第23話 誕生日会(後)
短剣を振り上げて駆けてくる男。
恐怖の感情より、驚きの方が勝っていた。
何とかその男の動きを止めなくちゃ。
私は咄嗟に落雷をイメージして魔法を発動した。
ドゴォーーーーーーーーン
もの凄い轟音が響き渡り、部屋全体が振動しているかのようだった。空に突き上げた右手の人差し指からは、まだビリビリとした光が細く出ている。
目の前には短剣を握ったままの男が倒れ伏し、その体から煙を上げていた。
あれ……やり過ぎた?
いつまでも動かない男に、私は体が冷たくなるのを感じた。
「マリーーーーっ!」
私を呼ぶ声にハッとして振り返る。
ラインハルト王太子殿下!? 何で王太子殿下がここに?
訳が分からずポカンと口を開けて立っていた私を、王太子殿下はいきなり抱きしめた。
へっ?
気が付けば王太子殿下の厚い胸板に頬を寄せるような態勢になっていた。洋服越しとはいえ、王太子殿下の体温が感じられる。
こ、これは……。
「マリー」
王太子殿下は私の耳元でもう一度名前を呼ぶと腕の力を強めた。
だが次の瞬間、パッと私を離した。
「すっ、すまない。大丈夫だな? 良かった……何事もなくて良かった」
「あの。王太子殿下?」
「なんだ」
「どうしてこちらに?」
「そんなことはどうでもいいんだ」
「そう、ですか?」
前方で倒れたままの賊の側には、いつの間にか貫頭衣姿の男がいた。どうやら賊を検分しているようだったが、やおら立ち上がるとこちらに声を掛けてきた。
「あー、そろそろこの男を何とかした方がいいんじゃないですかねぇ」
私は恐る恐る、未だに煙を上げている賊の方を見た。
生きてる?
「マリー!」
息を切らしながらやってきたお兄様は、私の頭の先から足の先まで見ると安心したように私のことを抱きしめた。
今度はお兄様……。
お兄様が私のことを抱きしめるなどいつ以来だろうか? 最近は年頃の私を気遣って、むやみに触れないようにしているみたいだった。
背中に回されたお兄様の手が震えている。
「マリー。怖かったな。離れててすまなかった」
お兄様は何度も何度も頭を撫でてくれる。
「お兄様……恥ずかしいです。それよりも賊を」
貫頭衣姿の男が言っていたように、今は賊の生死を確認して欲しかった。
「あ、あぁ」
ようやく私を離したお兄様は、ぴくりともしない賊に近づくと、その男の体を長い足でごろりと転がした。
「ぅ……」
僅かなうめき声が聞こえる。
やった。生きてる!
「まだ息はあるな。これなら話が聞けるか」
「それはどうかな。派手にやられてますからね……」
貫頭衣姿の男は肩を竦めてみせた。
「騎士団、この男を連れていけ! 治療を優先させろ」
お兄様の指示に周りを取り巻いていた団員たちが賊を運んでいく。
私はついに堪え切れなくなり頭を下げた。
「お兄様! 私、私……申し訳ありませんでした!」
「マリー? 何を謝ってる」
ちょっと止めたかっただけなのに真っ黒だし、まさか人の体から煙が出るなんて思ってもみなかった。
「だって、だって私、加減を間違えてしまって……。うっかり殺してしまったかと……。もう気が気ではなくて」
深く頭を下げたけれど、声を発する者は誰もいない。
周りの空気が凍り付いていくのを感じた。
あれ?
