第二部 美沙緒さんを幸福にし隊

13 後輩は俺が園児服に黄色い帽子でいたら最高だと思っているらしい

 この高校には「ピロティ」と通称されるスペースがある。なんというか、校舎の入り口のすぐ奥に、ベンチが置かれたスペースがあって、そこがピロティだ。いつもリア充が溜まっている。正直俺には無縁なところだとばかり思っていた。


 そのピロティに、俺と美沙緒さんはいた。いまは昼休み。テスト期間で部活がないので、二人で一緒に弁当を食べよう、といって、ここに集合した。周りがリア充ばかりでドキドキする。


 自分で適当に冷凍食品を詰めてきたプラスチックの弁当箱を開ける。最近の冷凍食品はそのまま弁当に入れられてありがたいし、冷えているので雑菌がわくこともない。


 隣に座っている美沙緒さんは、立派な曲げわっぱの弁当箱を膝の上において、ちょっとビビり気味にそれを開けた。見事におかずが茶色い。でもいい匂いがする。


「カッコ悪いですよね、こんな茶色いおかずばっかりのお弁当」


「いや? おいしそうだよ。見てよ、俺の弁当なんかアン●ンマンの形のフライドポテト入ってる」そう言って箸でアン●ンマンの形のフライドポテトをつまんで見せる。親が安かった、という理由だけで買ってきたものだ。俺をいつまでも幼稚園児だと思っているらしい。そう言って笑うと、美沙緒さんは、

「先輩が園児服に黄色い帽子、最高ですね」

 と、あらぬことを言いだした。あやうくフライドポテトを落としそうになる。急いで口に突っ込んでモグモグする。


「……自分のこと、可愛がれそうかい?」


「うーん……正直なところ、まだ今一つよく分からなくて。わたし、どうしても自分はいらない子だって思っちゃうみたいで」


 いらない子。俺ですら言われたことのない、考えうる最悪の表現だ。


「そのいらない子っていうのは、いままでにだれかに言われたの?」

「いえ。自分で思ってるだけです」美沙緒さんが誰かにそんなひどいことを言われているわけでないと知って、俺は正直なところとてもホッとした。


「自分で自分をいらない子、なんていうのやめようよ。きっと世界には美沙緒さんを必要としているひとがいるよ」


「先輩じゃなくて?」いきなりグイグイきた。いや必要だよ、将棋のライバルとして。そう言うと美沙緒さんは残念そうな顔をした。


 もっと、好きだよ、とか言ってあげられればいいのだが、俺は美沙緒さんを部活の大事な後輩という見方しかできない。そりゃ大型連休の間にあわや、ということがあったが、あれは美沙緒さんを冷静にするための行動だったのだ、と黒歴史を封印する。


「わたしは先輩に、必要とされたいんですよ。先輩のこと、ずっとずっと見てたいんですよ。……あ。これわたしが先輩に必要とされたいんじゃなくて、わたしが先輩のこと、必要としてるんだ」


 大きな気付きである。しかし俺としてはやっぱり困るほかない。俺のことなんか好きにならなくていいのに……。美沙緒さんなら、もっと素敵な人とも付き合えるのに……。


 それもこれも部活紹介のとき俺を独りぼっちで壇上に向かわせた、完全に幽霊部員の先輩たちが悪い。またしても黒歴史がぶり返してきたのでこれも封印しておく。


「……春野」だれかが美沙緒さんを呼んだ。弁当から顔を上げると、えらく小柄な一年生の男子生徒が、弁当箱をもって立っていた。


「……どなた?」美沙緒さんは丁寧な口調でその人間に訊ねて、制服についているクラス章で同じクラスの人だと気付くと、前髪を留めているぱっちんどめを外して顔を隠した。


「やめろよ! お前はすげー美人なんだよ!」と、小柄な男子生徒は甲高い声で鋭くそう言う。


「やめてください」美沙緒さんは冷静に、その男子を追い払おうとした。なんだこのコミュニケーションの成り立たない関係は。


「まあまあ二人とも落ち着いて。君は誰? 美沙緒さんと同じクラスだね」


「……九条寺貴比古。春野が変な先輩と弁当食べてるって聞いて、様子を見に来た」


「じゃあ君もそこ座りなよ。みんなで食べればおいしいよ」


「いやです……」美沙緒さんがそう言った。うーんと、どうすればいいんだろうか。

「美沙緒さんもそう言わないでさ。ね?」と、なだめてみる。なんとかそいつが隣に座って弁当を食べるのを許してくれた。九条寺くんは嬉しそうな顔を一瞬して、美沙緒さんの横に腰をおろした。


