23 後輩は俺に浴衣デートのあと時代劇で悪代官がよくやってるやつをやってほしいらしい
その日、とりあえず部活は適当に終わって、適当に帰ることになった。
俺は、ずっと「なんでそんなこと言ったかなぁ~!」と、後悔先に立たずの感情に苛まれていた。これは完全に恋だ。美沙緒さんに、俺でも九条寺くんでもそのほかの男子でも、いちばん楽しいのを選べばいい、と言ったくせに、俺は美沙緒さんが好きで仕方がない。
悶々と考えながら家に帰る。鍵を開けて中に入り、とりあえず電解質を補充しよう、と、冷蔵庫からスポーツドリンクを引っ張り出してぐびぐびやる。小さなちゃぶ台で宿題をやっつけて、それからばたりと畳に寝っ転がる。
俺は、「明日は美沙緒さんの連絡先を教えてもらおう」と決めて、広げていた腕を後頭部に持ってきた。もう下ネタをいきなり言われても平気なはず。いつまでもアナログ待ち合わせではいけない。
俺はちょっとだけ、毎日美沙緒さんから連絡のくる日常を想像してみた。ワクワクした。夢がひろがりんぐした。ぼーっと寝っ転がって、アパートの部屋の天井を眺める。美沙緒さんなら天井のシミ数えてるといいよとか言うのかな。いやいや……。
腹が盛大に空腹を申し立てた。よっこいしょ、と起き上がり、冷蔵庫を開けて常備菜をいくつかと、冷凍餃子を取り出していつも通り調理する。鍵っ子で社畜の子の俺は、ずっと冷凍食品に育てられたようなものだ。……社畜の子って、名前の響きだけだと青春アニメ映画みたいなタイトルだな。ぜんぜんそんなロマンチックなものじゃないけど。
さすがに高校生になってからはよくばりプレートの頻度はだいぶ減った。親も俺を信用しているということなのだろう。出来上がった冷凍餃子にお酢とラー油と醤油をぶっかけて、白いご飯を茶碗に盛り、ちゃぶ台に並べる。テレビをつけたもののアホみたいにやかましい民放各局のバラエティ番組か、お通夜みたいなテンションのNHKかである。
デジタルネイティブ世代の俺はテレビを停めようとして、ふとリモコンにアベマのボタンがあることに気付く。そうだ、今年に入ってすぐテレビを買い替えて、アベマとかアマプラとかネトフリとかYouTubeとか見られるようになったんだ。アベマを見てみると、将棋チャンネルがあった。おお、いいじゃんコレ。俺としてはスマホのちっこい画面で動画を観るのは数分程度が限界なので、アベマはインストールしていなかったのだ。
将棋は持ち時間の長い棋戦のようで、若手の注目株の棋士と、中堅どころの棋士が、ばちばちの戦いを展開していた。AIの評価値は一手進むごとに揺れ動く。
……思考のレベルが高すぎて勉強にならない。ふだん一番一時間程度の将棋を指している初心者なので当然である。画面が切り替わって大盤解説が始まった。きれいな服にきれいな髪型の、きれいな女流棋士が聞き手で、解説はしゃべくりが面白い中年の棋士だ。あーでもないこーでもないと、笑いをとりつつ次の手を予想している。
すごいなあ。この人たちはこの手を指したら次はどうなるか分かるんだ。常備菜の叩ききゅうりをもぐもぐする。うまい。
とにかく深夜までに及ぶ将棋を見ると翌朝しんどいので、早めに風呂に入って寝てしまうことにした。明日の朝には将棋連盟の公式アプリで対局結果が分かるわけだし。
風呂場で、ぼーっと美沙緒さんのことを考える。夏休みになったら、美沙緒さんと花火大会にいきたい。美沙緒さんと海にいきたい。浴衣の美沙緒さんも水着の美沙緒さんも、どっちも捨てがたい。いやいやそんな、ラブコメアニメのフィギュアじゃないんだから……。
美沙緒さん、なにしてんのかな。もう寝ちゃったかな。
風呂上りまたアベマをちらっと見る。中堅どころの棋士が圧倒的勝勢だ。若手のほうは一手逃げ間違えたら詰んでしまう状況だ、と解説のよくしゃべる棋士が言う。
テレビを消して布団を敷く。時計を見るともう十時近い。部屋のドアを閉めて布団にくるまると、父さんか母さんかどっちか帰ってきたようだった。
さて翌朝。俺は覚悟を決めて、学校に向かった。きょうは美沙緒さんと連絡先を交換するぞ。LINEとかやってんのかな、いや前に教えてくれって言われたっけ。たぶん問題ない。
ついでに昨日アベマで見た対局は、大逆転劇で若手の勝ちだったらしい。
