24 後輩は俺の指をはむはむちゅぱちゅぱしたいらしい
そこまでの覚悟もないのに付き合ってくれって言っちゃったのか、俺は。九条寺くんは真面目な顔で俺を見ている。俺は、
「もちろんだ。『美沙緒さんを幸福にし隊』の活動は、美沙緒さんが幸福になるまでやめない」
と、そう答えた。九条寺くんは満足げに頷くと、
「じゃあ俺はいく」と、そう言いやっぱり子供みたいなフォームでててててと走っていった。……九条寺くんは動きが完全に子供だ。物事に対する反応もしかり。
「わっ」
「きゃっ」
九条寺くんが誰かとぶつかって吹っ飛んだ。……美沙緒さんだ。なんだこのラブコメ展開は。いや美沙緒さんはパンをくわえて「遅刻遅刻!」っていうタイプじゃないけど。
「いたたぁ……あ、九条寺くん、鼻血出てる!」
「え? あ、ホントだ!」九条寺くんは上品にハンカチで鼻を押さえながら保健室に向かったようだった。美沙緒さんが首をかしげながら近づいてくる。
「先輩、なんで人族は部室棟に? 弦楽部の倉庫ですか?」
「いや。俺に話があってきてたんだ。大したことじゃないよ。気にしなくて大丈夫」
「や、やっぱりボーイズなんとか的な……?」
「……ずっと思ってたんだけど、美沙緒さんっていわゆる腐女子なわけ?」
「違いますよ。ただ妄想の守備範囲が広いだけです」
そういう話をしながら、盤と駒を用意する。じゃらっ、と盤の上に駒をひろげる。二人で駒を拾い、指す準備をはじめていると、隣の演劇部の部室から、
「ひゃあああ!」という悲鳴が聞こえてきた。なんだなんだ。
演劇部の部室を覗き込むと、例のド派手ファッション女子が腰を抜かしていた。
「なにがあったんです?」そう声をかける。
「じ、Gが出た!」と、その三年生の女子はガラクタを積んであるあたりを指さした。
「自慰?!」美沙緒さんの空耳アワーはともかく、どうやら出没したゴキはガラクタ――段ボールが主なのだが、段ボールやそれを組み立てる糊はゴキの大好物にしてかっこうのすみかだそうなので、出没してもなにもおかしいことはない――の中に隠れているらしい。
「美沙緒さん、職員室に殺虫剤借りに行こう。先輩――」
「ジャス子でいいよ」どういう名前だ。とにかく三年生の女子に待ってもらって、俺と美沙緒さんは職員室に向かった。
日下部先生が生徒指導部の仕事をしていた。そこに、
「日下部先生。殺虫剤ありませんか?」と俺が訊ねた。
「どうした? 蜂とか出たのか?」
「いえ、ゴキブリが隣の演劇部の部室に出ました」美沙緒さんが理路整然と答える。
「ゴキブリかー。ゴキブリ、飼ってみると案外楽しいんだぞ?」
いやそんなのんきな……。とにかく日下部先生から冷凍するタイプの殺虫剤を借りて、演劇部の部室に向かう。ジャス子先輩は壁に張り付いて震えていた。
「どうしました」
「Gが増えた。見ただけで三匹はいた」どんだけ不衛生なの演劇部の部室。とにかくガラクタを持ち上げて、ゴキを探して殺虫剤をかけた。三匹始末したのでこれでOKだろう。ゴキの凍死体はティッシュで包んでくずかごに捨てた。
「あ、ありがと将棋部。これ、お礼に」
そう言ってジャス子先輩は甘納豆をくれた。きょうはハリボーのグミじゃないのか。
「演劇部、最近どうですか?」
「んー、テスト明けすぐに県のコンクールがあったんだけど、それでまさかの一位で、地方大会に出られることになった。だから小道具とか衣装とかグレードアップしなきゃなくて」
なかなか大変そうだ。俺は、
「なんでジャス子なんです?」とジャス子先輩に訊ねた。
「あー、あたし
なかなか難解なことを言う。ああ、イエス・キリストがジーザス・クライストというのの理屈か。なんとなく理解する。
ジャス子先輩に頭をさげ、職員室に殺虫剤を返却し、将棋部に戻る。
