14 後輩は俺が網タイツを穿かされてM字開脚をしているのを想像すればとりあえず幸せらしい
反撃が始まるといったところで、なにも変わらずテスト期間は進んでいく。俺と美沙緒さんは、相変わらず二人で弁当を食べるだけの関係にとどまっている。九条寺くんは俺と美沙緒さんが弁当を食べているのをしばらく遠巻きに眺めて、それからそそくさと逃げだす、といったてい。
「なんなんですかあいつ。名前も覚えてないからなにも言えないですけど」
美沙緒さんはうまそうな焼きジャケをもぐもぐしている。
「九条寺くんね。美沙緒さんのこと、心配なんだってさ」
「知らない人に心配されるほど落ちぶれてません。わたしは網タイツを穿かされた先輩がM字開脚をしているのを想像すればとりあえず幸せです」
ううーんそれ幸せって言わねーんだよなぁ~!
「美沙緒さんは、クラスの男子とかに興味ないの?」
「ないです。あるわけがない。あんなくだらない連中」美沙緒さんは吐き捨てるように言った。くだらない連中と十把一絡げで吐き捨てられてしまった美沙緒さんのクラスメイトが哀れだ。
「でもほら、美沙緒さん可愛いから、ちょっかいかけてくる男子とかいるんじゃないの?」
「いませんよ。この通り顔はだいたい隠してますから」
と、美沙緒さんはぱっちんどめを外して見せる。長い前髪が顔を覆い、表情はうかがえない。
「そんな髪型してたら目悪くするよ?」
「いいんです。どうせ美●女文庫くらいしか読みませんし。ゲームとかやりませんし。黒板なんかろくに見なくてもだいたい授業についていけてますし」
「そうやって勉強なめてると痛い目に遭うよ……ソースは俺。高校最初の定期テスト、授業が余裕だと思ったらひどい成績だった」
「……そうなんですか。じゃあ、勉強教えてください」
「えぇ?!」
そんなこと言われたって一年生のころに教わったことなんてろくに覚えていない。俺の脳はなぜかテストが終われば自動的に忘れるシステムを搭載しているのである。
そう言うと美沙緒さんは小動物のように笑った。
「そうでしたか。じゃあ無理にとは言わないでおきます」
「九条寺くんと一緒に勉強したら?」
俺がそう言うと、美沙緒さんは訳の分からないことを言われた顔で、
「は?」と喧嘩腰に答えた。
「だってほら、同じクラスじゃん。九条寺くんも喜ぶんじゃないかな」
「なんであんなの喜ばせなきゃないんですか。わたしは猫耳猫尻尾を付けて猫化した全裸の先輩に、猫じゃらしを見せて喜ばせたいです」
いや喜ばんし……。なんだそれ……。
とにかく美沙緒さんは九条寺くんをただのクラスのモブとしか思っていないことがよく分かった。もし俺がただのクラスメイトだったとしても、美沙緒さんは俺をモブと認識するんだろうか。恐らく、「一年生を迎える会」で、俺があの暴挙に出たから美沙緒さんは俺を好きになったのであって、ただ一緒に部活紹介を見ていたら俺をモブとしか思わなかったろう。
「……美沙緒さんがさ、その他大勢だって思ってる一人一人にもさ、気持ちっていうのがあってさ、九条寺くんは美沙緒さんのことすごく心配してるんだよ」
「心配されるだけ迷惑ですよ」美沙緒さんは玉子焼きを口に放り込んだ。
「どうして? 美沙緒さんは、誰かに好きだって言ってもらいたかったんじゃないの?」
「先輩が言ってくれなきゃ意味ないんですよ。先輩が、わたしと南中事件勃発しようと思ってくれなきゃ意味ないんですよ」
いや南中事件勃発させたいんかい。ダメだよそんなの。
「おー、噂通りホントに一緒に弁当食べる仲まで発展してる」
唐突に保健室の白河先生が現れた。美沙緒さんは表情を硬くする。
「春野さんのお弁当、おいしそうだね。お母さんが作ってくれたの?」
「いえ。お手伝いさんが作ってくれます」
「そっかー春野さんのお家はお手伝いさん雇ってるんだ。お母さんの労力を減らす賢い方法だ」
「あの、白河先生。なんのご用ですか?」美沙緒さんが強い口調で尋ねる。