どうにかこうにか午前の授業を受けて、昼休み、ピロティで美沙緒さんとお昼を食べる。またしてもアン●ンマンのフライドポテトが入っている。俺はため息をついた。
「アン●ンマンのポテトって歳じゃないんだよな、俺……」
「アンアンパンパン? あっ空耳ですね、アン●ンマンだ」
どういう空耳だ。ちょっと呆れるもまあいつものことだ。
「あのさ美沙緒さん、連絡先交換しない? これからもきっとさ、ときどき買い物とか行くと思うんだけど、アナログ待ち合わせじゃ急用ができた時とか困るし」
「いいですよ! いつ言ってくれるかなってずっと待ってました。これでいつでも先輩に怪文書を送れる」
怪文書て……。とにかく連絡先を交換した。
「あの」
美沙緒さんが、なにか物言いたげな顔で俺を見てくる。
「どうしたの?」
「先輩は、浴衣と水着、どっちが好きですか? 今年の夏は高校生になったことだし、スクール水着じゃなくてちゃんとした可愛い水着か、祖母のおさがりの古臭い浴衣じゃなくていまどきっぽい可愛い浴衣買おうと思うんですよ。でもいまお財布に入ってるお小遣いじゃ、どっちか片方になりそうなんです」
「え? デパートの外商さんが来ておばあさんが買ってくれるんじゃないの?」
「いえ。自分で買うって決めたんです。でもポメラ買っちゃったからどっちか片方なんです」
おお、すごい進歩だ。うーんと、と悩む。
「浴衣……かな。でも浴衣って高いかな」
「いえ。反物から買って仕立ててもらうのでなく、既製品の浴衣を通販で買おうと思ってて」
「いいんじゃない? 俺美沙緒さんの浴衣姿、すごく見てみたいな。どんな柄のやつ?」
美沙緒さんはスマホの画面を見せてくれた。……なかなか変わった、面白い柄の浴衣だ。よくあるアサガオやテッセンの柄ではなくリボンやスイーツの模様で、しかし色がシックなのであまり奇抜な柄には見えない、モダンな感じのやつ。セットの帯はトランプの模様だ。
「祖母には変な柄ってけちょんけちょんに言われたんですけど、こういうの可愛いと思うんです。少なくとも祖母のおさがりの、日舞のお稽古で着るようなやつよりは」
「うん、可愛い。きっと似合うよ」
美沙緒さんは嬉しそうな顔をした。……これ、正式に「付き合ってください」、っていうような告白とかしてないけど付き合ってるって扱いでいいのかな。いや、俺らはもう高校生である、「告白する」なんて恥ずかしい行動をとらずとも付き合える年齢だ。それに好きだ、という気持ちは間違いなく伝えたはず。
「……気の合う人族は?」
「九条寺くんですか? 一人でお弁当食べてましたよ。先輩のこと話したら、じゃあ俺はいいよ、って言ってました」
九条寺くんよ、そこまで当て馬を演じなくてええんやで……。
「美沙緒さん、俺はさ、美沙緒さんみたいに素敵な人と付き合えて、すごくうれしい」
と、確認をとってみる。美沙緒さんは頬を赤らめて、
「浴衣デートのあとは、時代劇で悪代官がよくやってるやつ、してくれます? ぐるぐるぐるーって、あーれーってなるやつ」と、まさかの方向に切り返した。
いやしないよ。健全なお付き合いなんだからさ……。
そういうわけで、なりゆき上というか、俺が思い切って喋ったせいで、俺は美沙緒さんと付き合うことになった。スマホの画面に「春野美沙緒」の文字があるのがうれしい。うれしい気分のままだと退屈な古文の授業まで面白いんだから俺ってば単純だ。
授業と掃除と帰りの会が終わって、俺はご機嫌な足取りで将棋部部室に向かった。
部室の前に、九条寺くんが棒立ちになっていた。本当に子供みたいな棒立ちっぷりだ。
「……どしたの?」
「一言、言っておきたいことがある」
九条寺くんは真面目な口調で言葉を発した。俺はどう答えればいいか分からなくて、
「な、なに?」と困惑した調子で尋ね返した。なんだか不安で胸が苦しい。九条寺くんは、
「これからも、『美沙緒さんを幸福にし隊』の活動は続けるんだよな? 俺は今回当て馬になったけど、これからもずっとライバルだからな?」
九条寺くんは、心の底から、美沙緒さんが好きなのだと分かるセリフだった。
俺は、そこまでの覚悟が、できるだろうか。
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