20 後輩は俺の正体が巨乳ふたなりロリBBAお狐様だと思っているらしい
弦楽部のやつらが倉庫で誰かリンチしている。
ちょっと嫌な想像が頭をかすめる。弦楽部はふだん第三音楽室を使っているが、倉庫として部室も一つ使っている。主に演奏会用の衣装とか、音楽準備室に置ききれない楽器とかをしまっていて、その部屋でくだらないお喋りをするのも日常のこと。
演劇部の癖強めのキャラクター数名が、みな怯えた顔で弦楽部の部室を見ている。演劇部の裏方はほぼ全員女子のようだ。衣装を作りたくて入部したと思われるファッションのやつばかり。
弦楽部の倉庫からは、だれかを殴る蹴るしている音が聞こえている。それも、おもしろ半分でやっているような笑い声も聞こえる。
「美沙緒さん、日下部先生呼んできて。生徒だけでどうこうできるやつじゃない」
「わかりました!」と、美沙緒さんは職員室に向かってテテテと走っていった。
騒ぎを聞きつけて、他の部活のやつらも様子を見に来た。部室棟で部活をしているのはおおむね文化部なので、女子が多い感じだ。
……義を見てせざるは勇無きなり。
俺は覚悟を決めて、弦楽部の倉庫のドアノブに手をかけた。
「なにやってんだっ」
開けると、弦楽部員の男子が、優美なヴァイオリンケースを窓から外に出しているところだった。反対のほうでは予想通り九条寺くんが関節を極められている。
「オワッ」弦楽部員は悲鳴を上げ、ヴァイオリンケースをひっこめた。九条寺くんのものだろうか。逃げだそうとする弦楽部員をその場の全員で抑え込んでいるところに、日下部先生が猛ダッシュで現れた。
「お前ら! なにやってるッ!!」
日下部先生はアホみたいにデカい声でそう怒鳴った。美沙緒さんは気を利かせて弦楽部の顧問である西田先生も呼んできてくれたが、こっちはやる気一切なしの顔をしている。
演劇部のやつらが状況を説明する。暴力行為に及んだやつらは、みな三日間の謹慎を命じられた。九条寺くんは怪我だらけになりながら、それでもしゃんとしている。
「九条寺くん、大丈夫?」
美沙緒さんは九条寺くんにそう声をかけた。九条寺くんは、
「ちょっと蹴っ飛ばされただけ。大丈夫」と答えた。唇が切れて血が出ている。
「これ、九条寺くんの?」と、さっき投げ飛ばされそうになっていたヴァイオリンケースを渡す。九条寺くんは「おう」と答えて開けて中を確認した。無事だ。
「よかった……これ、ばあちゃんに進学祝いで買ってもらったんだ。部活で使ってる安いヴァイオリンよりずっといいやつ」
九条寺くんはボコボコの顔で笑顔になった。日下部先生が、
「なにがあったんだ? 西田先生もいるしちゃんと話してみろ」と声をかけた。
「あー……部活のヴァイオリンかたしに倉庫にきたら、なんか――成金とか金持ちアピールすんなとか言われて、俺個人のヴァイオリン捨てられそうになって、返せよって言ったら蹴られて」
「それはおばあ様に買っていただいたヴァイオリンを学校に持ってきた九条寺さんがよろしくないんじゃなくって?」西田先生がそう言う。なんか論点がずれている気がする。
「西田先生、それはとりあえずどうでもいいことでしょう。問題は、九条寺が上級生に殴る蹴るされていたことです」日下部先生のド正論。
「そう? そうね、で、あなた方はどうしてそういうことをしたの?」
西田先生は上級生にそう言った。どうやら俺たちの出番は終わりのようだ。
「くそ、フラフラする」九条寺くんはおぼつかない足取りで歩き出した。俺が肩をささえ、保健室に連れていく。美沙緒さんもついてきた。
「おーいらっしゃーい……って流血じゃん!」保健室では白河先生が手製と思われるぼたもちをぱくついていた。甘いものもイケるタイプの酒飲みか。胃をわるくするぞ。
九条寺くんの手当てが始まった。唇も切れているし、頭にはタンコブができている。殴る蹴るされて体中あざだらけだ。
「ひどいねえ、そんな極悪な先輩のいる部活なんかやめちゃえ」手当てを終えて、白河先生はぼたもちを勧めてきた。九条寺くんは悲しい顔で、
「でも。俺音大に行きたいから」と、そう答えた。
