21 後輩は相撲中継をポロリはないのかなって期待しながら見ているらしい
部室の灯りを消す。ちらっと演劇部衣装班を覗くと、みんなでハリボーのグミを食べながらおしゃべりしていた。暇そうだ。とりあえず無視して校舎の玄関のほうへ歩く。
100パーセント、自分のやりたいことを生きるって、どれくらい難しいことなんだろう。俺には想像がつかない。俺は親に言われること先生に言われることを適度に聞きながら、かつ自分のやりたいこともやる、というごくごく普通の人生を生きてきた。俺には選択の余地がある。自分で決められる範囲ではない、と判断したことは大人に相談したし、親や先生の言うことでもそれはおかしいと思ったら違うと言った。
下足箱からスニーカーを引っ張り出して履き替える。校舎を出る。一年生の玄関――東高には玄関が二つあって、一年生が使っている玄関と、二年生三年生が使っている玄関が分かれている――に、九条寺くんが座り込んでいるのが見えた。
そっと近づいて、
「大丈夫かい?」と声をかける。九条寺くんはびくっとしてから俺を見上げて、
「……おう」と、子供っぽい見た目に似合わないぶっきらぼうな口調で答えた。手にはヴァイオリンケースを持っている。
「――春野、帰ったのか?」
「うん、美沙緒さんなら帰った。なんでそんなところに座り込んでるんだ?」
「……帰るのが、面倒くさいんだ」
帰るのが面倒くさい。どうしてだろうか。怪我しているから、帰ったら家族に心配されるのが面倒、ということだろうか。分からないが九条寺くんは疲れた顔をしている。
「まあ気持ちはわからんでもない。その状態で帰ったら心配されるもんな」
「うん……春野は、将棋……強いのか?」
「なかなか強い。きょうの勝負は俺が勝ったけど」
「そうか。それはよかった。春野が元気そうで」九条寺くんはよく分からないことを喜んでいる。どうして自分が怪我しているいま、美沙緒さんの心配をしているのか。それを訊ねると、
「俺たち、なんだっけ――『美沙緒さんを幸福にし隊』だろ」と呟いた。ああ、そんなの結成したな。しかしながら変な名前だ。俺が考えたんだけど。
「あしたも、春野のこと、よろしくお願いします」
そう言って、九条寺くんは小柄な体に似合わない、タブレットみたいな大きさの最新鋭のスマホを取り出した。テレビのCMで見たことがある。映画も撮れるってやつだ。
「梶田、迎えを頼む。きょうは家じゃなくてばあちゃんちに送って」
どうやらまっすぐ家に帰りたくなかったらしい。高校生になって置き勉が当たり前なので、家に帰らず友達の家に泊まる、なんてこともできる。俺はやったことはないが。
「じゃ」と、九条寺くんは制服のポケットに手を突っ込んで校門を出ていった。
その後ろ姿を眺めてから、俺は自転車をこいで家に帰った。
次の日、放課後に将棋部の部室に入ると、なぜか美沙緒さんが九条寺くんに駒の動きを教えていた。見た感じ、カナモノの動きで苦戦している。俺も始めたころはそうだった。
「どしたの九条寺くん」
「西田先生に、ほとぼりが冷めるまで弦楽部には来るなって言われた」
これまた無理難題である。西田先生はこういう、問題の解決策を立てるのがいつも見当違いだ。どうせ九条寺くんに暴力を働いた先輩たちは自宅謹慎を喰らっているのだから、行ったところでなんの問題もなかろうに。
「はい、駒の動きを覚えたところで……じゃあ超簡単な一手詰め!」
美沙緒さんが詰将棋を出題する。5筋の一段目に受け方の玉がいて、そこからひとマスあけて5筋三段目に歩がある。歩の真上、玉の頭に金を打てば詰みだ。頭金と言われる形。九条寺くんはしばらく考えてから、正解の手をぱちりと指した。
「せいかーい!」
「えっ、こ、これで詰んでるのか?!」
「そうだよ。これ、金をとると歩で取られちゃうでしょ。だけど逃げる場所どこにもない」
「ほ、ほんとだ……!」九条寺はしょーもないことで感動しているが、気持ちはよく分かる。俺もそうだった。「こ、これで詰み?!」ってなるくらいシンプルな詰みである。
九条寺くんはしばらく、美沙緒さんと楽しく将棋の初歩を勉強してから、
