7 後輩は休日のたびに「先輩どうしてるかな、自慰してるのかな」と思っているらしい
ラッキースケベから数分後。俺と美沙緒さんは職員室にいた。日下部先生に、部室の雨漏りの件を相談しにきたのだ。日下部先生は生徒指導部の仕事をしているようで、今月取り締まったピアスや染髪の件数をまとめる作業をしながら、
「そうかー雨漏りするのかー。部室棟自体古いからなぁ……しゃーない、ほかの部屋使えないか聞いてみる。明日までにはなんとかすっから、安心して帰れ……ああ。明日は土曜日か。五月の連休始まっちまうなあ」
おお、明日から五月の連休。これでしばらく美沙緒さんの暴走する性欲から逃げられる。日下部先生はパソコンをかたかたいじりつつ、連休中はしっかり勉強しろよ、と言って、それから部活関係を担当している先生に声をかけに行った。
「じゃあ、帰ろうか」
「あの、先輩。LINE交換しませんか」
うっ。大型連休中、家でも美沙緒さんの妄想を聞かされるのだろうか。それは嫌だ。俺のクラスメイトに、中学からの友達のツイッター裏垢をフォローしたところ、毎日ほぼ一対一でわいせつツイートを四六時中聞かされて精神を病みかけ、その中学の友達と絶縁せざるを得なくなったやつがいる。そういう状況に、俺もなってしまうのだろうか。
俺はそのことを、美沙緒さんにとくとくと語った。
「俺は美沙緒さんのこと好きでいたいし、部活の後輩として見守りたいから、なんていうか……美沙緒さんの内面を正直に吐露されたら、そうはできなくなっちゃう気がするんだ」
「……そうですか。あ、部室から将棋の本借りていっていいです?」
「もちろんいいよ。俺も手筋の本借りてって勉強しようと思ってた」
というわけで雨漏りのする部室に戻ってきた。美沙緒さんは初心者向けの定跡の本を、俺は部分図で次の一手形式の手筋の本をリュックサックに押し込んだ。
「――じゃあ、また今度ね」
そう言って部室を出る。美沙緒さんも、可愛いリュックを背負って部室を出た。
「あれー将棋部もう解散すんのー? ウチらうっさかった?」
と、演劇部のさっきのやつが声をかけてきた。よく見ると(見た目のことを言うのはアレだが)結構かわいい。ただ太めで目じりをはね上げたアイラインは正直に言って似合っていない。
「いや、そうじゃなくて、雨漏りがすごくて」
「えーまじかー。部室棟ぼろいもんねー。五月の連休中はどーすんの? ウチらテスト明けすぐにコンクールだから休み中も来るけど」
「俺らは特に大会とか出ないゆるーい部活だから。それじゃ」
演劇部はニコニコして手を振った。意外といいやつなのかもしれない。
下足入れからヨレヨレのスニーカーを引っ張り出す。うわやべえ雨だ。天気予報を鑑みて傘持ってバスで来てよかった。チャリンコでこの天気のなか移動するのはきつい。
「……あぁ」美沙緒さんがかなしげにつぶやくのが聞こえた。どうしたんだろう。
「傘、盗られちゃった」美沙緒さんは深々とため息をつく。盗られた? それこそ生徒指導部に連絡一択じゃないか。俺がそう言うと、
「でも、そういう面倒を起こすと、母に迷惑がかかるので……」
と、美沙緒さんはひどく怯えた口調でそう言った。長い髪で顔を隠すように俯いている。
「子供は親に迷惑かけたっていいんだよって俺の親はよく言うけど。まあ面倒かけようにも社畜だから面倒のかけようがないんだけど」
「でも、こういうくだらないことで、親を煩わせると、弟に迷惑だし」
「なんでそんなに弟さんのことを考えるの? 美沙緒さんは美沙緒さんのやりたいようにやればいいじゃないか」
「それは、できないので」
美沙緒さんは、完全に怯えていた。何が怖いのかはよく分からない。俺なら傘を盗られたら速攻で誰か先生に相談する。返ってこなかったとしてもだ。
「美沙緒さん、いじめられてたりするの?」
「いえとんでもない! クラスでは石ころ同然なので、いじめられもしないし好かれもしないです。たまたま間違って持って行ったんだと思います。地味なグレーの傘だったし」
「そっか……」俺はどうしたものか考える。そして、自分の傘を美沙緒さんに渡す。
「これ、ラッキースケベのお詫び。これで貸し借りゼロだよ」
「あ、え、あ、ありがとうございます……え? え? いいんですか? 先輩どうやって帰るんです?」
