過去と彼女②

「お邪魔しまーす。いやー、外暑いね」


「有名恋愛小説家様が、わざわざアマチュア作家の家にお越しいただき、ありがとうございます」


 俺のテリトリーに容赦なく侵入してくる絢香を、皮肉交じりに歓迎した。

 ジャンルが違うとはいえ、書籍化という観点では、先を越されたライバルとも言える。

 いや、同じ土俵にすら立ってないような気がしてきた。

 焦りと不安が同時にのしかかる。

 小説を書き始めたのも、自分より半年後だと聞く。

 どれだけ努力をした所で、文章や物語のセンスがないと認めて貰えないのかと、虚無感に襲われることもある。

 高校時代、両親に「お前には小説家なんて無理だ」なんて言われたが、絢香の顔を見る度にその言葉を思い出し、胸の奥まで突き刺さる。


「今日の調子はどう?」


 PCチェアーの背もたれに手を置き、画面を覗き込む。

 だいたい、第一声は小説について聞いてくる。


「全くだね」


 正直なところ顔も合わせたくないが、ここで彼女を引き離すのはあまりにも情けない行為だ。

 彼女だって実力で書籍化をものにしたのだ、それに対してとやかく言うのはお門違いである。


「私は結構好きなんだけどなー、幸樹の小説」


 本心なのかどうなのか分からない、どうしても読まれない現状を目の当たりにすると、お世辞にしか聞こえない。


「そりゃどーも」


 どうしても、素っ気ない返事になってしまう。

 そうしたい訳では無いのだが、口が言うことを聞いてくれない。


「今日はどうしたんだ?」


「んー特に用はないけど、暇だったから?」


 売れた作家は、生活にも余裕があるんだな。

 嘘と本音が入り交じったような感情を、ぶつけそうになる。

 彼女が悪い訳では無いのにも関わらず、嫌悪感を抱いてしまいそうだ。

 

「そっか」


 ただ、そんな彼女を突き放せない。

 その理由は単純だ、彼女が綺麗だからだ。

 こうして構ってもらえるのが、少し嬉しかったりする。

 しかし、それは恋愛感情ではない、単なる下心だ。

 そんな自分が嫌になる。


「毎回来ると小説書いてるけど、ちゃんと休憩してる? 本業もあるんでしょ?」


「まあ、何とか生活に支障は出てないよ」


 流石に心配してくれていると思う。

 そう思わないと、自分を見失いそうだ。


「ねえ、今日は休憩しない?」


「そういう訳にもいかないよ、書かないと読まれないからね」


 ただ、人の気配があるとなかなか進まない。

 今までも、何回か書こうとしたが、結局一文字も進まなかった。


「やっぱいいや、今日は休憩」


 そう言って、思いっきり背伸びをすると、ソファーに背中から倒れた。

 それに続いて絢香も一人分、間を開けて座った。


「ねえ、せっかくだし、たまにはどう?」


 そう言ってビニール袋から、缶ビールを取り出す。


「帰りどうするんだよ」


 「酔って帰れない」なんてなっても、寝具は一人分しかないし、理性を保つ自信もない。

 

「帰りは代行でも頼むよ、泊まってくって言っても困るでしょ? 泊まっていいんだったらそうするけど」


「······いや、帰れよ?」


 一瞬だけ、考えてしまった。

 いやいや、何を期待してるんだ。

 先程までの嫉妬はどこに行ったんだよ。


「はいはい、分かりました」


 絢香は一本目を開けると、一気にあおる。

 喉を通っていく音がここまで聞こえてくる。


「ぷはー! やっぱ美味しいね!」


 彼女はとても美味しそうに飲む。

 ついつい、つられて飲みたくなってしまうほどに。

 彼女に続いて、プルトップに指をかけ、手前に引く。

 「プシュッ」と気が抜ける音と共に、ビール特有の芳醇な香りが鼻を通る。

 それを口に当てると、一気に斜めにして流し込む。


「あーっ!」


 思わず声が漏れる。

 

