過去と彼女③

 絢香は取り上げたはずのビール瓶を取り返すと、それを一気に飲み干す。


「だいたい幸樹もなんで私がこんなに迫ってるのに、なんで何もしないわけ!」


 彼女は、空になった瓶を台所の上に叩き付ける。

 おいおい、傷がついたらどうするんだよ。

 

「ねえ! 幸樹ってば聞いてる?」


 そう言いながら、彼女は急に腕を背中に回し、抱き着いてくる。

 酒のにおいと、彼女の甘い香りが、鼻孔をくすぐる。

 というか、この状況はいったい何なんだ。


「なあ、いったん落ち着こうよ」


「やだ」


 「子供か!」と思わず突っ込みたくなる。

 俺も男だ、このままだといろいろと反応してしまう。

 去年と何も変わっていない。

 変わったといえば、場所と年齢だけだ。

 中身そのものは、何も変わっていない。


「とりあえず、戻ろうよ」


 彼女の腕を何とか引き離し、腕をつかみソファーへと連れていく。

 というか、なんで女の人ってこんなに肌がすべすべなんだ。

 もう少し触っていたいなんて思ったが、それは彼女を意識しているみたいで恥ずかしいので、やめておく。

 いや、もう意識し始めてるのかもしれない。

 普段はもう少しガサツな印象なのに、こういう時に限って妙に色気がある。


「ねえ、私のこと好き?」


 いきなり何を聞いてくるんだよ。

 そんなこと考えたこともない……よな?

 そういえば、俺は彼女のことをどう考えてたんだろう。

 今までは、友達としか思っていなかったが、もしかすると彼女を女として意識していたのか?


「それにはお答えできません」


「なんで?」


「なんでと言われても……」


 なんて答えればいいんだ。

 好き? いや、これは違う。

 かといって嫌いなわけでもない。


「友達として、好きだよ」

 

 緊急回避行動発動。

 頼む、この回答で満足してくれ。

 絢香の顔色をうかがう。

 

「ああ?」


 その顔に笑みはなかった。

 例えるならそう、般若みたいな顔だった。

 いや、冷静に分析している場合ではない。


「ごめんなさい、許してください。今の俺にはこれが限界なんです」


「絶対に許さん」


 胸ぐらをつかまれる。襟元が苦しい。

 ヘタレでごめんなさい。

 いや、だって無理じゃん。なんて言ったら満足するの。


「ねえ、仲直りには何をするのがいいと思う?」


「いや、わかりません」

 

 たぶん答えはわかってる。

 ただ、これを答えるわけにはいかない。


「正解はね……」


「はい! ここまで!」


 最後までは言わせない。

 何とかこの均衡を、守り抜かないといけない。

 ソファーから立ち上がり、自室へと歩いていく。


「どこ行くの?」


「ちょっと用事、すぐ戻る」


 そう言って、自室へと入っていく。

 扉を閉めると、その場で座り込み、ドアにもたれる。

 危なかった、あと少しで誘惑に負けるところだった。

 なんで酒飲むとあんなにくっついてくるんだよ。

 表では冷静を装ったが、胸の鼓動は自分に正直だ。

 どうにかして短時間でこれを落ち着かせる。

 大きく肩を上げながら息を吸って、一気に吐く。

 少しだけ気分が収まったような気がした。

 鼓動も徐々に安定してきたので、リビングへと戻る。

 扉を開けるとそこには、目を疑うような光景が広がっていた。


「何やってんの、戻るの遅い」


 そこには下着姿の絢香がソファーに寝転がっていた。

 淡い水色の下着が、白く透き通った肌にとても似合っている。

 出るとこが出ていて、とてもバランスがいい。

 というかそれどころじゃない。


「何やってるはこっちのセリフなんだけど……」


 もう何から突っ込んでいいかわからない。

 下着姿の絢香か、机の上に置かれているビール瓶か、はたまたそれに反応してしまっている自分のに対してなのか。

 とりあえず一つずつ対処していこう。

 空になったビール瓶3本を、キッチンへ持っていく。

 続いてキッチンで何とかムスコを鎮める。

 最後に、散らばった服を回収して、絢香に着せようとする。


「いやだ! 着たくない!」


 着せようとした服を投げ捨てる。


「頼むから、おとなしくしてくれ……いろいろと」


 もう収集がつかなくなってきている。

 これだから彼女に酒を飲ませたくないのだ。

 おかしい、同窓会の時はにならなかったのに。

 投げ捨てられた服を回収して、もう一度着せる。


「はい、服を着せますよー」


 観念したのか、両腕を上げる。これですべてが完了する……

 そう思われたが、それは違った。

 服を着せようと顔が近づいた瞬間、彼女は両腕が通った状態の服で、頭を寄せてそのままキスをする。

 抵抗しようとしたが、がっちり固定されてなかなかはずれない。

 しまいには、口内に舌を入れだす。

 先ほどまで抵抗していたのに、頭がとろけそうだ。

 「クチュクチュ」といやらしい音が聞こえてくる。

 第一フェイズが終わると、息つく暇もなく第二フェイズへと突入した。

 第二フェイズの途中で、インターホンが鳴り響く。

 ホールドされている頭を何とか横にずらし、画面を確認する。

 しかし、そこには誰も映っていなかった。

 安心したのもつかの間、インターホンを鳴らした主はそのままドアを開けてきたのだ。

 カギをしていなかった。一生の不覚。

 何とかこの拘束を解こうとしたが、なかなか解けない。


「絢香、頼むから離してくれ」


 彼女は横に首を振り、拘束を解こうとしない。

 そんなことをしている間にも、少しづつ足音が近づいてくる。

 そしてついに扉が開かれる。

 あ、終わった。

 扉を開けた人と目が合う。

 その人は、持っていたビニール袋を落とす。


「何してるんですか?」


 怒りと悲しみが混じった声を、二度と忘れることはないだろう。

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