第3話 惑星ソラリス

 今日は休日だった。ワシリーをはじめ、作業員の多くはレストランやらカフェやら、ショッピングモールで憩いの一時を過ごしていた。ワシリーはキリーと小さなカフェに入った。そこには既にワシリーのチームの作業員達が来てたむろしていた。


「やあ、皆さんお揃いで」


ワシリーは一同に挨拶する。大テーブルには、シルカとロイ、それにテオが集まっていた。


「やあ、ワシリー。それにキリーも。お前ら休日の予定は?」


シルカが二人を交互に見つめながら訊ねた。


「予定は特に無いですよ。その辺をブラブラするだけです」


ワシリーはさも当たり前、という素振りで答えた。


「シルカ、こんな閉鎖された環境で予定も何も無いだろう?」


ロイが笑いながらシルカの肩を叩く。


「まあ、確かにそうだが、皆はその閉鎖環境でどうやって時間を潰すつもりだ?」


言いながらキリーが席に着いた。


「そうだな、まあお茶して、飯を食って、プールで泳いで映画でも観るさ」


テオが少し自嘲気味にそう言ってコーヒーを飲む。


「家族と連絡取らないのか?」


キリーが皆に訊ねた。三人は皆所帯持ちである。妻と子供を地球に残して単身赴任してきたのだ。


「勿論、夜になったらTV電話で団欒するさ。まあ、電波が届くのに時間がかかるんで、スムーズにとはいかないがね。それより、お前さん達みたいな独り者は可愛そうだな。ワシリーはともかく、キリー、お前もいい加減身を固めたらどうだ? 結婚てのは中々良い物だぞ?」


テオがキリーを小突いた。キリーはフッと笑うと、


「そうかも知らんが、俺は独りの方が性に合っているんでね。それに、さっきロイが言ってた様に、こんな閉鎖環境でどうやって相応しい相手を見つければ良い?」


とため息をついた。



「お客様、ご注文はお決まりでしょうか?」


皆の会話が途切れたタイミングを見計らったかの様に、ウエイトレスがオーダーを取りにやって来た。


「そうだな、俺はブレンドコーヒーで良いや」


キリーはメニューを見ずに告げた。キリーはいつだってブレンドコーヒーしか頼まない。


「私はカフェ・オレでお願いします」


ワシリーがそう注文すると、


「お前、飲み食い出来たっけ?」


ロイが驚いた声を上げた。


「やろうと思えば出来ますよ。消化吸収は出来ませんがね。味わう事は可能です」


「じゃ、何だって今までしなかったんだよ?」


「どうせ身体を素通りして廃棄されるだけですからね。無駄だと思っていたんですよ」


「それが、どうしてまた今日は飲んでみる事にしたんだ?」


シルカが真剣な眼差しで訊いた。誰かがいつもとは違う行動をとる時、そこには何か重要なメッセージが隠されている筈だからだ。


「……皆さんは魂の存在を信じますか?」


「はあ?」


「私が思うに、魂というのは、生きている間に様々な事を経験したいのですよ。食べ物を味わう事だって立派な経験です。そしてその経験値の積み重ねが、人の知性や人格の向上を促すのです」


「お前、自分に魂があると思っているのか? アンドロイドのお前に?」


ロイが大声を上げて笑う。彼にしてみれば、ワシリーの答えはつまらないお笑いショーを見るより、笑いに相応しいというものだ。


「そう思ってはいけませんか? 皆さんだって、御自分の魂を見た事は無いのでしょう? あくまでも自分達で "ある筈だ" と信じているだけなのでしょう? なら、あなた方には魂があって、私には無い、とは言いきれないでしょう?」


ワシリーは極めて真剣な声で返した。


「そりゃあ、まあ……な」


ロイは意外な反論に会って、少々面食らった。


「良いじゃないか。ワシリーがそう思っていたいなら。どの道、誰に迷惑がかかる訳でも無いんだし」


キリーがワシリーを庇うように言った。


「まあ良いさ。こんな辺境の集積プラントで、魂なんて高尚な話題を持ち出されたから驚いただけさ。な? 皆?」


テオが皆の顔を覗き込む。


「まあそうだな。俺は魂がどうのよりも、ガッツリ稼いで、娘が成長していくのを楽しみにしてるよ」


シルカが笑った。


「それで良いのじゃないですか? 皆さんは人間ですから、結婚して子供を作り、愛を育む事が自然です。でも私にはそれは不可能ですからね。どうしても、生物的な欲求とは別の、自分が存在するための理由というものが欲しくなるんですよ」


ワシリーはそう言ってカフェ・オレを口に含んだ。まろやかな甘い風味が口の中に広がって、センサーを優しく刺激する。この暖かな刺激がAIの経験値を増やすのだ。人が何かした後でカフェ・オレを飲んで、ほっと一息ついて人心地つく。その一瞬の安らぎのために、栄養価としては大した物でもない飲料水にそれなりの対価を支払うのが人間である。そういう感覚と感情の体験を自分でも積み重ねていけば、いつか自分にも疑うことの出来ない確固たる "魂の存在感" を獲得出来る日が来るのではないか? そう考えて、ワシリーは敢えてカフェ・オレを飲む事にしたのだ。



 お茶をし終わったワシリーは、映画を観る事にした。小さな映画館の真ん中位の席に座ると、入り口で取ったパンフレットを眺めた。


「惑星ソラリス」


古典SFである。ワシリーは話には聞いたことがあったが、観るのは初めてであった。館内の照明が落ちて、辺りが暗くなると、ワシリーはワクワクし始めた。映画というのは、人間を知るのにもってこいである。端末から映画をダウンロードして観ることも可能だが、物理的なホールの観客席に座り、"日常とは別の特別な体験"という演出の中で観賞する方が、楽しみも増すというものだ。


映画は、男の亡き妻への未練に捕らわれた悲しみがテーマとなっており、それにSFとホラーの要素を織り込んだ、芸術性の高い物だった。SF映画でありながら、これ程に悲しみをたたえた物は初めてだった。ワシリーは映画が終わっても、しばらく呆然と椅子に座っていた。ワシリーはこれ程の執着とも言うべき愛は知らない。不完全な人間への思いやりとも呼べる感情はあるが、この映画に描かれているような恐怖にも似た愛は理解できなかった。そして、理解できなかったという事実が、やはりワシリーは人間とは違う、魂の無い存在なのではないか、という不安に彼を落とし入れた。



 ワシリーはすっかり自信を失って、部屋へ戻った。ワシリーはベッドへ座り込み、窓から外を見た。冷たい海王星が翡翠の様に輝いている。映画では、惑星ソラリスが幻影を送り込んでくるのだっけ。ワシリーはこの海王星にも、そんな神秘の力があるだろうか、と想像してみる。今まで作業のために入り込んだ海王星は、殺伐とした冷たい世界だった。こんな死の惑星に、神秘などありはしない……。そう思うと急に切なくなり、ワシリーは膝を抱えた。魂があるなら、肉体が死んだ後も天国だか地獄だか、どこか別次元の世界へ行けるのだろうが、魂がなければどうなるのか? ワシリーの身体が機能を止めた時が人間でいうところの死だとするなら、その後はどうなるのか? それっきり、消滅してしまうのか? そんな事は恐ろしすぎた。永遠に消えてしまうだなんてあんまりだ。ワシリーは言い知れぬ恐怖にうち震えながら、休息モードに切り替えた。

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