「いやぁ、助かりますね。こちとら増税不況から人手が足らなかったもので……」

 机の上に置かれた書類を手に取って、率直な感想を述べるマスク男。

「○×大学、聞いたことがある。たしか、偏差値七十五は超えてるとこだよね、いやぁ……素晴らしい学歴だね」

 店長のお世辞を聞いて、中村康太こうたは「ありがとうございます」と、礼儀正しく頭を下げた。

 店長の身なりは乏しく、服の至るところには飲食店らしい油シミがてんてんとついている。このご時世なのに、衛生に気を配っていないな、と中村は感じた。


 とあるラーメンチェーン、その店内で、年も幾ばくも離れていない顔の表面に張り付いているのは、慇懃の仮面。

 が、そのじつ中身はどうなのだろう。

 店長は自分よりも紙面のほうに、それも履歴書のとある欄のほうに目を配っているらしい。相手の興味も解る。そこにはこう書いてあるからだ。


 職歴。youtuber 二年。

 チャンネル登録者数は二万とんで二千人。日付欄には二か月前に一身上の都合により退職――と記載してある。


「……いやぁ、お互い大変ですなぁ。コロナで」

「ええ。いつになったら終息するんでしょうと、いてもたってもいられません」

「まあ、だからこちらに来たってことで……それでいいんですよね?」


 有名大学を卒業して、二年って。しかも動画投稿者なのに『一身上の都合により退職』って。こんなもの書いて恥ずかしくないの?――とでもいうような目付き。

 明確な蔑視べっしが隠されている。確かに登録者数は若干盛っている。たかがバイト面接なんだから、盛ってなんぼだろう。

 中村は愛想を浮かべて流し、返した。その後、いくつか定番の質問がなされ、面接はお開きとなる。

 シフトを聞かれ、いつでも大丈夫です、と返すと、

「ああ、それは助かるね。だ」

 と、店長は笑顔を浮かべた。一瞥いちべつの目線は店内に向けられていたのに。

 コロナの影響で不況が続く外食産業。ここも例外なく、時短営業の閑古鳥がうるさくかあかあ鳴く。

 嘘をつくのが下手くそだろ、と思いつつ、中村は外に出て自嘲の空を仰いだ。


 午前にはなかった雨雲が流れている。

 住宅地のほうからやってきて、たちまち雨が降ってきた。バケツがひっくり返したような、ゲリラのような夕立。いや、夕立のようなゲリラか。

 自分の直観より天気予報を信じた中村は、あいにく傘を持ってきていない。春の豪雨に成す術を持たず、しばらく店の軒先で雨を待つことにした。

 どんどんと水嵩みずかさを増す駐車場には、アスファルトの上で泡立った白いものが生まれ流されていく。

 広い水たまりから動き出して勾配通りに導かれ、先で渦巻くそれに向かって流れ出す。桜の花びらで詰まった側溝に、泡はゆっくりと流れていく。


 ――いっそコロナにかかればいい。あの泡は、俺たちの行く末だろう。

 終わりの見えない新型コロナを無数の雨に重ね、泡の行く末をじっと凝視する。

 予定運命に抗うように、桃色でまごついた泡だったが、ついに側溝の隙間に吸い込まれてしまった。けれども新たなる白い泡が、遠くのほうで列に並んで待っていた。


「これで落ちたら七回目、か」

 一週間以内に連絡が来なければ、の話だが。中村は蒸れたマスクを剥ぎ取り、スーツに付着する雫を払い落す。

 表面についた雫がいくつも飛んで、まだ雨に侵略していない軒先を小さく濡らした。

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