その日も一番指しながらくだらないことをあーでもないこーでもないとお喋りした。なんというか、『付き合う』という関係になってから、美沙緒さんの下ネタがゆるくなった気がする。
「美沙緒さん下ネタ減ったよね」
「そうですか? 現状でも先輩の指をはむはむちゅぱちゅぱしたいですけど」
歯の生え始めた仔犬みたいなことを言いながら、美沙緒さんは実に的確な、攻撃にも防御にも効いている手をズバリと指した。こういうのを「攻防手」というのだったか。とにかくぐうの音も出ないほどのいい手だ。
うぬ~。
もう美沙緒さんのレベルだと俺相手には「蹂躙する」レベルではなかろうか。なにか強い相手を探してあげたい。しかし幽霊部員の先輩たちは幽霊部員なので将棋は指せない。
「美沙緒さんさ、ネット対局とかやってみたら?」
「ええ? だって先輩と指すのが楽しくて指してるんですよ?」
「いや、俺じゃ相手にならないでしょ。退屈じゃないかい?」
「楽しいですよ、先輩気を遣って勝たせてくれますし」
いや気を遣って勝たせてるわけじゃない。単純に俺がヘボなのだ。
「とにかくさ、俺と指しても成長はないと思うんだよ。もっとうまい人に教わったほうがいい」
「この学校にいるんですか? 将棋のうまい人って」
「それが問題なんだよなあ……」俺はため息をついて、必死で考えた手をばちっと指した。しかしよくよく考えたらその地点には桂馬が効いていた。置いた駒をさっくりと取られてしまう。
「……先輩と指すの、楽しいですよ。先輩は、楽しくないんですか?」
「美沙緒さんといろんなこと話せるのはすごく楽しいし、将棋もたまに勝てれば楽しいな。でも自分のことより、美沙緒さんが楽しいかが気になるんだ」
「それだったら答えは出てます。楽しいです」
お、おう、そうか……。美沙緒さんはとにかく理路整然としている。そりゃあ将棋も「強いよね、序盤中盤終盤隙がないと思うよ」、である。
「あ、浴衣ポチったんですよ。夏休み、一緒に花火大会行きませんか」
「おー! 楽しみだなあ」
「わたしは先輩が出店のフランクフルトを無理矢理口に突っ込まれてるのを想像するだけでご飯三杯食べられます」
いやなにを妄想してるの。俺は少し考えて、思った手を指してみた。
「あっ」と美沙緒さんが声を上げた。なんだ? 盤の上をよく見る。えーと……あ、美沙緒さんの金をタダ取りできる。その筋は美沙緒さんの歩がきかないので、応援の繰り出しようがない。
美沙緒さんは玉を逃げた。俺は金を取った。しかしながら結局、金を有効活用できず俺が負けた。一番指したところで、美沙緒さんはピアノがある、と帰り支度を始めた。
「きょうも楽しかったです。きょうってなんかタイトル戦やってるんでしたっけ」
「あー、なんかやってるね、アベマで中継あるはず」
「うふふ。ピアノ終わったら見よっと」美沙緒さんはご機嫌で帰っていった。
負けてじんわりと悲しい俺は、駒を片付けて盤を仕舞い、帰ることにした。演劇部の部室をちょっと覗く。ジャス子先輩がミシンを回している。あ、目が合ってしまった。
「おー? どうした将棋部ー。もうおしまい?」
「え、ええ。後輩がピアノだっていうので」
「へえー。後輩ちゃんお嬢様だねー。なんか持ち物とかもお嬢様チックだもんねー」
ジャス子先輩は妙に気安くそう声をかけてくる。俺は困りながら、帰りたいなあ、と部室棟の出口をちらちら見る。
「聞こえてたんだけどさー、夏休みに花火大会浴衣デートするってマジ?」
うぐぅっ。聞こえていたのかあの会話。ジャス子先輩はにやにやしながら、「あたし将棋部くんのこと応援してるよ。女の子の喜ぶこと、訊かれたら教えてあげる」と、妙なエロスを発しながら言ってきた。なんだかいやな予感がするぞ。
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