第16話 教会への慰問

 早朝の厨房で私は師匠ハサンと一緒にお菓子作りに励んでいる。オーブンの様子を見ていたハサンが振り返った。

 栗毛色の少しくせのある髪に落ち着いたこげ茶色の瞳、そして柔和な顔立ち。侍女たちの間で人気の高いハサンは、人懐こい笑顔を私に向けた。


「マリーお嬢様。型抜きはその辺にして、そろそろオーブンに入れましょう」

「わっ、ごめんなさい。天板に載りきるかな」

「余ってしまったら、こちらでも焼きましょう。マフィンの方はいい具合に膨らんでいますよ」

「ありがとう!」


 今日は月に1度の教会慰問の日だ。小さな子供たちが出迎えてくれるところを想像すると自然と顔がほころんだ。

 お菓子を前にした時の子どもたちの輝いた顔。私が自分でお菓子を作るようになったのは、そんな子供たちのために自分でも作ってみたいと思ったのがきっかけだった。

 ハサンに頼みこんでお手伝いからスタートしたお菓子作りは、少しずつ工程を任されるようになり、漸く全てを一人で作る許可が出たのは最近のことだ。何とか形になり味も素直に美味しいと思えるものが作れるようになった……はず。まぁ、子供たちがそう言ってるんだから間違いないだろう。


 慰問用のシンプルなワンピースに着替えて、冷ましたお菓子をラッピングしているところにふわりとライが現れた。


「あれ。今日はどっか出かけるの?」

「あっ、ライ」

 

 思わず袋を取り落とした私にライは首をこてんと傾げた。


「マリー?」

「うんと、教会に行くのよ」

「へぇ」


 慌てて答えた私に対するライの態度は普段通りに見えたが、先日の王城での件もあり私は動揺していた。

 アーサー様に抱き寄せられたのは王太子殿下の目の前だ。もしパタパタと飛んでいるライが同一人物だとしたら……この上なく恥ずかしい。

 妖精と人間という違いから印象は大きく異なるけれど、ライは王太子殿下に良く似ている。それにアーサー様は王太子殿下のことをライと呼んでいた。そこが一番引っ掛かっているところだった。

 ライねぇ……。

 私がいつもの癖でぐるぐると考えていると、ライがお菓子の山に向かっていった。


「僕もクッキーが食べたいな」

「こっちの割れてるのなら食べていいわよ」

「へー。僕には割れてるのなんだ」

「子供たちが優先に決まってるでしょ。食べられるだけありがたいと思ってもらわないと」

「どうせ料理人が作ったんだろ?」

「私が作ったのよ」

「えっ。マリーが?」


 ライはお菓子と私の顔を交互に見比べている。


「どう? すごいでしょ」

「マリーのお菓子、子供たち以外で食べたことのある人は?」


 は? 自慢げに言ってみせたにも関わらず、ライから返ってきたのは予期せぬ質問だった。


「いるの? いないの?」

「いないけど。それがどうかしたの?」

「ヴィーも食べてないんだ。ふーん。なら割れてるのでも食べてやらないことはない」


 お兄様のことまで出してきて一体何だというんだろうか。ぷいと横を向いたライの顔は赤くなっているようにも見えた。私は脇に避けていた割れたクッキーの中から手ごろなサイズの物を選ぶとお皿に取り分けた。

 