「ははははははっ。凄いお嬢様だな」
その場の静寂を破ったのは貫頭衣姿の男の豪快な笑い声だった。
彼はつかつかと私の元へ歩み寄りすっと手をとると、流れるようにその指先にキスを落とした。
「ネーデルラン皇国カポー公爵家嫡男のマクシミリアンです。以後お見知りおきを」
言い終えるや否や再び私の手にキスをしようしたその時、ずいと前に踏み出した王太子殿下は、マクシミリアンと名乗った貫頭衣姿の男の手をぴしゃりと叩き落とした。
「どおりで見た顔だと思った。マリーに気安く触るな」
「ご無沙汰しております、王太子殿下。ほんのご挨拶じゃないですか。ひどいなぁ。」
「ふん。相変わらず気障な奴だな」
マクシミリアン様は叩かれた手を大袈裟にさすって見せた。
教会の人だと思っていたけど貴族だったのね。それにしても、こちらの事はお構いなしのこの態度。ライや王太子殿下と似たり寄ったりというか……。
「それで何て呼べばいいかな」
王太子殿下の脇からひょいと顔を出したマクシミリアン様は、めげることなく私に話しかけてきた。
「し、失礼しました。私はストランド侯爵家のマリアンヌと申します」
「それでマリーってわけか。改めまして、マリー。この春から王立学園に編入するからよろしくね」
「えっ? 王立学園ってファティマ国のでしょうか?」
「うん、そう。君と一緒に過ごせると思うと、本当に楽しみでしょうがないよ」
爽やかに笑うマクシミリアン様に、王太子殿下が思いっきり眉をしかめた。
「ところで王太子殿下はなぜこちら? 公式にいらっしゃるとは教会からも聞いていませんでしたが」
「たまたま別件があったんだ。というかそちらも訳ありなんだろ? その恰好だしな」
「はははっ。そういえばそうでしたね。これは一本取られましたね」
コホン。
事のなりぬきを見守っていたお兄様が咳ばらいをした。
「マクシミリアン様。これからポワティエ侯爵閣下に事の顛末を説明しなくてはなりません。教会側の関係者というお立場でご一緒頂けると助かるのですが」
「えぇ。構いませんよ。枢機卿からの直接派遣という立場ですから、お役に立てることでしょう」
お兄様はくるりと振り返ると、王太子殿下の耳元で何事か囁いた。王太子殿下は私をちらりと見て頷かれた。
「マリー。ポワティエ侯爵閣下にご説明が済んだら戻ってくるからね。それまで王太子殿下とご一緒にいるんだよ。くれぐれも一人にはならないように」
お兄様はそう言うと、マクシミリアン様と連れ立って出て行った。
今この大広間には王太子殿下と私、二人しかいない。改めて見回してみると、酷い有様に愕然とする。豪華なシャンデリアは床に砕け落ち、隅にあったはずのテーブルや椅子が散乱している。
はぁ。
ため息を漏らした私は、こめかみを押さえた。
「マリー」
「はい」
思わず優しく呼びかけられて王太子殿下の顔を見上げる。
だが王太子殿下は私の顔をじっと見たまま黙りこくっている。
「王太子殿下?」
「マリー。あのね、話があるんだ」
「はい」
「実はね……実は、妖精のライは僕なんだ」
ん? 今なんて?
妖精のライが王太子殿下?
妖精と人間なのに同一人物だっていうの?
そういえばストランド侯爵家の図書室で見た本の挿絵。
確か国王と妖精が並んで描かれていた。
「……妖精のライが王太子殿下なのですか?」
「僕たち王族には妖精の姿になれる者がいるんだ」
これまでのライとのやり取りが走馬灯のように流れた。
ライに向けてきた失礼な発言の数々、散々な態度……。
どうしよう。冷や汗が止まらない。
「あの、ごめんなさい!!」
「は?」
「王太子殿下とは知らず数々のご無礼、本当に申し訳ありませんでした。だから、あのぉ、不敬罪にだけは……何とか問わないで頂けると……その嬉しいというか何というか」
「そこ? マリーの気になるのはそこか。くっくっくっ。まったく、マリーは何だろうね」
お腹を抱えて笑う王太子殿下の様子に、以前お皿から転げ落ちていったライの姿が重なった。
本当にライが王太子殿下なのね。
「王太子殿下、そんなに笑わなくても」
「ごめんごめん。まぁ、マリーらしくていいかな。それにしても凄い魔法だったね」
「申し訳ありません。そちらの方もやり過ぎてしまいまして……」
「はははは。マリーほど魔法を使える人はそうはいないんじゃないのかな」
「そんなことありません。アーサー様はもっと凄いです!」
急に王太子殿下の顔が強張った。
「王太子殿下?」
「あぁ、ごめん。何でもないよ」
王太子殿下は私の頭をポンポンと優しく叩いた。
「それでね、妖精の時にも言ったんだけど、妖精が見えることは二人だけの秘密にしておかない?」
「えぇ、構いませんが……」
「あっ、それと僕のことは今まで通りライって呼んで?」
「えーっと、いきなりの愛称呼びはまずいと言いますか……。せめて外向けにはラインハルト様で妥協して頂けませんでしょうか」
「それもそうだね。じゃ、それ以外の時はライで頼むね。そうしたら不敬罪には問わないでおくよ」
「もぉーーーっ、意地悪ですね」
私のふくれっ面にライは必死に笑いを堪えている。
「マリー、待たせたね。王太子殿下もありがとうございます」
「お兄様! マクシミリアン様は?」
「今日のところはジェズ教会にお帰りになられましたよ。あちらでも説明があるそうです」
「そうなのですね。それにしてもなぜ教会に身を寄せていらっしゃるのでしょう?」
「ふん。知ったことではありませんと言いたいところですが、後できっちり確認しておきます。王太子殿下、また後ほど」
お兄様の後についていく。ライはどうするのかしら。
振り返るとライが手を上げてにっこり微笑んだ。
お忍びみたいだし、きっと妖精の姿にでもなるのかしらね。
なんか色々やらかしてしまった一日にだったけれど、怒られずに済んでホッとしていた。だけど……私は気が付いてしまった。もう1人謝らなければならない人物がいたことに。
それはもちろん誕生日会の主役――ソフィー。
会場をめちゃくちゃにして、ごめんなさーーーーい。
誕生日会を台無しにして、ごめんなさーーーーい。
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