第15話 あの日の天使

 ヴィーがずっと喚いている。兄上がマリーを抱き寄せたからだ。それに僕についてもなんだかんだと言っている。だけど僕は、僕だって驚いたんだ。

 マリーの肩に手を置こうとした瞬間、僕の目の前にいたはずの彼女は兄上の腕の中にいた。あんなに感情を露にした兄上を見たのは初めてだった。




 10歳の誕生日。妖精の姿になれた僕は、違う自分になれる気がして嬉しかった。

 兄上は何でも出来る人だったから、いつも自分は駄目なんだと思っていた。だけど妖精になれた日、お前が次期国王になるのだと言われた。なぜ兄上ではなくて僕なのか、理由はさっぱり分からなかった。父上や母上が僕を見る目はなんだか悲しそうだった。

 城に帰ってそうそう僕は兄上に妖精の姿になれましたと伝えた。だが喜んでくれると思った兄上は、その日以来僕と距離を置くようになった。あれほど可愛がってくれていたというのに。

 一人の時間を持て余すと僕は妖精の姿になって城を抜け出すことが多くなった。誰にも咎められることなく王都を散策するのは気分が良かった。だけど僕は誰からも認識してもらえなかった。僕は一人だった。


 そうこうしているうちに国王になるための勉強が始まり、僕の時間の大半はそれに費やされた。僕は期待に応えられるよう必死で頑張った。だけどそんな僕に教師陣はいつも言った。


『アーサー殿下はもっとお出来になられましたよ』


 僕だって分かっている。兄上に敵うはずがないのだ。兄上はいつも完璧だったのだから。

 そんなある日母上がお茶会を開くと言う。僕の将来の伴侶が決まるかもしれないと。どうやらその人は僕の妖精の姿が見えるらしい。きっと僕の見方になってくれるに違いない。僕はその日を心待ちにしていた。


 お茶会当日。母上と妖精姿の僕は各テーブルを回っていった。今日はどうやら母上にも僕の事が見えているらしい。僕の心は久々に軽くなっていた。最後に回ったテーブルで僕は天使を見つけた。銀糸のように艶やかな髪のその子はお菓子をパクパク食べていた。今まで回ったテーブルではお菓子に手を付けている子は一人もいなかったから、自然体でいる様子にとても驚いた。

 その時僕は何かに押されてよろめいた。視界の端で天使の目が大きく開かれるのが見えた。僕はパタパタと羽ばたいて、押して来た方に向き直った。そこには僕みたいな金髪碧眼の子が人差し指を伸ばして微笑んでいた。そうかこの子がやったのか。この子には僕のことが見えているんだ。

 母上は見える人が伴侶だと言っていた。それじゃ天使は? 僕は急いで振り返った。だが天使は母上の顔を見ているようで、僕と視線が合うことはなかった。天使は何に驚いていたんだろう。てっきり僕は天使こそが見える人かと思ったのに。

 母上は金髪碧眼のお人形のような子に満面の笑みを浮かべた。そして侍従に何事か告げるとお茶会は終わりになった。


 そして僕はコレットと婚約した。僕の隣ではにかんでいるコレットはとても可愛かった。兄上がファティマ国を出てネーデルラン皇国に留学してしまうと、僕にはもうコレットしか残されていなかった。この子のためにも立派な王になろうと頑張った。お互いをライ、コティと愛称で呼び合うようになり、僕たちの将来は明るいはずだった。

 だがいつの頃からだろう、コティは苦しそうな表情を見せるようになった。僕に至らない点があれば遠慮なく言ってくれと頼んだ。だけどコティは首を横に振るばかりで何も言ってはくれなかった。唯一の見方であるはずのコティに僕は拒絶されたことを知った。

 徐々に僕たちの溝は深くなっていった。二人だけで過ごす時間はなくなり、表向き仲が良いように見せるのだけが上手くなっていった。


 その頃あのお茶会の日の天使を思い出すようになった。あの天使は今頃どうしているのだろうか。

 僕の伴侶はコティだというのに、天使のことを考えている自分が嫌だった。僕はコティの顔をまともに見られなくなっていた。そんな僕の態度にコティの顔から表情がなくなっていった。


 妖精になれて嬉しいはずだったのに、兄上もコティも僕から離れていってしまう。


 妖精がなんだっていうんだ。

 僕は別に妖精になりたかったわけじゃない。

 ただみんなに認められたかっただけだ。


 ある朝コティの死が知らされた。

 きっと僕のせいだ。僕が妖精なんてと思ったから、罰としてコティが連れて行かれてしまったんだ。


 コティがいなくなって虚無感だけが残った。僕のこれまで積み上げてきたものが何もかく無くなってしまったかのような気がした。もう妖精も国もどうでもよかった。次の目標を見つけられる気がしなかった。僕に唯一出来ることは、今まで通りにしていることだけだった。それを薄情だという人もいたが、僕にはそうする道しか残されていなかった。


 だが直ぐにとんでもない話が持ち上がった。僕が未だに妖精の姿になれるのはおかしいのではないかと。そんなこと言われても妖精になれるものは仕方がないじゃないか。すると今度はコティが偽物だったのではないかという話になった。コティが偽物だったら何だというのだろう。コティは既にこの世にいない。僕は騙されたと怒ればいいのか? 一体誰に。


 他に見える者がいないか探しましょう。


 宰相のケルンはそう言った。その時僕の脳裏に銀糸の髪の天使が浮かんだ。あの天使に会いたい。ただそう思った。


 僕はお茶会メンバーのリストを手にすると即座に行動を起した。別に次の相手が欲しかったわけじゃない。会えればそれでよかった。そしてストランド侯爵邸に行った日、僕は美しく成長した天使を見つけた。あぁ、この天使が僕のことを見れたならどんなに幸せだろうか。僕に欲が生まれた。僕は足繁く通い、注意深く観察した。そしてついに確証を得た。やはり天使には僕のことが見えている。そうとわかった時、僕はこれまでにないくらい満ち足りた気持ちだった。





 王宮の回廊で兄上とマリーが二人で歩いているのを見た。なぜだか胸が痛かった。マリーには妖精以外の姿できちんと会ったことはない。僕はマリーとどうやって向き合っていけばいいのだろう。

 確かに探していた天使に会うことは出来た。妖精だとか偽物だとか周りは煩く騒いでいる。次のお相手とは何なのだろうか。妖精の加護がそんなに大切なものなのか。コティと築き上げた年月に比べて、マリーと知り合ってからまだ日も浅い。僕が望んでいることが何なのか、僕にはまだよく分からなかった。

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