音大。簡単に入れるところじゃないのは知っているし、出たとしても演奏だけで食べていける人間はすごく少なくて、音楽教室の先生がせいぜいだということも知っている。
「部活入んなきゃ入れないってこともないんじゃない?」
「……少しでも、楽器に触っていたくて……部活はどうしても程度低いから、最近はあんまり行ってなくて、でもようやく、俺はやりたいことをやろうって決めたのに」
「やりたいこと」美沙緒さんがそうつぶやく。
「俺の父さん、身一つで建設会社を作った人で、……会社を継ぐとか考えなくていいから、やりたいことを究極まで突き詰めてみろ、って無茶なこと言うんだ。俺、やりたいことヴァイオリンしかなくて、それで食べていくのは難しいって分かってるけど、やってみようと思って」
すごい覚悟だ。自由に生きるということの窮屈さを、九条寺くんはよく知っているのだろう。自分のやりたいことを突き詰めるのには覚悟が必要だ。
白河先生手製のおはぎ――あんこを炊くところから手製らしい――をみんなでぱくぱく食べながら、俺は九条寺くんの人生の不条理を思った。
やりたいことをなんでもやって突き詰めてみろと言われたら、なにを突き詰めるか自分で選択しなくてはならない。そこでしくじれば人生が詰む。突き詰める道中で発生するあきらめの感情も、無理矢理打ち消していかねばならない。
美沙緒さんのように、こうであれと決めつけられて育つ人生もつらいが、完璧に自由な九条寺くんの人生も辛いのだろうな、と俺は思う。
俺は適当に就職して、不満を飲み込みつつ適当に働いて生きていく、という人生でいいと思っていた。しかし、美沙緒さんはこういう人生を生きろと決められていて、九条寺くんは自分で全て決めなくてはならない。
ぼたもちをを食べながら、俺は自分の幸福をしみじみと思った。
保健室に西田先生が現れたので、将棋部二人は撤収することにした。西田先生は音楽教師としてはいい先生なのだが、口調が完全にお金持ちの奥様なのと、問題が発生したとき論点がぶれがちなのとでなんだかんだ苦手である。そういうわけで俺は、二年生の選択科目で書道を取ったのだった。
「先輩、先輩はきっと弦楽部の悪いやつらと戦ったんですよね。スーパーヒーローじゃないですか。正体がバレたら巨乳ふたなりロリBBAお狐様に戻っちゃうんですか?」
「いや、戦ってないし、悪いやつらじゃないし……それになんで俺の本性が巨乳ふたなりロリBBAお狐様なの? わけがわからない……っていうかふたなりなんて言葉どこで……ああ、えっちなライトノベル」
俺はため息をついて、部室に戻った。並べかけの駒と盤が置かれ、荷物が適当に投げ出されている。
「もうこんな時間か。美沙緒さんピアノだよね、解散しようか。とんだ邪魔が入った」
「次はぜったい勝ちますから。あ、詰将棋の本借りていっていいですか?」
「いいよ。どれ?」
「七手詰めのやつにします」オワッ七手詰め。すごいな美沙緒さんは……。俺一年生のときは三手詰めでやっとだったよ……。俺は本棚から、わりと古い七手詰めの本を取って、美沙緒さんに渡した。
美沙緒さんは解き終わった詰将棋の本を返却し、さっきの七手詰めの本をリュックサックに詰め込みながら、
「自由な人生って、つらいんですね。もっと自由に生きたいって思ってたんですけど、自由だと決めてくれる人がいないってことですもんね。わたしの境遇って、幸せなんですね」
と、小声の早口で言った。
「い、いや、それは意見の分かれどころじゃないかい? 九条寺くんからしたら、美沙緒さんみたいに家族が決めてくれる人生は楽そうに見えるだろうけど、それだと美沙緒さんが『自由な人生ってつらそう』って思ったみたいに、家族に縛られて暮らしているのは可哀想だ、自由に生きていける自分は幸せだ、って思うんじゃないかな」
「そうですか? うーん……先輩は、どっちがいいと思いますか?」
「両極端で決めかねるなあ。どっちも問題が大きいと思う」
そんな話をしてから、盤と駒を片付け、きょうの将棋部は解散した。
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