「ねえ、なんか食べるものないの?」


「うーんそうだなー」


 そう言いながら、キッチンへ向かい冷蔵庫を開ける。

 すると小さな瓶に目が止まる。


「そういえばこの間、ランプフィッシュキャビア買ったぞ」


「何それ? キャビア?」


「まあ簡単に言うと、安いキャビアだ」


 一瓶約500円という安さで、キャビアが味わえる画期的な食べ物だ。

 見た目もそっくりなので、素人が食べたら、違いに気づかないだろう。

 フランスパンを薄く切り、その上にバターとランプフィッシュキャビアを乗せ、カナッペにする。


「ほい、おまたせ」


「ありがとー! おお、キャビアじゃん」


「食べてみてよ」


 絢香は口を大きく開け、一口で食べる。

 頬が膨らみ、ハムスターみたいになっていた。

 口の中にあるものを飲み込むと。


「めっちゃ美味しいよ!」


「ほんとか?!」


 カナッペをつまみ、口の中に入れる。

 ランプフィッシュキャビアの塩味を、小麦の香りとバターのまろやかさが包み込み、とても濃厚な味わいだ。


「確かにこれは美味しいな」


 ランプフィッシュキャビアも高価なものでは無いので、また買いたいとまで思わせる。


「これは止まらないよ!」


 絢香は再び、ビールを飲んでいく。

 テーブルの上を見ると、もう既に3本目だ。

 その3本目も空になろうとしていた。

 

「ちょっとペース早いんじゃないか?」


「大丈夫、大丈夫」


 空になった缶をテーブルに置くと、4本目に手をかける。

 基本的に酔っ払いの「大丈夫」は、当てにならない。

 その予感は見事的中。4本目が飲み終わる頃には、絢香の目が細くなり、全身が赤くなっていた。


「まだ大丈夫、れふよー」


「はい、今日はここでストップ」


 絢香の前にあるビールを回収していく。

 キッチンに空になった缶などを置き、ソファーに戻ると、彼女は寝始めていた。


「おいおい、起きろって」


 絢香の肩を、優しく揺する。

 彼女の寝顔に不覚にも、「ドキッ」としてしまった。


「まだ帰りたくない······」


 彼女は目を細めながら、こちらを見てくる。


「そんなこと言っても泊めないぞ」


「いいじゃんかーケチ」


 ケチも何も、最初に帰るって言ってたじゃんか。

 再び目を閉じるので、今度は強く揺する。

 しかし、今度は完全に返事がない。

 仕方が無いので、今晩は泊めていくことにした。

 クローゼットの奥にしまってある、予備のタオルケットをかけて、電気を消す。

 時計を見ると、まだ7時前だった。

 だが、酔いが回ってきたのか、睡魔に襲われる。

 片付けもあったが、それに逆らわず寝室へと向かい、そのままベットに飛び込んだ。

 


────────



 誰かに揺すられている気がする。

 目を開けると、そこには黒い人型のシルエットがあった。


「ねえ、起きてよ」


 絢香だった。


「どうしたんだよ、今何時だ?」


 明かりをつけ、時計を見る。

 もうすぐ夜中の2時を回ろうとしていた。

 

「ねえ、一緒に寝よ」


 そう言って彼女は、ベットに入り込もうとするので、それを全力で阻止する。

 普通ならドキドキのシチュエーションなのだが、今回ばかりは違う。

 吐息から漂う酒の匂い。完全な酔っぱらいだ。

 入り込むのを諦めたかと思うと、今度は勢いよく抱きついて押し倒される。

 

「おい、やめろって」


 何とか振りほどこうとするが、思ったより力が強い。

 両腕を塞がれると、そのまま顔が近づく。

 顔を横に向けるが、抵抗も虚しくそのまま柔らかな感触が口に当たる。

 ムードも何も無い、酒の味しかしないファーストキス。

 人生における大事なイベントの一つが、呆気なく終わってしまった。


「しちゃったね······」


 いや、そんなこと言っても許さんぞ。

 気づいたら酔いが覚めてきた。

 

「頼むから一旦離れてくれ」


 何とかして両腕の拘束を解く。

 すると拘束していた彼女の手が、そのまま下半身へと向かう。


「いやいやいやいや、ちょっと待とうよ」


 さすがにこれ以上はまずい。

 両手を掴み、何とか抵抗する。

 

「そんなこと言いながら、ちゃんと反応してるじゃん」


 両手を塞がれた絢香は、脚で下半身を刺激し始める。

 一瞬、それに身を委ねそうになったが、そういう訳にもいかない。

 

「おい! やめろって!」


 力を振り絞って、彼女をベッドに倒す。


「いい加減にしろよ! 今日は大人しく寝てろ!」


 つい、声に力が入ってしまった。

 彼女の目は赤く、少し泣いているように見えた。

 さすがに言いすぎたか。


「······ばか」


 そう言い残すと、彼女は部屋を出ていった。

 翌朝、目を覚ましリビングに行くと、テーブルの上に『お世話になりました』と一言だけ書かれていた。

 もう彼女と会うことは無いんだな。

 そう思っていた次の日、何事も無かったかのように、彼女は家に遊びに来たのだった。

 

 

 

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