ありさとの距離を取る。

 

「一応聞くが、俺達は付き合ってないよな?」


「はい、そうですね」


 彼女はキョトンとしながら首を傾げると、俺の両手をどかして膝の上に座る。

 布越しからでもわかるその柔らかさにドギマギした。

 正面にはありさの顔。近くで見ても肌が綺麗で、若さを感じる。


「なのに、この状況なに?」


「いや、よくわからないです」


 こっちがよく分からんわ。

 何でこうなってるんだ。というか俺はなぜもっと抵抗しない?

 

「一旦降りようよ」


 ありさの肩を掴み、膝から降りてもらうように促す。


「1回だけでいいですから!」


 普通こういうのって襲う方が男じゃないのか?

 なんで俺が襲われてるんだよ。

 彼女は両腕を掴むと、少しづつこちらに顔を近づけてくる。


「いやいやいや、1回とかそういう問題じゃないだろ……」


 そんな事を言いつつ、心臓の鼓動は早くなる一方だ。

 どこか期待している自分もいた。

 男の本能と理性が、頭の中で闘っている。


「コーキさん……」


 その彼女の甘い声で、理性など吹っ飛んでしまう。

 昨日と同じ過ちを繰り返す。

 唇を離すと熱い視線が混じり合い、甘い息が漏れる。

 告白は断っておいてキスは受け入れるなんて最低だ。

 頭では理解していても、彼女の要求を拒否することが出来ない。

 もう逃げ場など無かった。

 いや、逃げることをやめていたんだ。

 ペ〇カを支払って、鉄骨を渡り始めてしまった。

 それはどっちでもいいけど。


「なあ、さすがに付き合ってもないのにまずいって」


「私は大丈夫ですよ」


 そう言ってまた顔を近づける。


「ストップ。ちょっと待って」


 柔らかな両頬を軽く抓って止める。

 このままでは収拾がつかなくなる。


「なんれふか」


 呂律が回らず上手く話せてない。

 

「さすがにこういうのはやめようよ」


「ここまでしてもまだ付き合う気にはならないですか?」


 両頬を離すとなんとも返答し難い質問が来た。

 ここまでしてるんだ、その気持ちが嘘な訳では無いだろう。

 ただ、学生と付き合うとなるとどうしても躊躇う。

 学生だからといって断るのもありさに申し訳ない。

 それに絢香がどう思うか。

 ……なんで絢香が出てくるんだ。


「ごめん、それには応えられそうにない」


「他に好きな人がいるからですか?」


「……いや、そういう訳では……」


 ありさが満足いく回答は用意出来なかった。

 彼女は肩を落とし、膝から静かに降りる。


「解りました……これ以上はしつこくしません。なので嫌いにならないでください」


「うん、大丈夫」


 もう少し強引に襲われるのを覚悟していたが、あっさりと引き下がってくれた。

 何とか助かったのか?

 ありさは俯いていてその表情は、髪に隠れて見えない。

 突き放しすぎたかな?

 ただこれくらいはっきり言わないと彼女も引き下がらないだろう。


「じゃあ私洗い物しますね」


 ありさは食器を片付けて皿を洗い始める。

 その間に流れる食器の音だけが聞こえる無言の時間。

 正直居心地が悪い。


「コーキさんは好きな人いるんですか?」


 突然ありさが口を開く。

 

「いや、分からない」


「そうですか……」


 会話がまた途切れる。

 さすがに何もしない訳にもいかないので、ありさの手伝いをしに行くため席を立つ。


「なにか手伝うよ」


 振り向くとありさは今にも泣きそうな顔をしていた。

 鼻をすすり、こぼれそうな涙を必死に抑えている。


「こっちは大丈夫です。それよりも小説進めた方がいいんじゃないですか?」


「あ、うん」


 ありさの雰囲気に断ることが出来なかった。

 彼女に従い、作業デスクと向き合う。

 あの表情が気になってしまい、書こうと思っても手が進まない。

 ただ、今彼女の元へ向かっても、どんあ言葉をかけてあげればいいのか分からずにいた。

 今俺が言った所で、かえって逆効果な気がする。

 水が止まる音がした。どうやら片付けが終わったようだ。


「コーキさん、私帰ります」


「そうか」


 PCチェアを回転させ、ありさの方を向く。

 その表情にいつもの明るさはない。

 先程の涙は消えていたが、目の周りは少し赤くなっていた。

 

「それじゃあコーキさん、今日はありがとうございました」


 玄関へ向かうとありさが振り返り、軽くお辞儀をする。

 

「うん、じゃあね」


 そう返すとありさは玄関の扉を開ける。

 そんな姿を見ながら、少し開いてしまった彼女との関係に少し後悔している自分がいた。


「あ、そういえば1つ言い忘れてました。」


 再びありさが振り返る。


「絢香さんのこと、しっかり考えてみてくださいね」


「お、おう」


 突然の事で反応に困り、言葉を詰まらせる。

 なんで絢香? どういう事だ?

 全く身に覚えがない。というか彼女の何について考えればいいんだ?


「全く分からないって顔してますね……今はそれでいいですけど、ずっとそのままなら怒りますよ」


 新たな悩みの種が出来てしまった。

 

「わかったよ」


 今は理解出来ていないが、とりあえず返事をしておく。

 

「それじゃあ、また遊びに来ますね!」


 帰り際に見た彼女の表情は、いつも通りの笑顔だった。

 ただ背中には少しのが残っているように見えた。


 



 


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