マスク

 コロナひとつでどうしてここまで退化しちまったんだろう。

 世の中はあからさまにピリピリしすぎだ。江戸時代の五人組制度がネット文化と併合して大規模な変革を通じて頭がバカになっている。これでオリンピックを注視しないのは現実が見えてない証拠だ。


 現実よりも大事なものがある。

 花粉症より重症化した潔癖症かってくらい、相手の口元ばかりを気にするようになったらしい。


 ――おれは屈しないぞ。マスクつけろという同調圧力にな!

 欠航ばかりの飛行機内で、そう啖呵を切ったばかりに不運なことに見舞われた。

 関空を飛び立ったばかりなのに、方向転換してどこかの場所に緊急着陸。乱入してきた警察の方々に首根っこ掴まれて開口一番にこうだ。


 ――どうしてルールを守れない?

 マスクをしないくらいで逮捕されてたまるかってんだ。


「どうしてルールに従わなかった?」


 

 取調室にいると、ムスリム女性の気持ちが分かる気がする。


 ムスリムというのはイスラム教の熱心な宗徒のこと。

 街を出歩くときは、ブルカ(薄い布でできた女性用のヴェール)で顔や肌を隠さなければならないらしい。政教分離されていないので違反すれば高額な罰金か禁固刑。一万飛んで八千円。

 ことによっては銃殺も辞さないらしい。

 まさにこの国はその過渡期にあり、近いうちそうありつつある――無神論者が多いくせに。


「まったく、顔半分覆ってないだけで逮捕されるだなんて……いやぁ、いい世の中になりましたなぁ」

「どうしてルールに従わないんだ」

 壊れたテープか、こいつは。冗談でも言ってやろうかな。

「俺はムスリムの女性じゃないんでね」


 相手は首をかしげた。

 こんな軽い犯罪で長丁場になるぞ、と帳簿係の女性に目を流す。暫くして女性は席を立った。入れ替わりに中年男性が入ってきて、ペンをとる。どうせ、今の一言でかるく会見でも開くのだろう、近場で待機している報道記者に対して。

 見出しはこうだ。


「『俺はムスリムの女性じゃない』

 マスク着用拒否で逮捕された男性。その意図とは?」


 

 この発言たるや、どうとられるだろう? コロナでまた〝バカ〟が釣れたと喜ぶだろう。おれも喜んでやる。

 報道をみたネットの反応はいかがなものだろう? 

 とりあえず馬鹿な奴ら――風刺的議論を厭う、適当にだべるマスク警官や自粛警察など――は一層強化を強めるに違いないな。

 他人事のように想像が膨らんだ。


 マスクひとつでさらにバカになるだなんて……世の中いい時代になったものだ。

 おれは粗茶を飲み干してカンっと机に叩きつけた。

 おれ以外の人物たちは一層眉をひそめたようにみえる。


「本当のことを言え。なぜマスクをつけない?」


 語気強めに問う壊れたスピーカーは、マスク、マスクと連呼する。

 マスクを聞いて、そういえばアベノマスクはどこにやったけなぁとふけっていた。


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