「……家のレッスン増やしてもらったんだった。帰る」
と、小学生が友達の家から帰るときみたいなセリフを発して、やっぱり子供みたいなフォームで走って帰っていった。
「気の合う人族、意外と元気でホッとしました」
「美沙緒さん、気の合う人族って言うけどさ、ここはファンタジーの世界じゃないんだから」
そう言いながら盤に駒を並べていく。きょうはどんな戦型になるだろうか。並べ終えて振り駒をすると美沙緒さんが先手だ。俺と美沙緒さんは互いに頭を下げ、「よろしくお願いします」と声をかけあった。
ぱちり。角道をあけてきた。俺もぱちりと角道をあける。角換わりになるかと思ったら美沙緒さんは角道を止めてきた。なるほど、矢倉か、あるいは振り飛車か……。角道が止まっているので銀を繰り出す。美沙緒さんは矢倉を組むようだ。
「そういえばもうすぐ五月場所始まりますね」美沙緒さんは意外なことを言ってきた。
「相撲見るの? ルールの分かりやすさだけなら最強だよね、平たい顔族のコロッセオ」
「なんていうか、ポロリはないのかなって期待しながら見てます」
俺は何も飲んでいないのに噴いた。相撲にポロリを期待する人、初めて見た。
素直にそれを説明する。美沙緒さんはショックを受けた顔をして、端歩を突いてから、少し困った顔をして、
「え、お相撲をポロリはないかなーって見るのっておかしいんですか? 雪山遭難奇跡の救出再現ビデオ! みたいなやつを見て『よし! 体を温めるためにズッコンバッコンやったれ!』って思うのって、おかしいんですか?!」
またしても何も飲んでいないのに噴いた。美沙緒さんのテレビの見方があらぬ方向に偏っている。俺はどう答えたものか考えつつ端歩を突き返して、
「うーん、おかしいことはないかもしれないけど、あんまり人に言わないほうがいいタイプの妄想だと思う」と答えた。
「うーむむむむう……」美沙緒さんは玉を囲いに入城させた。金矢倉の出来上がりである。相変わらず上手いこと定跡というものを理解している……。
「まあ、唐突に自然なものをえっちな方向に解釈するのはありがちなことじゃないかな」
「そうですよね! よかったあ!」
いやいやそこで納得しないで……。
「でもわたし、先輩を妄想のネタにするのがいちばん好きです!」
――これは、俺は愛されていると思っていいんだろうか。美沙緒さんが囲うならこっちも、と玉を逃がしつつ考える。
「美沙緒さんは、俺が……部活紹介でやらかしたのを、すごいと思ったんだっけか」
「そうですね……あの人がこんなに優しいなんて思わなかったので、ギャップ萌えですね」
ギャップ萌え。やっぱり俺はアニメのキャラクターかなにかみたいに解釈されているようだ。うぬぬぬ~と考えつつ、俺は、
「それって、『好き』とかいうやつと、どう違うの?」と、単刀直入に訊いてみた。
美沙緒さんははっとした顔をして、かあっと顔を赤らめて、
「そんな、先輩を好きになるだなんて、人生エンジョイ勢の人生にあっちゃならないことです」
と答えた。人生エンジョイ勢。あの悲しいやつか。俺は盤をじーっと見つめてから、目線を美沙緒さんに向けた。
「妄想のネタにされるよりなら、好き、って言ってもらえたほうが嬉しいな」
「……でも、正直なところ、先輩と付き合っていい人間じゃないと思うんですよ、わたし」
どうしてか分からないが、美沙緒さんは悲しげにそう言う。俺は、
「美沙緒さんが付き合ってくれるなら、俺は幸せだよ?」
と、そう答えて、それから、
「この場の勢いで言うけど、俺は美沙緒さんが好きなのかもしれない」と付け加えた。
「え……あう……う……どうしよう」美沙緒さんは、しばらくフリーズしてから、将棋部の部室を飛び出していった。美沙緒さんのリアクションの激しさに俺はめちゃめちゃ驚いて、慌てて追いかけようと部室を出た。美沙緒さんの姿はすでに部室棟の角を曲がった瞬間で、俺は急いで美沙緒さんを追いかけた。
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