第7話 偽者

『ラインハルト様は本当にお優しくて』

『ラインハルト様から素敵なプレゼントを頂いたのです』

『ラインハルト様の正式な婚約者になれました』


『お父様、私本当に幸せです』


 その頃、確かに我が娘コレットは間違いなく笑顔だったのだ。

 だから……。

 私はすっかり安心しきっていた。



『私は、ラインハルト様に本当に相応しいのでしょうか』

『私は、いつまで聖水を飲まなければならないのでしょう』

『私は……』


 コレットの様子がおかしいという訴えに、私は耳を貸さなかった。

 娘は幸せに決まっている。

 私がラインハルトと結ばせてやったのだから。

 


『お父様、私は、偽者なんですか?』



 コレットは虚ろな目をして無表情でいることが多くなった。

 気が付いたのは、いつからだったろう。


 結婚式が近づくにつれて、娘の顔は苦痛に満ちていった。

 ウェディングドレスの採寸も済ませているというのに。コレットは何に脅える必要あるというのだ。妖精だって見えているじゃないか。

 娘は偽者なんかじゃない!


 ドンッ


 再び机にこぶしを振り下ろした時、家令が呼びにきた。


「旦那様、馬車のご用意が出来ました」

「……わかった。直ぐ行く」


 教会までの道のりはさほどではない。

 周りの景色を気にする間もなく、教会の正面に止まった。しかし降りようと腰を上げかけた時、馬車は直ぐに動き出した。


 教会裏の小さな入口を潜る。

 案内されたのは粗末な洗礼室だった。簡素な作りの祭壇と、いくつか置かれた丸椅子だけの部屋である。


「お悔やみ申し上げます。閣下」

「挨拶はいい、枢機卿。なぜ娘は死んだ」

「いきなりでございますか。まぁ、おかけ下さい」


 でっぷりした腹の枢機卿は粗末な木製の丸椅子を勧めた。


「閣下のご息女が、なぜ亡くなられたかと問われましても……。教会は医者ではございませんので、死因まではわかりかねます」

「なんだと」

「ひと月前も申し上げた通り、あの聖水は毒でもなんでもありません。ただの聖水なのです」

「だが、しかしっ」


 制するように枢機卿が左手をすっと上げた。


「それより、閣下。あなたに申し上げなければならないことがございます」

「……」

「このような時期に教会を訪れるなど、あまり得策ではありませんな」

「なんだとっ!?」

「お考えにもなってみてください。冷たいことを言うようですが、所詮ご息女は偽者なのです」

「偽者だとっ」


 私はぎりりと奥歯を噛んだ。

 だが枢機卿の言う事を否定出来るはずがなかった。私自身、心の奥底ではわかっていたことだ。

 そんな私を宥めるかのように枢機卿は甘い声を出した。


「しかしその事実を知るものは限られております」

「私に何をしろと……」

「もし仮に本物が見つかれば、王家はどう思うでしょうな」


 ミゲル枢機卿は手を首元で横に引いて見せた。


「そんな……私はコレットの幸せのために……」

「娘のためなら許されるとでも? 国家機密の漏洩ですぞ。謀反を企てていたと思われても不思議ではありますまい。既に閣下も私も犯罪者でございますよ」

「!!」

「早急に本物を始末なさい。本物がいる限りコレット様は永久に偽者のままでございます」


 ミゲル枢機卿の目の奥が鋭く光った。

 コレットの弾むような笑顔が脳裏にちらついた。娘を偽者にするわけにはいかない。娘にはずっと幸せでいてもらわねば……。

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