キスと彼女③
扉を開けてベランダに出る。
木々の葉をやさしく揺らすような夜風が、お風呂で火照った体を冷やす。
町明かりを眺めながら一息つくと、ポケットから携帯を取り出した。
通話アプリを開き、彼女に電話をする。
「はーい」
呼び出し音が鳴りやむと、彼女の声が聞こえた。
「絢香さん、こんばんは」
「うん、今日はどうたった?」
眠気が残った絢香さんの声が聞こえる。
「やっぱり駄目でした。私の言った通りじゃないですか」
そういいながら今日の出来事を思い出す。
私がどれだけコーキさんに迫ったところで、結果は同じだろう。
「そっか、それは残念」
「もう少し振られた私にかける言葉は無いんですか?」
元を言えばああしてコーキさんに迫った原因は絢香さんにもある。
理由は分かってるつもりだけど、どうしても納得できない部分が多い。
「絢香さんはこれでいいんですか?」
私は絢香さんに対して少し引け目を感じている。
絢香さんの気持ちを知っているから。
そう思うと痛いと感じるほどに胸が強く締め付けられる。
私ができることは何かないのだろうか。
このままでは後悔しちゃいそう。
「私のことは気にしなくていいよ。それよりもこれからどうしようかね?」
「やっぱりコーキさんに話したほうが……」
「それはダメ」
その提案を絢香さんは強く否定する。
あの時からその気持ちは一切変わることがなかった。
「分かりました。ただ絢香さん、何度も聞きますが本当にそれでいいんですね?」
念を押すように問いただす。
「うん、それでいいよ」
電話越しなのでわかりづらいが、その絢香さんの声には確固たる信念があるように感じた。
本当にあの人のことを思ってるんだ。
「分かりました。今日はもう寝ます」
「うん、じゃあまた今度」
そう言うと話中音が鳴り、絢香さんとの通信が途切れる。
「いいわけないじゃん」
夜空を眺めながら、自分の胸の中に抱える感傷と少しの後悔を言葉にして吐き出す。
そんなことをしても気持ちが晴れる事はなかった。
────────
電話を切ると、先程まで寝ていたベッドに倒れこむ。
部屋の電気は一切点いておらず、携帯の僅かな画面の明かりだけが部屋を灯す。
影に覆われた白い天井を眺め、大きなため息をつく。
手を顔の前に上げて、手を握ったり緩めたりする。
「うん、まだ大丈夫」
腕の力を抜きベッドに倒す。
ぽふっという音と共に微かに舞うホコリ。
そういえば最近掃除サボってた。また幸樹に手伝ってもらうかな。
ありさちゃんにあんなお願いしておいて、結局私は幸樹の事を考えてしまう。
私の決意は砂の城のように脆く、波が襲ってきたら簡単に崩れてしまいそうだ。
そうならないように、何度も固め直す。
しかしそんなものも幸樹に会ってしまえばまた崩れかけてしまう。
それだから釣りの時に想いを伝えようとしたり、酔った勢いでキスしたりしてしまったんだ。
思い出すだけで恥ずかしくなる。
ただ、それが少しだけ心地よかった。
「私、どうしたらいいんだろ……」
どれだけ考えたところで答えが出ない。
いや、答えはもう知っている。
ただ、自分が出した答えから逃げようとしているんだ。
それもそのはず。私にとってそれはとても辛く、苦しい答えだから。
少しづつ思考が暗くなっていく。
どう頑張っても変わることの無い現実が私を追い込んでくる。
やっぱり素直に話した方がいいのかな?
でも幸樹に心配かけさせたくない。
そんな気持ちが堂々巡りしていた。
「……描くか」
どれだけ探っても見つからない結論を見つけ出そうとしてモヤモヤするくらいなら、他の事をして気を紛らわせる方がいい。
部屋の明かりを点け、PCデスクへと向かう。
パソコンの電源を入れると、漫画の作成に取り掛かる。
ここ一週間くらい更新していない。
いい加減描かないと描くことを諦めてしまいそうだ。
というか正直どこまで描いてたかも覚えてない。
自分の作品の内容を忘れるとか有り得るのかな?
数話前から読み直す。相変わらずなんというか……残念な仕上がりになってる。
思わずため息が出てしまう。
改めて読んでみると客観的に見れるから、下手な部分が顕著に現れている。
「うわ、酷い」
思わず声に出てしまった。
読み進める度に描く気力が削がれてしましそう。
全て読み終えた頃には虚無感に襲われていた。
正直描き直したいとまで思う。
でもそんな行動力も気力も持ち合わせていない。
最初の方はイマイチだけど、話が進むにつれて画力が上がっていく作品だってあるし大丈夫だよね……多分。
そうやって自分に言い聞かせながらペンを動かし始める。
早く仕上げないと時間があるようでない。
最近は全然進んでないから少し焦ってる。
ただ、焦れば焦るほど描けなくなってしまう。
もちろん内容は決まってるけど、納得の行くような絵が描けない。
携帯の電源を入れ、電話帳を開く。幸樹まだ起きてるかな?
携帯の画面には23時の表示。さすがに遅いかな。
いや、今私は漫画を書いてるんだ。こんなことしてる場合じゃないよ。
携帯の電源を切る。
えっ? 机に置こうとした携帯は、手をすり抜け床へと落ちていく。
カバーの中にある金属が大きな音を立てる。
それを拾い画面を確認。うん、割れてなかった。
修理費も高いからあまり修理に出したくないし。
携帯を机の上に置くと、手のひらを握る。
まだダメだよ。
再びペンを握り描き進めていく。さっきより集中できてる。
それから一段落した時には、既に日が昇り始めていた。
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