「まずコンビニまでダッシュして傘を買う。そんでそれさしてバス停に並ぶ。きょうは天気予報を考えてバスで来たんだ。それじゃ!」
俺は雨の中を疾走した。ひゃーやっべえ雨。最寄りのコンビニに飛び込み、ビニール傘を買った。それを指して、バス停に並ぶ。わりと時間通りにバスが来たので、それで家に帰った。
美沙緒さん、どうしてるかな。ちゃんと家に帰れたかな。それだとしても、……俺が傘を貸したせいで、家族になにか咎められたりしてないといいけど。
美沙緒さんの家には、なにか問題があるようだと、俺は薄々感じていた。そして、ラッキースケベのときに少しだけ香った、自然な石鹸の清楚な香りを、思い出していた。
そんなこんなで大型連休だ。家族はもちろん仕事。俺はアパートの茶の間で、手筋の本を見ながら百均で買った盤駒で実際に並べて勉強をしていた。ああ、大型連休。
俺は大型連休でどこかに連れていってもらった記憶がほとんどない。
俺が小さいころから両親はずっと働きづめで、大型連休なんて冷凍パスタなんぞ食べながら宿題を潰すだけの休みだった。その休みに、宿題の息抜きとして将棋の勉強ができることをありがたく思っていると、玄関チャイムがぴんぽーんと鳴った。
「はーい……」五月の連休とはいえまだ四月末。もしかして新聞の集金かな。玄関に出て、のぞき窓から様子を伺う。
……美沙緒さんだ。傘を持っていて、反対の手には菓子折りもある。
「あの、先輩。傘返しにきました」
な、なんで俺の家を知ってるんだ。ドキドキしながらドアをあける。美沙緒さんは当たり前みたいに玄関に入り、俺に俺の傘を渡した。
「制服、濡れちゃいましたよね。大丈夫でしたか?」
「あー、濡れたけどまあ連休中にいっかいクリーニングに出すから。ほら、制服ってずっと同じの着てるから、汚れるでしょ? だからうちだと長い休みがあればとりあえずクリーニングに出すことにしてるんだよ。どうせ衣替えですぐまたクリーニングに出すんだけど」
「そうでしたか。これ、傘を貸していただいたお礼です」
美沙緒さんはデパートの包装紙にくるまれた菓子折りを差し出した。ちょっと困ってから受け取る。結構重たいところを見るとようかんとかだろうか。
「――なんで俺の家分かったの? アパートの部屋まで」
「日下部先生に教えていただいたんです。住所を聞いてから、図書館の住宅地図で調べました」
完全にやってることがストーカーだぞ美沙緒さん。まあ木暮って苗字がこのへんでは珍しいのもあって、調べるのは簡単だったかもしれない。しかしなぜ住所を教える、日下部シーラカンスよ。
「あの、もしよかったら、すこしお喋りとか、しませんか?」
美沙緒さんは上目遣いで俺を見ている。俺はしばらく悩んで、結局ほだされて家に美沙緒さんを入れてしまった。とりあえず冷蔵庫からプリンを取り出して、スプーンと一緒に出す。ついでに熱湯玉露も淹れる。さすがに親のいないところで菓子折りを開けるわけにはいかない。
「あの、先輩。わたし、先輩と一日会えないだけで、気が狂いそうでした。いや、いままでも土日のたびに、先輩どうしてるかな、自慰してるのかな、って思ってたんですけど、ほぼ一週間会えないって思ったら、どんどん先輩のイメージがゆがんじゃって」
なんか変なことを言われたような気がするがとにかく話を促す。美沙緒さんは、
「先輩、大型連休の間、ときどきお邪魔していいですか? わたし、先輩なしじゃ生きていけないんです。先輩をみて、正しい先輩のイメージを保ちたくて。そうじゃないと、メス堕ちした先輩とか、NTRれた先輩とか、そういうのばっかり考えちゃいそうで」
「お、おう、そうか……じゃあ、将棋指して遊ぼうか?」
「はい! 先輩と、指したいです!」
美沙緒さんのいままでの言動のせいで、「指したい」という言葉が別の漢字で耳に入ってくるのをキャンセルしつつ、俺は盤に駒を並べた。美沙緒さんも、ぱきぱきと駒を拾っていく。並べ方までいつのまにかプロがやるように左から交互に並べていく。駒を拾おうとして、俺の手が美沙緒さんの手に触れた。美沙緒さんをちらりと見ると、俺をじいっと見つめていた。
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