28 後輩は俺に妄想を聞かせて俺が恥ずかしい顔をするところが見たいらしい
勝てるか勝てないかでいったらおそらく勝てないのだろうと思う。でも、美沙緒さんは俺が好きで将棋部に入って、俺と将棋を指すのが楽しいのだ。俺が強くならないでどうする。そう思って盤駒を前に指をぐーぱーしていると、ドアがノックされた。またジャス子先輩だろうか。とりあえず開ける。
ジャス子先輩ではなく、九条寺くんだった。顔が赤い。走ってきたらしい。
「どうした?」訊ねると、九条寺くんは、
「小説の新人賞に……小説、送ってしまった……」
と、グギギの顔で言う。そりゃすごい、小説の新人賞ってどれくらい書くの。そう訊ねると、
「120000字くらい……でも送った後から読み返したら、推敲したはずなのにボロボロで」
と、すごくすごく悔しそうな口調で返ってきた。そもそも120000字書けるのがすごいと思うのだが。どこの賞? と聞くと、
「ライトノベルの有名なとこ」とだけ返ってきた。九条寺くんもライトノベルとか読むのか。
そういう話をしていると、美沙緒さんが現れて、
「あ、気の合う人族」と、せめて名前くらい把握してあげてよ……というようなことを言った。
「お、おう。春野!」九条寺くんは必死で男前にふるまうが、しかし見た目が限りなく小学校高学年なのでぜんぜん男前じゃない。むしろイキッてる小学生みたいでかわいい。
「どうしたの? また弦楽部でハブられてるの?」
「いや。えっとだな、俺、小説……ライトノベルの新人賞に投稿したんだ」
「えっ?! すごい! かっこいい!」
「そうか……で、もし俺が一次選考通過したら、ドビュッシーが限界とか言うな。簡単にあきらめるな」
「う、うん。わかった。でもなんでわたしが『ドビュッシーが限界』って言ったの知ってるの?」
「靖子先輩に教えてもらった」
靖子とジャス子が一瞬繋がらず、んん? と思ったが、九条寺くんに入れ知恵をしたのはやっぱりジャス子先輩のようだ。ジャス子先輩、なんでそんな将棋部について事情通なの。壁が薄いからか。
「あの、先輩。それは先輩がジャス子先輩に言ったんですか?」
「いや。なんかのはずみに聞こえたらしい」
「ウグウーッ。じゃあいままでの猥談ぜんぶ聞こえてるってことじゃないですか!」
「ミシン動かしてる間はなんも聞こえないっては言ってたけど」
「あ、そっか。ずっと演劇部の部室からミシンがガタゴト言ってる音聞こえてましたもんね。なら大丈夫。安心安心」
安心しないでほしい。ミシン止まってることも多かったじゃない。
そこまで話して、九条寺くんはよく分からない顔をすると、
「猥談……? 春野、お前木暮先輩とエロい話するのか?」
と、美沙緒さんが見事に墓穴を掘るスタイルになってしまった。美沙緒さんは困った顔をして、九条寺くんと俺を見比べると、
「先輩。部活しましょうよ。将棋!」と、笑顔で言った。あきらかにいろいろごまかしている笑顔。そうだね、と答えて部室に入る。九条寺くんはよく分からない顔ののち、弦楽部の倉庫からいくつか楽器を運ぶ作業を始めた。
「九条寺くん弦楽部に復帰したんだ」
「そうみたいです。でももう自分のヴァイオリンは持ってきてないですね。それより指しましょうよ!」
「お、おう。じゃあ……」俺は、果たして俺が駒箱を開けていいのか分からないまま、盤に駒をざららーと開けた。駒箱は目上の人が開けるのが礼儀なのだ。だから、具体的に段位が分かれば、恐らく美沙緒さんが開けることになるのだろうと思う。将棋の世界はいつだって実力がモノを言うのである。
てきぱきと駒を拾って並べていく。美沙緒さんはきれいに駒を並べて、ときどきつつきながら塩梅をみている。振り駒をしたら美沙緒さんが先手になった。