「さっ、召しあがれ。見た目は確かにあれだけど、味の方は保証するわ……たぶん」

「たぶん……なのか?」

「別に無理して食べなくてもいいのよ」

「ごめんごめん。もちろん食べるよ」


 お皿にちょこんと座ると、意を決したようにクッキーに齧りつくライを観察する。

 うーん、やはり同一人物には思えない。そうよねぇ。王太子殿下のわけないか。


「これ意外と美味しいな」


 失礼なやつめと思いつつも、クッキーを抱えて見上げる姿にきゅんとする。

 あぁ、可愛い。


「そうそう教会だけど、僕も一緒に行くことにしたから」

「えっ? ついて来ても何も面白いことなんてないわよ?」

「マリーがしっかりやってるか僕が見てあげるよ」

「はいはい。邪魔だけはしないでよね」


 いつもの軽口にまたかという顔でライを見た。


「マリー」


 そんな私にライはやけに真剣な顔付きで呼びかけた。


「な、何よ」

「マフィンも食べていいか?」


 拍子抜けした私はクリームのはみ出しているマフィンをライに押し付けた。その重さにライはマフィンごと落下していった。ふふふっ。





 足をぷらぷらさせているライを右肩にのせたまま馬車を降りる。西区の中心にある教会に到着した。いつものように司祭様が出迎えてくれたが、挨拶など待っていられない子供たちに直ぐ囲まれてしまう。


「マリーお姉ちゃん、お菓子は?」

「僕が先だぞ」

「お姉ちゃん、抱っこー」

「ふふふ。みんな元気にしていた? でも、まずはお勉強からよ」

「うへぇ」

「わがまま言わない。ちゃんとやったらお菓子が待ってるわ」

「はーーい」


 子供たちには簡単な読み書きや計算、それにマナーなどを教えている。少しでも未来に選択肢が増えるようにと思ってのことだ。最初は嫌がっていた子供たちも自分の力で出来ることが増えていくとそれが自信につながるらしく、最近では自発的に行う子供も出てきたと司祭様が言っていた。


「思ったよりちゃんとやってるんだな」


 パタパタと肩から降りながらライが言った。


「寄付だけしてても意味ないでしょ?」

「そうだけど。マリーは熱心だよな」

「そお? みんな似たような事はしてるんじゃない?」

「僕は知らないかな」

「ふふふ。まぁ、ライは妖精だから」

「何だよそれ」


 そろそろ子どもたちも勉強に飽きてくる頃だ。お菓子の出番かしらね。

 

「マリアンヌ様。食堂の準備をいたしましょうか」


 タイミングを見計らったように司祭様が声をかけてくれたので準備に取り掛かる。教会の人たちや子供たちにも手伝ってもらい、食堂の大きなテーブルにお皿を並べていく。その中に見知らぬ男性がいた。彼の着ている衣服から教会の関係者だとは思うが、この時期に新規の配属はとても珍しいことだった。


「司祭様、あの方は新しく配属された方なのですか?」

「お気づきになられましたか。彼は枢機卿から派遣された方でございます」


 司祭様の説明によると西区を統括している枢機卿が派遣してきた人物で、とにかく良く気が付き何でもそつなくこなすそうだ。今まで枢機卿が直接教会の運営に関与してくることは稀だったため最初の内は警戒していたが、それは杞憂でしたと司祭様は笑われた。

 国からの援助は一緒なのに教会によって差異があることは私も認識していた。もし枢機卿が動いたというのならば、ここの子供たちの未来も明るいかもしれない。


 席に着いた子供たちは感謝の祈りを捧げ終わると、待ちきれないとばかりにお菓子に手を出した。手や顔をクリームだらけにしている子やボロボロと欠片を落しながら頬張る子、みんな決してお行儀が良いわけではないが曇りのない笑顔が私に元気をくれた。

 

「それじゃ、みんなまた来月ね」

「マリーお姉ちゃん、またね」

「お菓子だけでもいいぞー」

「もう。勉強もちゃんとしなさいよ」

「マリアンヌ様、本日もありがとうございました。またお会いできるのを楽しみにしております」 


 ライがパタパタと右肩に戻ってきた。ふふ。何だかここがすっかり定位置になっちゃったわね。司祭様に見送られて私は馬車に乗った。




 

 衣擦れの音をさせて、男はそっと教会の中に戻る。枢機卿が派遣したその男は、マリーの様子をずっと観察していた。


 透き通るような銀の髪に秋の空のような青い瞳。静謐な雰囲気を醸し出し、見る者を惹き付けて止まない。

 美しいというのが最初の印象だった。興味本位で引き受けたが、これは役得だったかもな。さて、あのお方にはどう報告しようか……。俺は今後についてどう動くべきか考えていた。

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