第5話 担う者と寄り添う者
マリーがケイトの話そっちのけで、10年前の出来事を振り返っていた頃、朝食を終えた兄ヴィンセントは、父――ケルンの執務室で向かい合っていた。
このところ王家では大問題が発生しており、宰相であるケルンは建国以来初めてではないかという出来事の対応に忙殺されていた。
事の発端は、1ヶ月程前のことである。
ロートシルト公爵家ではいつも通り専属侍女が、コレット嬢の私室に朝の支度のために向かった。ところが、いくらノックしても応答がない。かつて一度たりとて寝過ごすことなどなかったお嬢様である。
その侍女は嫌な予感しかしなかった。その予感を頭から払いのけるように、幾度も声を掛けてみたが、いっこうに返事がない……。
侍女は慌てて家令を呼びに行った。
ロートシルト公爵が家令を伴い、マスターキーを使って部屋の扉を開ける。逸る気持ちを押さえ部屋に入った一同が見たものは、ベッドに横たわるコレット嬢の姿だった。
ほっと胸をなで下ろしたのも束の間、コレット嬢に駆け寄った侍女が青い顔をして振り返った。
「旦那様……。コレット様が、い、息をしておられません」
「なんだと! どけっ。私が確認する。コレット、コレット!」
しかし呼べど叫べどコレット嬢が反応することはなかった。
「医者を呼んで参ります」
「いや、教会に使いを出せ」
「教会でございますか?」
「枢機卿をお呼びしろ。早くっ」
「か、かしこまりました」
慌てて部屋を出て行く家令を見送った公爵は強く拳を握った。
(なぜだっ。何もかも上手く行っていたのに)
本来であれば直ぐにでも王城に知らせるべきなのは分かっていた。何故ならコレットは王太子の婚約者なのだから。しかし、それでは……。今は枢機卿が頼みの綱だった。
翌早朝の王城。
顔色を失った公爵家の使いが一人、ひっそりと訪れた。
先ぶれもない登城に、だからこそ、それが緊急なことなのだと思わせた。密かに王家のプライベート空間に通された使いの男が述べたことに、その場にいた一同が啞然とした。
「コレット様が亡くなられたというのは確かなのか」
「はい、昨日の事でございます。ご連絡が遅くなりまして申し訳ございません」
心痛な面持ちで話しをした使いの者に、誰もがしばし言葉を発することができなかった。
どれ程の間があったのだろうか、ようやく宰相のケルンが問いかけた。
「それで死因は」
「それが……目立った外傷などもなく。我が公爵家のお抱え医師にも診させたのですが、要因は特定できぬとのことでして……」
皆それぞれ思うことがあったのは確かだった。再び沈黙が支配するかに思えたその時、それを破る声があった。
「そうか……。ロートシルト公爵に私からもお悔やみを申し上げてくれ。それと、コレット嬢の死因については、王家でも確認したい旨伝えて欲しい。よろしいですね、陛下」
国王を促したのは、その場に最も相応しい言葉を選び抜いたラインハルトだった。
「あいわかった。ロートシルト家には後ほど王家の医師を向かわせる」
陛下が頷かれたのを合図に、公爵家の使いは深く一礼し、その場を辞した。
後に残されたのは、国王、王妃、ラインハルト王太子と、宰相ケルンの4名。
「ライ、すまなかった。お前が一番辛かろうにな」
ラインハルトは小さく息を吐いた。
「いえ、陛下が謝罪されるようなことでは……」
「選ばれし妃が亡くなるなど、そんなことがあっていいものですかっ」
気丈に振る舞うラインハルトを見て王妃は肩を震わせて言った。
「見えるのは一人きりなのですよね。今までにこのような事例はあったのでしょうか……」
誰に問うでもなく呟いた宰相ケルンの言葉に答えたのは国王だった。
「見える者は一人だけだ。私が伝え聞いている限り、その唯一の者が結ばれる前に亡くなった例は無かったはずだ。だが現に事は起きている。過去の文献をあたり解決の糸口がないか調べることを命ずる」
まだ春も遠い曇天の下、ご成婚間近だったラインハルト様の婚約者――コレット嬢の葬儀は厳かに行われた。
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
弔意を示す三度の鐘が鳴り響く。
参列していたケルンは重く垂れこめる空に、心まで押しつぶされるような気がしていた。
「それで父上、その後の状況は」
「あぁ、それなんだけどね。魔術師長が言うことがね……」
「なんとおっしゃられたんですか」
『国を担う者は一人。それに寄り添う者も一人。これは悠久の理に、不変の対なり。何者も侵すべからず。担う者なかりせば、寄り添う者なく。寄り添う者なかりせば、担う者ただ人となる』
父の顔には、疲労が色濃く浮かんでいた。国内最高齢の魔術師長は、いわば生き字引だ。俺はその言葉の意味を考えた。
寄り添う者がいなかったなら、担う者はただの人となる……。
「父上。『ただ人となる』とは、どういう意味なのですか」
「……代々家督を譲る時に伝えることになっているのだが、そうも言っていられないね。王になる人間――つまり担う者は妖精の姿になることが出来るんだ。そして、その姿を見ることが出来るのは、唯一、寄り添う者とされている。まぁ、一時的に見る方法はあるんだけれどね。とにかく、『ただ人となる』とは、もし寄り添う者がいなくなったら、ただの人間になる。つまり妖精の姿にはなれなくなるのではないかと……。まぁ、あくまでも仮説だ。何せ前例がないからね」
「妖精ですか……」
突然、妖精だと言われても膠には信じられなかった。だが真面目な顔をした父が淡々と続けた話によると、ファティマ国の王家の血筋を引く男子は、皆必ず10歳の誕生日に精霊の儀式を受ける。そしてその儀式で妖精の姿になった者が、次の王と定められるのだそうだ。
なるほど、だから第一王子であったアーサー殿下ではなく、第二王子であったラインハルト殿下が王太子になられたのか……。
アーサー殿下はラインハルト殿下の5歳年上で、弟思いのとても聡明な方だ。兄弟仲もとてもよろしく、ラインハルト様が立太子されるまでは、誰もがアーサー様が王太子になられると思っていた。
マリーの事も随分と目をかけてもらっていただけに、妖精の話を聞いた今、何だか居たたまれない気持ちになった。
「それで王太子殿下は、妖精の姿になれなくなったのですね」
「いや、それなんだけれどね」
父は一旦言葉を切ると、俺の顔をまじまじと眺めた。
「妖精になれるんだ」
「はっ? しかし、それでは……」
俺はその意味を考え戦慄する。
妖精になれるということ、それは、寄り添う者はいなくなっていないということ。つまり、まだ生きているということになる。
しかし寄り添う者が生きているということは、コレット嬢はそうではなかったということではないのか。なぜ、そのような間違いが起こったのか。それは偶然なのか、故意なのか。そして本物の寄り添う者は今どこにいるのか。
「ヴィー。まずは、10年前の王妃様主催のお茶会メンバーからあたってみなさい。寄り添う者がその中にいるとは限らないがな。私はロートシルト公爵家周辺を探ってみよう」
「はい、父上」
「ただし気を付けて。ヴィーも知っている通り、お茶会メンバーにはマリーも含まれていた。万が一にもマリーの身に何かがないようにしなさい」
「もちろんです」
偽りの寄り添う者。もしそれが故意に作りだされたのだとしたら、随分ときな臭い話だ。その辺りのことは当面父上にお任せするとして、俺は本物の寄り添う者を探り出すべく執務室を後にした。
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