序盤は、美沙緒さんがガチガチに位取りしてきて、厚みがものすごいことになった。拠点になっている美沙緒さんの歩を片付ける方法がよくわからなくて、とりあえず居玉を回避してこちらからは打って出ることにした。銀を繰り出していく。
「あっ」
美沙緒さんがうめいた。あれ? 飛車先交換してそのまま横に歩を取っていけるんじゃないの、これ。
というわけで飛車をばびゅーんと移動させる。美沙緒さんもその手には気付いていたらしいが、具体的に有効な防御手段がないようだ。
「うぐぐう……先輩つよい……先輩ってお布団の中でも強かったりするんです?」
俺はなにも飲んでいないのに派手にむせた。
「そういうこと言うと演劇部に筒抜けだから」
「ああぁっ」美沙緒さんが少女漫画のごとく色を失う。白目の変顔をしてから、
「うぐーっ。そうだ、ラジカセ持ってきて音楽鳴らしましょうよ。そうすれば演劇部に筒抜けにならないのでは」
「……うるさくない?」
「……そうですか、そうですね。あああ、先輩に妄想聞かせて先輩が恥ずかしい顔するとこ見たいのに」
「いや俺の反応楽しんでどうするの。将棋を楽しみなよ」
「その通りです……うう……」
タダで取れた歩が駒台にいっぱい並んで嬉しくなってしまった。俺はどんどん攻めていく。やっぱり練習としてアプリと指すだけでも勝負勘というのは磨かれるらしい。
「せ、先輩が攻めるイケメンになってしまった……先輩、肩幅広げて顎とがらせて闇オークションで買い物するんですよね?」
「しないよ! なにそのステロタイプな腐女子の妄想……俺は美沙緒さんが好きだから、闇オークションで奴隷とか買わないよ?!」
二人してぼっと顔を赤くする。顔を赤くしているあいだにどっちの手番だったか忘れてしまったので、その将棋はなかったことになった。
なかったことになった将棋の感想戦をする。やはり俺が優勢だったようだ。どう頑張っても美沙緒さんは歩を横に取られることへの対策はできなかったらしい。
盤の上を見つめて、それから美沙緒さんの顔を見上げる。
「……難しいですね」
「うん、難しい……」
一休みすることになった。俺は自販機でジュースを買ってくることにした。美沙緒さんのリクエストはイチゴ牛乳。俺は適当にお茶を買うことにした。
「よっす」と、ジャス子先輩が現れて追いかけてきた。手には複雑なデザインの衣装。
「言いふらさないって約束だったじゃないですか。なんで九条寺くんが美沙緒さんの伸びしろのこと知ってるんです」
「えっだってそれは猥談じゃないじゃん。ちっちゃいことは気にすんな、だよ。これ見て、めっちゃビーズ縫いつけたった!」
ジャス子先輩は衣装をかかげてみせる。繊細な仕事で美しいビーズをあしらった、普通にレッドカーペットを歩けそうなドレスだ。
「わかりましたから。俺は自販機にいきます」
「そっかー。じゃーね」ジャス子先輩は演劇部部室に引っ込んだ。ため息をつく。
ジャス子先輩、なんというか……疲れる。
自販機でイチゴ牛乳と緑茶を買ってきて、部室に戻ると、美沙緒さんがジャス子先輩と将棋崩しで遊んでいた。子供向けの入門書で、駒と盤に親しむ最初の遊びとして推奨されているのだから将棋崩しはあなどれない。
「あの、ジャス子先輩。演劇部の作業はいいんですか」
「衣装一着仕上がっちゃったからモーマンタイだよーん。面白いねー将棋崩し」
はあ……。だったらステージで衣装合わせをするべきでは。そう言うと、
「わーおアハ体験」と言ってジャス子先輩は出ていってしまった。美沙緒さんがため息をつく。
「先輩、なんでわたしたちの愛の巣にあのひと乱入してくるんですか? なんなんです?」
俺が聞きたい。そして将棋部部室は愛の巣ではない。ただの部室である。
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