第21話 ミゲル枢機卿
今日はいったい何の話なのか。
留学の件は皇太子殿下に依頼したばかりだが……。
枢機卿の使いに呼ばれた俺は、彼の所属する教会を訪れた。俺と同じ貫頭衣を着た男の案内で客室に通された。
「申し訳ございません。先客の対応が延びておりますので、こちらで少しお待ちくださいとのことでございます」
その男はそれだけ言うと、静かに部屋を出て行った。
それにしても豪華な部屋だな。
俺が与えられている簡素な部屋とは違い、見事な調度品に囲まれている部屋を見渡す。恐らく正式に留学扱いになるまでは、あの小さな部屋で過ごすことになるだろう。それなら今は、ここで寛ぐのも悪くない。
俺は金の装飾が施された椅子にゆっくりと背中を預けた。
その頃、枢機卿のミゲルはロートシルト公爵家の執事と教会の地下にいた。
髪をきっちりと撫でつけたその男は、薄い唇を固く引き結んだまま目の前の椅子に座っている。
「こちらが聖水でございます」
「これ、ですか……」
渡したガラスの小瓶を怪しげに見つめている。
聖水と言っても普通の水と大差ない。もし偽物だったとしても、男にそれを見抜けるわけがない。
男は諦めたように布で小瓶を包むと、そっと懐に入れた。
「どれくらいの時間、効力があるのでございましょうか」
「さぁ。それは何とも申せませぬな」
「………」
「本来、その場で確認するための聖水でございます。それ以外の使い方などしたことはございません。お答えするのは難しいですな」
何らかの答えを持って帰らねばという決意の表れだろうか。男は俯いたまま動かない。
さて、どう出るか。
「……それでは、殿下の聖水の儀式にかかるお時間なら教えていただけますでしょうか」
ほお。切り返しの上手さに関心する。
だが問題はそこではない。
まさか男の口から儀式のことが出るとは思いもしなかった。国家機密だと言うのに、公爵はどこまで話しているのか。
「ご存知とは思いますが、本来、儀式自体が秘匿にされているものです。お答えする義理はないのでございますよ」
一度言葉を切り、男の表情を窺う。
自分の意思を表に出さないことに慣れているはずの男に動揺が見てとれた。
「ですが、私とて好き好んで嫌がらせをしたい訳ではありません。そうですな、儀式にかかるお時間はだいたい一時間程でございます」
「ありがとうございます。枢機卿様のご厚情に感謝いたします」
「公爵閣下によろしくお伝えください」
男は深く頭を下げると、そそくさと扉に向かった。
聖水では大分稼がせてもらったが、そろそろ潮時だろう。公爵家にさっさと本物を始末させないと、私の身まで危うくなる。
いや、大丈夫。逃げ道は用意している。この国に未練はない。
私は待たせているネーデルラン皇国のカポー公爵子息の元へ急いだ。
「大変お待たせ致しました。カポー様」
「いや、別に構わない。ミゲル枢機卿」
「恐れ入ります」
「それで何の用件だ」
「はい、留学の件とはまた別になるのでございますが」
もう留学の話が来ているのか……。
だがそれなら本題はなんだというのか。
「カポー様が身を置かれているジェズ教会ですが、寄付集めのため、とあるご令嬢の誕生日会に出向くことになっております。そこでカポー様にもご同行頂きたいそうなのですが」
なんだそんなことか。
この程度の話なら枢機卿など通さなくても、ジェズ教会の神父が直接すればいいだろうに。枢機卿からの直接派遣という形をとったから仕方ないのかもしれないが、組織というのは面倒なものだな。さぞ神父もやりにくいだろう。
俺は彼の柔和な顔を思い浮かべて、内心苦笑した。
「なるべくお若い方に出て頂いた方が集まりがいいもので」
「構わないよ。見目麗しいご婦人方のお相手を務めてくるさ」
「おぉ、ようございました。ジェズ教会の神父には私の方から伝えておきます。その後の指示は神父からさせていただきますので」
背中に枢機卿の視線を感じつつ、俺は教会の正面に回してもらった馬車に乗り込んだ。
誕生日会か。
マリアンヌ嬢はいるだろうか。聞いてみてもよかったかもしれない。
いや、当日の楽しみにとっておこう。
俺はニヤリと笑うと、馭者に出発の合図を出した。
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