「んー、将棋部コンビが一緒にお弁当食べてるっていうから、まぜてもらおうと思って。私こう見えても将棋アマ二段なんだよ」
「あ、アマ二段?!」俺の声が裏返った。白河先生はにまりと笑った。
「そうだよ。将棋はどこまで掘り進んでも終わりがないゲームだからね。運の要素もほぼないしね。さてと」白川先生は適当に俺の横に腰掛けると、社会現象になったアニメのキャラクターが描かれた弁当箱を取り出して、肉シュウマイをもっもっと食べ始めた。ほかには手羽先やアスパラベーコンなんかが入っていて、なんというかおかずのセンスが酒飲みっぽい。
「アマ二段って、ネット対戦とかでですか?」と、俺はそう訊ねた。
「ううん、近所の将棋道場に通いだして、面白くて指してるうちにあっちゅーまにアマ二段になってた」
将棋道場。この街にもそんなのあるんだ。
「あの、先輩。わたしお邪魔ですか?」
「あっいやそんなことはない。白河先生を独り占めしたらほかの男子にタコ殴りにされかねない」
俺がそう冗談を言うと、美沙緒さんはしょうがないなあ、という顔で微笑んだ。
「アマ二段になれば、将棋フォーカスの講座って実際に役に立つんですか?」と、美沙緒さん。そんなこと訊ねるまでもなくこの間角換わりの新しい定跡披露したじゃない。
「どうなんだろ。その人の流儀によるかな。わたしは居飛車の急戦が好きだから、それの新しい作戦が得られそうなら観るけど。それよりNHK杯すごいよ、あれは観てるだけで将棋が強くなる魔法の番組だよ」
「あー序盤の指し方とかすごい参考になるっすよね」
そんなふうに、弁当をつつきながら将棋の話で盛り上がった。白河先生は、
「将棋部の顧問を買って出たいくらいなんだけどさ、養護教諭だから無理なんだわー」
とぼやいていた。酒飲みっぽいメニューの弁当を退治ると、白河先生はベンチから立ち上がり、ポーズを決めて言った。
「ま、いまはテスト期間だから、こつこつ勉強したまえよ。春野さんは一年だから初めてのテストだけど、高校の定期テストには赤点という恐怖のシステムがあるんだぞ」
「……赤点」美沙緒さんはぽつりとそれを口に出した。
「平均点以下の点数をとっちゃうと、テストのあとの週に居残り勉強と追試があるんだよ」俺が説明する。美沙緒さんは真面目な顔で、
「居残り勉強と追試で将棋部行けなくなったら嫌なので、本気で真面目に勉強します」と答えた。俺は、
「それなら一人でやるより九条寺くんを誘ってみたら?」と提案した。廊下の向こうから、九条寺くんのちょっと癖のある足音が聞こえたからだ。九条寺くんはびっくりするほど小柄――美沙緒さんより一回り小さい体格――で、まるで子供のような歩き方をするのである。
「……九条寺くん、ですか。……そうですね、一人じゃ誤解したまま勉強しちゃうかもしれない。誘ってみようと思います。……九条寺くんは、どう?」
「え、あ、お、俺? な、なに?」
「わたしと、一緒にテスト勉強してくれないでしょうか。先輩、一年生のころに覚えたこと、だいたい忘れちゃったって言うから」
「お、おう、もちろんいいぞ。なに勉強する? 俺、得意科目は英文法と物理。苦手なのは現代文」
「わたし現代文が得意で物理が苦手だからちょうどいいね」美沙緒さんは九条寺くんから目をそらしながら答えた。真面目に顔を見るのが恥ずかしい、という顔。
「よーし同級生の友達ができたじゃないの。一緒に勉強する仲間がいるって素敵だね」と、白河先生は陽気に笑った。美沙緒さんは、
「とも……だち……?」と宇宙人のようなリアクションをした。
「友達じゃん。間違いなく友達だよ。よかったね二人とも」と、俺は言ってやった。
九条寺くんも弁当をつつき始めた。俺は白河先生と、アイコンタクトで「やりました」「ファインプレーじゃん」というやりとりをした。
平和な昼休みだ。
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