第三部 ジャス子におまかせ!
25 後輩は俺が巨乳はだけ和装が好きならそれを着てみるのもやぶさかではないらしい
衣替えの季節。空は曇りがちで、将棋部部室の窓から見える桜の木にはすごい数の毛虫がわいてしまっている。これアメリカシロヒトリとかいうやつだ。おいしくないから鳥すら食べないと評判の外来の毛虫。部室棟の外壁にもけっこう毛虫がへばりついている。
若干じめっとする将棋部部室をどうにかさわやかにしたくて窓を開けたのに、見えるものが毛虫に食べ散らかされた桜の葉っぱではなんにも嬉しくないし、下手したら毛虫が入ってくるので窓を閉める。……扇風機ほしいな。そんなことをやっているとドアがこんこんとノックされた。部員だったら普通に開けるはずなのだが。
開けてみると、最近妙になれなれしいジャス子先輩だった。
「こんちー」
「……なんです、ジャス子先輩」
「えへへ、新しい衣装のデザイン見てちょ」と、ジャス子先輩はスケッチブックを広げてくる。明らかに現代日本の服装でないデザインの服だ。どんな芝居に使うんですか、と訊ねると、
「ディストピアものの芝居やってんだけど、地方大会に行くわけだしもっと衣装のデザインを凝りたくてさ。県大会のときはこんなん」
と、そう言ってスケッチブックをめくるジャス子先輩。さっきの服ほどではないが、微妙に変わったデザインの服が描かれている。
「これはねー古着屋で買ってきた服改造して作ったんだけど、もっと世界観をアップグレードしたくてさー」
「あの。ジャス子先輩、なんで将棋部に入り浸ってんです。自分の部活行ってください」
「へーい」ジャス子先輩は立ち上がり、将棋部の部室を出ていった。とりあえず美沙緒さんとニアミスしたりはなかったようだ。
「こんにちはー」美沙緒さんが現れた。夏服の美沙緒さんは、……冬服のやぼったいウールのセーラー服ではわからなかった、なかなかのむちむち体型がはっきりとわかるいで立ちだ。夏服は生地の薄い前ボタンのセーラー服なのだが、ボタンが引っ張られていて、あきらかにバストのサイズが合っていない。ハッキリ言おう、目のやり場に困る。昼休みは校舎がうすら寒くて、カーディガンを羽織っていたので気付かなかった。
「どうしました? なに困ってるんですか?」
「あ、あのさ。クラスの誰かになんか言われなかった? 夏服ぱつぱつだよ」
「そうなんですよ、今年の三月に着たときはぜんぜん大丈夫だったんですけど……気の合う人族が、ちゃんとサイズの合ったもの着ろって言ってきたんですけど、さすがに六月過ぎて制服作り直すのも……」
「もっぴー」うわ、またジャス子先輩が現れたぞ。ジャス子先輩は俺と美沙緒さんにポイフルの小分けパックを渡すと、
「胸が大きすぎて悩むならナベシャツとかコスプレ用の胸潰しとかオススメだよー」
とだけ言って引っ込んでしまった。
「なんですかいまの」美沙緒さんはよく分からない顔をしている。
「わからん。こないだのゴキ事件以来俺たちと仲よくしたいらしい」
「えっ、先輩はわたしのものです、誰にも渡しませんよ」といいつつ、美沙緒さんはスマホにナベシャツと打ち込んで検索している。男装に使う、胸のところを押しつぶすシャツのようだ。
「へえー。こんなのあるんですか。あ、これ和装にもよさそうですね。浴衣のときいつもブラトップ着てたんですけど、あれよりいい感じに潰せそう」
「着物って胸潰すもんなの?」よく分からないので訊ねる。美沙緒さんは、
「なんていうか、体に凹凸がない状態が一番着物着やすいんですよ。ほら、昔の日本人ってみんな貧相な体形してたじゃないですか。そういうことです」と答えた。
はあ……。じゃあソシャゲの広告に出てくる美少女キャラクターの、浴衣の前がはだけて谷間が見えてるやつは邪道なのか。そう言うと、
「先輩が巨乳はだけ和装が好きならそれを着てみるのもやぶさかではありませんね」
と、斜め上のコメントを発してきた。違う違う。普通の浴衣でいい。
ポイフルをもぐもぐしながら駒を並べようとすると、美沙緒さんは駒を拾う手をとめて、
「あの、先輩。気の合う人族も、花火大会とか遊びに行くのに誘っていいですか?」
