27 後輩は江戸時代の遊女みたいに俺の名前を肩に彫り込みたいらしい
本気で頑張るのはいいが俺は上達法というのがよく分からない。
詰将棋とか手筋の本とか定跡の本を読むくらいしか分からない。うーんと。そうだ、白河先生に相談してみよう。俺は部室を出て保健室に向かった。
保健室では白河先生がポテチをはむはむしながら、パソコンを睨んで難しい顔をしていた。
「あの」
「ちょっと待って。もう三十秒しか残ってないんだ。切れ負けだからこのまま負けちゃうかも」
学校の備品のパソコンで将棋のネット対局とは、バレたら教育委員会とかからお叱りを受けるのでは。呆れながらしばらく白河先生の様子を伺っていると、
「だあーっ負けたちきしょー!」と叫んでマウスをぶん投げようとした。しかし学校のパソコンは古いのでマウスはなんと有線である。そもそも充分にネット対局できるスペックはあるのだろうか。
「で、どうした? なにごと?」
「あの、やっぱネット対局とかやると強くなれます?」
「うーん、ネット対局は相手に時間使わせて困らせる手、っていうのがはびこってるし、初心者さんにはあんまりオススメはしないかな……ぴよ将棋っていうスマホアプリがオススメだよ。AIと対局したり棋譜の解析したりもできるし、毎日詰将棋ができる。しかも無料。広告消せる有料オプションがあった気もするけど」
「そんなアプリあるんですか」
「うん。あれは便利。指すとめちゃめちゃ電池食うけど。ふつうに対局した棋譜の入力もできるし、なかなか使い勝手がいいよ。うーんと……でもAIって人間の指さない手指すんだよね。飛車取りがかかってるのを放置するとか」
「そうなんですか」
「まあね……本当のところAI相手の練習なら、内容の充実具合で某有名棋士が監修してるスイッチのソフトをオススメしたいんだけど、まがりなりにも教育者が進学希望の高校生にゲームソフトを勧めるのはいかがなものかと思って」
「あー、日下部先生が、息子さんが飽きて放り出したのやってるって言ってました。ぜんぜん進んでないらしいですけど」
「まあそりゃ社会人だ、それも多忙な高校教師だ、進まなくても仕方あんめえよ。で、人間と指したくて来たのかな?」
「いえ。上達法を相談したくて来ました。っていうか仕事ほっぽり出して将棋指しててよかったんです?」
「よくないんだよなあ。これはナイショね」
よくなかったんかい。というか俺じゃなくて先生方が入ってきたらどうする気だったのか。
「ぴよ将棋って実際どんな感じのアプリなんです?」
「こんなんだよ。かわいいでしょ」
白河先生はスマホを取り出してぴよ将棋を開いた。駒を動かすと「ぴよぴよ」というのがかわいい。これは忘れずインストールしよう。
「あ、春野さんどうしてた? また痒みがぶり返したりしてなかった?」
「しばらくピアノはお休みだーって言って帰りましたけど」
「あーそっかー。ピアノ弾くなら指腫れてたらつらいよね……」
「でももう伸びしろがないって言ってました。限界はドビュッシーだったと。で、俺が、どんな人間にも伸びしろはあるのだということを教えようと、将棋を真面目に勉強するぞと決めた次第です」
「なるほどね。でも学校の勉強もちゃんとやった上で、というのを忘れちゃあいかんよ」
そう言って白河先生はポテチをすすめてきた。ひと口食べてむせた。ワサビたっぷりのやつだ。俺は冷凍食品に育てられたのでワサビが苦手である。
とにかく保健室を出た。帰ろうと思ったが、部室の鍵をかけ忘れていることを思い出した。いままでずっと端折ってきたが、部室の鍵はふだん廊下の部活動掲示板に部活ごとにぶら下げられていて、担当の生徒がそれをとって部室を開け、帰り際に鍵をかけて掲示板に鍵を戻す、というシステムなのだ。なのでポケットには鍵が入っている。
部室に戻ると、隣の演劇部部室でジャス子先輩が黙々と手縫いで衣装の細部にビーズを縫い付けているのが目に入った。たかだか地方大会の衣装に凝りすぎではないだろうか。部室のドアを開けて、忘れ物がないか確認し、明かりを消して鍵をかけた。
