第10話 野菜は小さく
夕食のために食堂に向かっている。聞こえてくるのは陽気な鼻歌。
いや、私ではない。
ここのところお兄様は忙しいらしく、ほとんどお顔を合わせることがなかった。そんなお兄様と夕食をご一緒出来ると聞いて喜び勇んで向かっている……かと言うとそうでもない。
なぜならそれは私の右肩に座って上機嫌で鼻歌を歌っているライのせいだ。
あれからライは宣言どおり私と行動を共にするようになった。それで確かになったことは私には見えるライの姿は、不思議なことに他の人には見えないということだった。声もまたしかり。だがそうと分かっていてもライと一緒だとバレてしまうのではないかと冷や冷やする。
今日は家庭教師の先生とお勉強をしていると、ひょっこりとライが現れた。私がげんなりとした視線を送っている間も、先生はファティマ国辺境の北の森は隣国との境であり防衛の要であると説明を続けている。
「先生。あの森の何が防衛に役立っているのでしょうか」
「マリー嬢。北の森の魔素は濃く魔獣の住処と化しているのです。そんな所に兵を進めようものなら、あっと言う間に餌食にされてしまうでしょう。だからあの森は天然の要塞と言われているのです」
「でも魔獣がいるのは森の奥だけなのですよね? 美しい泉もありましたし、素敵なお花も群生していましたし」
「安全なのはごく入り口付近の話です。あの森は広大で少しでも分け入れば魔獣の巣窟なのですよ。もちろんアーサー殿下のような魔術師であれば魔獣の駆逐など造作もないでしょうが、喜ばしいことに隣国にはそのような人材はおりませんからね。それでは今日はここまでと致しましょう」
さすがアーサー様だわ。私はまるで自分が褒められたかのように嬉しかった。それにしても北の森がそんな危険な所だったとは……きっとアーサー様はあの森で私を見かけられた時、驚ろかれたのではないかしらね。ふふふっ。
先生がお帰りになられると、寝転んで頬杖をついていたライが体を起こした。
「マリー、何だか嬉しそうだね」
「もろちんよ。だってアーサー様のお話が出たんですもの」
「ふーん。マリーはアーサーの事が好きなのか?」
「呼び捨てにするなんて失礼よ。だいたいアーサー様を嫌いな人なんている訳ないでしょ。それよりライはいつまでいるつもりなのよ」
「冷たいなぁ。もうちょっと僕と一緒にいたいなぁとか思わないの」
「は? ライと一緒にいて何のメリットがあるって言うのよ」
「メリットねぇ。この前外国語の授業の時に答えを教えてあげただろ? もう忘れたの?」
「うっ。そんなこともあったかしらね。でもあれはうっかり忘れただけだし。とにかく今日はお兄様と一緒に夕食なんだからさっさと帰って」
「ヴィーも一緒なのか。なら僕も行こうかな」
「なんで? それにまたお兄様のこと勝手に愛称呼びしてるっ」
ライとの不毛なやり取りの後の食堂。
いつも通りお兄様の隣の席についた私だが、肩にいるライが気になって仕方がない。それでもお腹は空いてるわけで、前菜のお皿にあった生ハムを口に運ぶ。
「僕も食べたいなぁ」
「えっ、妖精って人間と同じ物を食べるの?」
「どうなんだろ? 僕は食べるけど」
「……」
仕方なく小さく切った野菜を、同じく小さく切った生ハムで巻いてお皿の端においた。
「マリーは優しいねぇ」
「いいから、さっさと食べなさいよ」
ライは私の肩口からパタパタと飛んでいくと、野菜の巻かれた生ハムに嬉々としてかじりついた。さすがに妖精サイズのカトラリーはないから、かじりつくしかないんだけど……。この姿、何ともきゅんとする。
「マリー、随分と細かく切ってるみたいだけどサラダは嫌いだったかな」
突然お兄様に話しかけられてギクッとする。ライとの会話は小声にしていたつもりだけど、さすがに隣に座っているお兄様には聞こえていただろうか。その無駄な観察眼、今だけは止めて頂けないものかしら。でもやはりお兄様にもライは見えていないことにホッとする。
「いえ、サラダは好きです。ただナイフとフォークの限界を試しているんです」
取り澄まして答える私の様子を見たライは、お皿の脇でお腹を抱えて笑っている。
「そう、なの? まぁ無理のないようにね。最近独り言が多いってケイトも心配していたし」
「……ありがとうございます。悩み事が出来た時はお兄様に一番に相談しますわ」
「うん、そうだね。マリーのためなら、いつでも時間は作るからね」
ライが笑い転げてテーブルから落ちていった。
まったく誰のせいだと思ってるのかしら。
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