「九条寺くんは、何部? 俺らは将棋部」会話が切れないように、アン●ンマンの見た目なのにあんでもパンでもないポテトをもぐもぐしながら、九条寺くんに訊ねてみる。


「……弦楽部。でもレベル低すぎてつまんないから、あんまり行ってない」


 弦楽部ってあのヴァイオリンとか弾いてる部活か。学園祭とかで演奏を聴くぶんには、素人レベルではあるだろうがそんなに下手くそだとは思えない。


「九条寺くん、昔から楽器やってるの?」俺がそう訊ねると、九条寺くんは頷いた。


「三歳のときからヴァイオリンやってる。俺んち無駄に金持ちだから」


 無駄に金持ち……かあ。九条寺くんは弁当箱を開けた。美沙緒さんの弁当ほど茶色じゃないが、冷凍食品のたぐいが入っているようには見えない。


「そっかあ。で、なんで美沙緒さんのこと心配してきたの?」


「そりゃあ……察せよ」と、九条寺くんは恥ずかしそうな顔をした。これ単純に、九条寺くんは美沙緒さんのことが好きなのだと思っていいのだろうか。


 美沙緒さんはさっぱり分からない、の顔をしている。鈍感か。あんなエロいことほいほい言うのに、鈍感か。美沙緒さんはこっそりメントールの煙草でも喫ってるんだろうか……って俺がエロいこと考えてどうする。


 とにかく、九条寺くんは俺と美沙緒さんの横で、すごい勢いで弁当を食べた。


「あの」と、美沙緒さんは口を開く。

「わたしは、先輩を性的な目で見るのが好きなんです。その邪魔をしないでもらえませんか」


「静的な目……?」いかん通じてないぞ。育ちがよすぎてそういうのの知識や免疫がないのだ。


「要するに、先輩をスケベなネタの材料として見るのが好きなんです。先輩を亀甲縛りにしてろうそくたらーりたらーりするとか」


「亀甲縛り……ろうそく……なんの話だ?」完全に通じていない。九条寺くんは全く理解できない顔をしていて、俺と美沙緒さんの顔を見比べている。


「ちょっとググればわかると思う」美沙緒さんがそう言うと、九条寺くんは最新鋭のスマホを取り出してぽちぽちした。そしてとんでもなく赤面して、

「そ、そういうのは成人式過ぎてからじゃないとだめだ!」と、子供みたいなことを言った。美沙緒さんは呆れながら弁当箱のフタをしめた。きれいなハンカチでくるむと、


「わたし、教室に戻りますね」といって、廊下に消えた。


「なんだよ、春野……春野は、なんであんな……その……」九条寺くんはブツブツとつぶやいている。気持ちはわかるよ。俺もそう思ったもん。


「……きみは、美沙緒さんが好きなのか?」


「……おう……でも……あんなこと考えてるなんて……でもそういうところも面白いし……春野と、もっと仲良くなりたい……」


「じゃあさ。どうにか美沙緒さんに、自分を愛するということを教えてやってもらえないだろうか」俺は丁寧にそう言い、九条寺くんの顔を見た。


「自分を……愛する?」


「美沙緒さんは、誰からも愛されないで育って、俺をさっきみたいな妄想のネタにすることに幸せを感じているくらい、自分を可愛がることを知らない。この状況は大変よろしくない。俺じゃない誰かが、美沙緒さんの自己愛の起爆剤にならなきゃいけないんだ。わかる?」


「お、おう……」九条寺くんは美沙緒さんが自己愛を知らないというのが分からない顔をしているが、言っていることはとりあえず通じた。誰かが、美沙緒さんにあふれるばかりの愛を注がねばならない。そしてそれは、俺ひとりではとてもとても難しいことだと思う。


「九条寺くんは、美沙緒さんと親しくなって、付き合いたいんだよね? それは美沙緒さんのお家のこととか関係なく、だよね?」俺が訊ねると九条寺くんは頷いた。


「俺、春野がずっと一人なの、可哀想だと思ってて……」と、九条寺くんはつぶやいた。


 美沙緒さんを理解できそうな人間が増えた。俺だって理解できるわけじゃないが。俺は、

「俺もそう思う。共同戦線だ。名付けて『美沙緒さんを幸福にし隊』だ」


「なんだその変な名前」九条寺くんはすごく素直だった! いや俺も変だと思ったけど!


 それでも、とにかく九条寺くんは俺と共同戦線で美沙緒さんを救うことに同意してくれた。


 ここから、美沙緒さんに性的な目で見られていた俺の反撃が始まる!

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