「およー将棋部もうお開きー?」
ジャス子先輩が顔を上げて俺を見る。俺は、
「後輩が毛虫に刺されちゃったもので」と答える。
「やっぱりかー。で、みーちゃんがピアノの伸びしろを諦めているのを、自分の将棋の伸びしろを見せて応援しよう、ってなったわけだ」
ぜんぶぜんぶ筒抜けなのであった。頭痛を催す。
「努力で伸びるぶんの伸びしろと、もとからある伸びしろって違うからね。でも上手い人と競ってるうちに伸びる伸びしろもあるから。これはNHKEテレの『ソーイング・ビー』がソース。コンテスト序盤はふつうの腕前だったのに回を重ねるごとにうまくなるやついるから」
そう言ってジャス子先輩は笑顔になった。ソーイング・ビーってなんだ。
掲示板に鍵を戻して帰ることにした。
家に帰ってワイファイにつながったところで、ぴよ将棋をインストールしていじってみた。いちばん弱いAIは俺でもさっくりと勝てた。棋譜解析の機能を使ってみると、さっくり勝てたと思ったら俺も意外と悪手を連発していた。そうか、これが悪手なのか。
宿題をこなし、食事とか風呂とかを済ませて、ぴよ将棋相手に三番指し、それから寝た。
翌日。俺は冷凍食品満載の弁当をもってピロティに向かった。美沙緒さんが待っていた。九条寺くんもいる。……なぜかジャス子先輩もいる。
「ジャス子先輩、なんでここに」
「彼ぴっぴと弁当食べようと思ったけどそもそも彼ぴっぴいなかったわー。てかぴっぴってなに? ゆびをふる使ってまさかのはかいこうせん撃つの?」
ポケモンである。懐かしい。
弁当を食べたが、いつもの顔ぶれでないので、美沙緒さんは眼鏡で鉄壁ガードだったし、九条寺くんも無言。俺も無言。ジャス子先輩は俺たちを見て、
「しゃべれよ!」と、モヤさまの三村みたいなことを言い残し、食べ終わった弁当を撤収して教室に戻っていった。
「……なんだったんだ」俺はぼそっとそうつぶやく。向こうのほうで一年生の男子が、
「おーい九条寺ー。先生が呼んでるぞー」と九条寺くんに声をかけた。九条寺くんはクラス委員をなかば押し付けられるようにやっているのであった。
九条寺くんがいなくなって、美沙緒さんはポケットからスマホを取り出し、
「浴衣届いたんで着てみました!」と画面を見せてきた。
おお、かわいい。変わった柄の浴衣だけれど、全く違和感なく品よく収まっている。帯は手結びのようで、やはりきれいに締められている。髪は上のほうでまとめてある。
「似合うじゃん。かわいいよ」
「えへへ……もっとこう、裸の写真を撮っておくべきかと思ったんですが」
「それはぜったいにやっちゃいけないやつだ。うっかりネットに流出したらデジタルタトゥーってやつになっちゃうからね」
「タトゥーですか。江戸時代の遊女みたいに先輩の名前を肩に彫り込みたいです」
「それもぜったいにやっちゃいけないやつだからね」
「わかってますよ。冗談です。えへへ……先輩、指の腫れ引いてきました」
美沙緒さんは毛虫に刺された指を見せてくれた。まだ少し腫れているが、だいぶよくなったようだ。
「だからきょうは先輩と指したいです」
美沙緒さんのまっすぐな目。俺はどうしたものか考えて、いや指すしかないな、と思った。
俺だってきっと強くなれる。俺は美沙緒さんを守る側の人間だ。俺が強くなかったら、美沙緒さんを守れないではないか。
授業と掃除と帰りの会が終わって、俺はまっすぐ将棋部の部室に向かった。ドアを開ける。盤と駒を出す。美沙緒さんが来るまでぴよ将棋できのうの将棋の棋譜解析をする。
どうも俺は中盤でしくじりがちのようだ。中盤。駒がぶつかる、いちばん将棋らしいところ。きょうは反省を活かしてどうにか勝ちたい。そう思った。
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