第4話 王妃様のお茶会
そもそも妖精を最初に目にしたのは10年前、私がまだ5歳の時のことだ。
その日は王妃様主催のお茶会で、上位貴族のご令嬢が軒並み集められることになっていた。私も招待されていたおかげで、早朝から屋敷内はその準備に追われていた。
いつもよりも早い時間に起こされた私は、神妙な面持ちのお父様に呼ばれて初めて執務室に入った。重厚な扉が背後でバタンと閉まると、不安が押し寄せてくる。
お父様以外は誰もいない。静まり返った部屋でいつもと違う硬い表情を浮かべたお父様の様子に自然と私は押し黙った。両手をギュッと握りしめる。その場に立っているのがやっとだった。そんな私をじっと見据えたお父様は、口元を緩めて静かな声で話し始めた。
「いいかい、マリー。王妃様のお茶会だからと言って緊張することはないからね。普段通りのマリーでいいんだよ。ありのままのお前でいなさい。怖がらなくていい」
「はい、わかりました。お父様」
王妃様はそんなに怖い方なのだろうか……。返って緊張しそうな気もしたけれど、とにかく早くこの場を離れたくて大人しく返事をした。
「じゃ、行っておいで」
漸くいつもの笑顔になったお父様は、私の頭にポンと手をおいた。
部屋に戻った私に、やれ湯あみだ、マッサージだと、緊張する間もない程のスケジュールが待ち構えていた。この日のためにと誂えたドレスを漸く纏って解放された思ったのも束の間、お兄様が「あぁ、マリーはかわいいなぁ」と私の手を引いて屋敷中を自慢して回った。おかけでお茶会の会場である王城内の庭園に着いた時には、私は既にぐったりとしていた。
「マリーの席は、ここみたいよ」
お母様の鈴を転がすような声に促されて、私は着席した。
向かいの席には、金髪碧眼のお人形みたいな女の子が座っている。あまりに綺麗で目が離せない。だけどあんまりジロジロ見るわけにもいかずそっと視線を外すと、お母様が耳元で、ロートシルト公爵家のコレット様よと小声で伝え、私の側から離れていった。
子供だけになったテーブルで、私は改めてコレット様の様子を窺った。精巧に作られた置物のようで、ただ座っているだけだというのに彼女には華があった。
「今日は、みなさんよく来てくださったわ」
大きくもないのによく通る声に、子供たちの視線は一斉にその声の主に向けられた。艶やかな髪を結い上げ豪華なドレスを纏ったその人物は、子供たち一人一人の顔を確認するかのように見ると「楽しんでいってね」と続けて声を発した。
その方の放つオーラに私が呆然としていると、コレット様がすっと立ち上がりカーテシーをした。それを合図にしたかのように各テーブルにいた子供たちも立ち上がりカーテシーをしていく。あぁ、そうか。この方が王妃様なのか。私も遅まきながら立ち上がるとそれに倣った。
「さぁ、みなさん。お茶を頂きましょう」
庭園の隅にずらりと並んだ王宮侍女達が一斉にお茶を淹れ始める。
緊張が解けたのか、ガーデンテーブルで畏まっていた子供たちがざわざわとし始めた。どのテーブルも2~3人ずつ座っていて、それらのテーブルを王妃様が順番に回っていかれるようだ。
私のところにお茶が運ばれてきた。テーブルに並べられている色とりどりのお菓子を見回す。大好物のいちごのタルトを発見した私は、遠慮なくそれに手を伸ばした。
わぁ、美味しい。やっぱり王宮のいちごって普通のと違うのかな?
いちごタルトが呼び水になったのか、お腹が鳴りそうな気配を感じる。そういえば、朝から何も食べていなかった。睡眠を優先した結果、食べる時間が無くなってしまったのだ。ケイトからはお腹が鳴っても知りませんからねと言われたが、確かにこの場でそれはまずい。私は迷わず次のお菓子の物色を始めた。
一方、コレット様はといえば、お上品にお茶を口にするだけで、お菓子には一つも手をつけていない。
美味しいのに。それとも、緊張しているのかな。ピンク色のマカロンを口に運びながら観察していたところに、王妃様がいらっしゃった。
パタパタパタ。
ん? これは……。
私の目に飛び込んできたのは王妃様ではなく、王妃様の腕のあたりで羽ばたいている妖精の姿だった。お腹が空き過ぎて頭が働いていないのだろうか。目をしばたたいてみたが、妖精の姿は消えない。
依然としてふわふわ浮かんでいる妖精は、羽が生えていることを除けば、絵本に出てくる王子様のような恰好をしている。
本当に妖精?
妖精って伝説じゃないの?
なんでいるの?
当然、答えなど出る筈もなく考えるのが面倒になった私は、王妃様のお話に集中しようとした。だが飛び回る妖精のせいで、一つも耳に入ってこない。仕方なく張り付いたような笑みを浮かべていた私の視界に、今まで完璧な姿勢を保たれていたコレット様の動く姿が映った。
コレット様は王妃様に向かってすーーっと手を伸ばしていく。
何をするつもりだろう。
その手の先を追っていくと、コレット様は人差し指で……あろうことかパタパタと羽ばたく妖精を突っついた。
えっ、噓。
少しよろけた妖精は、パタパタと姿勢を戻す。
良かった。やっぱりあの妖精、存在しているんだ。
コレット様が触れたことで妖精が幻ではなかっと分かり私はほっとした。
王妃様はそんなコレット様の様子をご覧になられ満面の笑みを浮かべると、控えていた侍従を目線で呼んだ。すべるように滑らかな動きでやってきた侍従に、王妃様は少し開いた扇で口元を隠しながらそっと何かを伝えた。侍従は緊張した面持ちのまま王妃様に深く一礼すると、庭園から即座に立ち去っていく。
それを見た瞬間、私は心に決めた。
うん、妖精は見えなかったことにしよう! だって、ものすごく面倒そうだもの。お父様も言っていたじゃない。ありのままの私でいいって。
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