と訊ねてきた。彼にはちゃんと九条寺貴比古という名前があるのだが……。
「別に構わないけど、どうして?」
「なんかわたし見ると悲しい顔するんですよ、気の合う人族。なんでですかね? いやわたしのことが好きなのは知ってるし、わたしが先輩と付き合いだしたのにショックを受けてるんだろうなとも思うんですけど、それとはベクトルの違う悲しい顔というか」
美沙緒さんは繊細に物事に気付く人だなあ、と思いながら、
「ベクトルが違うって、どんなふうに?」と質問する。美沙緒さんは、
「なんていうか、寂しいとか悲しいとか、そういうのと違う感じですね。なんかもっとこう、自分を責めているような悲しい顔です」と、首をひねる。
気になる。でもとにかく指さないことには将棋部の活動にならないので、駒を並べて、よろしくお願いします、と頭を下げる。美沙緒さんの先手で勝負が始まった。
美沙緒さんは将棋を四月から始めたばっかりだというのに、六月まででものすごく上達した。それはひとえに「よく見る」という点が大きいのだと思う。
相手の持ち駒を確認し、相手の陣形をよく見、自分の駒の活用法がないかよく見て考える。それだけでものすごく上達した。俺はどうか。よく見ないので角交換で手に入れた角を打ち込んだらあっさり桂馬で取られた。情けないよ俺は。
あっという間に俺が負けてしまった。
「美沙緒さんアマ段位とれるんじゃないの?」
「無理ですよー。アマ段位ってことは先輩より上手いってことじゃないですかー」
「いや事実俺より上手いじゃん」
そんなことを話しながら、美沙緒さんは、
「あっちいですね、窓あけていいです?」と、窓を開けた。アッ、その窓を開けるとアメリカシロヒトリの毛虫が入ってくるぞ。案の定、毛虫が続々と部室に乱入してきた!
「あ、毛虫だ。かわいい」
いや毛虫を可愛いと思う女子いるんか。俺はだめだぞ。小学生のころ松の木にたかっていた毛虫に刺されて以来、毛虫がとにかく苦手なんである。
「ちょ、お、俺毛虫むり……!」
「えーこんなにかわいいのに? アメリカシロヒトリなんて人畜無害ですよ」
「いや葉っぱ食い荒らしてるから無害じゃないよ?!」
「そうか……それは確かに。はいバイバイ」
美沙緒さんは毛虫をつまんで窓の外に出して、窓を閉めた。それから数秒して、
「……なんかかゆい」と美沙緒さんはつぶやいた。指が腫れてしまっている。
「もしかしてアメリカシロヒトリじゃない毛虫触っちゃった?」
「そうかもしれないです……だめだすごくかゆい! 指がもげそう!」
「保健室行こうか。虫刺されの薬とか塗ってもらえばいいよ」
「そして南中事件が勃発するんですねわかります」いや勃発しないよ。
俺と美沙緒さんは保健室に向かった。保健室では白河先生が、氷嚢用の氷をつくる冷凍庫からちょっと高いアイスクリームを取り出してモグモグしている。
「どしたー? 将棋部に指導者が必要かー?」白河先生はのんきに言う。
「いえ、毛虫に刺されました」と答える美沙緒さんの手はめちゃめちゃに腫れていた。白河先生が棚から強力な虫刺されの薬を取り出す。ムカデに噛まれても効くやつだ。
「アメシロに混ざってガチモンの毛虫いるもんね。うかつに触っちゃだめだよ」と、事件の経緯を聞いた白河先生が肩をすくめる。
「あの、白河先生。将棋部に指導に来てもらうことはできますか?」と、俺は白河先生に訊ねた。白河先生は「いいけど、どうしたの?」と言って、美沙緒さんをちらっと見る。美沙緒さんは少し機嫌を損ねた表情をしていた。
「俺じゃもう美沙緒さんの相手として弱すぎるんです。将棋ってうまい人に教えてもらわないと上達しないじゃないですか」俺がそう言うと、美沙緒さんがびっくりするほど大きな声で、
「わたしは! 先輩と! 指したいんです!」と叫んだ。よく分からなくて美沙緒さんと白河先生を見比べていると、美沙緒さんは猛ダッシュで保健室を飛び出した。
「ちょ、み、美沙緒さん?!」俺が声をかける。白河先生が真面目な顔で、
「春野さんは、木暮くんと指したくて将棋部に入ったんだよ?」と、俺を諭してきた。
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