6 後輩は俺が異世界の闇オークションで手枷足枷をかけられて売られてたら素敵だなと思っているらしい

「いやいやいやそういううれしいことじゃなくて! 待った! 待った待った待った!」


「将棋と人生に待ったはありませんよ! ああっ、先輩……!」


「とろけないとろけない! 待って待って! 落ち着こう! ほらイチゴ牛乳!」


 美沙緒さんはどうにかストップして、ため息をついた。呆れてるのはこっちだよ。


「ねえ美沙緒さん、なるべくむっつりでいく、って約束だったよね?」


「そうです……けど。先輩が一緒にうれしいこと見つけようっていうから、つい」


「美沙緒さん、一緒に考えるって別の方向性もあるんだよ。それに美沙緒さんは、すごく可愛いんだよ? 学校一っていってもいい。見た目のことあれこれ言うのは褒めても失礼だけど」


「……見た目がよくても、中身が残念なので。残念なのを見た目でコーティングしても、いつかきっとボロが出るので」


「そのボロってさっき俺に迫ろうとしたやつじゃないの」


「ウグウーッ」美沙緒さんは唸った。まるっきし村を焼かれて奴隷市場に連れていかれるエルフの美少女だ。そしてもちろん、好色な醜い大富豪に買われてそういうことになるのである。


「とにかくさ、ほかのこと考えて落ち着こう。俺だって俺のタイミングってもんがある。少なくとも俺は、美沙緒さんをえっちな目では見られない」


「先輩はどうやったら、わたしをえっちな目で見てくれるんです?」


「い、いやそれはわからんけど……俺なんかよりもっとハイスペックな人と付き合いなよ」


 そういう話をしていると、ドアがノックされた。先生だろうか。開けると、隣の部屋が部室の、演劇部の裏方担当だった。演劇部の役者たちは第一体育館のステージに緞帳を降ろしてその内側で練習しているが、コンクールなんかで衣装を作る必要が出ると、大道具小道具衣装の担当の、いわゆる裏方のやつらが、部室でミシンをがたがた回すのである。


「あのさー、なんの話してんの? 将棋部からでけぇ声聞こえてくるとかなにごと?」


 派手に化粧をしてセーラー服の下にパーカーを着た、無駄にファッショナブルな三年生がそう言ってくる。俺はどう答えたものか考えて一瞬悩んだそのとき、


「王手飛車取りがかかったんです。このままだと飛車をただ取りされそうになって思わず悲鳴が。ほら、目から火の出る王手飛車ってやつです。それで待った、って言ったんです」

 と、美沙緒さんが鋭く、そしてよどみなく切り返した。


「ふーん。ウチら、今月中は衣装作ってるから、大声だと、まあ内容まではわかんないけど……音は結構聞こえるからね。あ、逆にウチらのミシンうるさかったら言ってちょ。あれだよね、将棋のヒトって勝負のときホテルの池についてる滝止めたりするんっしょ?」


「いやそこまでの真剣勝負ではないですね」


 滝を止めたというのは大昔のプロ棋士の逸話だ。俺たちにはぜんぜん関係ないが、有名なプロ棋士の伝説として語られているので、将棋すなわち滝を止めるほどの真剣勝負、という認識をされているのかもしれない。


「そーなの。じゃあ、お互い静かにやろーね。そいじゃー」

 そう言って演劇部の裏方は引っ込んだ。


「美沙緒さん、そういうわけだから静かにしよう。……美沙緒さん?」


「ホテル……ホテル……回転ベッド……勝負……」


 俺はミルクティーを飲んでいないことに感謝した。回転ベッドて。ホテルはホテルでもやる勝負の内容がぜんぜん違う。とりあえず椅子にかけてミルクティーの蓋をあけてすする。


「美沙緒さん、まあとりあえず落ち着いて。とにかくだ、美沙緒さんは人生を悲観して無謀な性行為に走るようなタイプの人間じゃないんだ。将棋の腕前見てればわかるけど、頭もいいし、ルックスも素敵だ。だから、俺なんかじゃなくて、もっとハイスペックな人間と付き合いなよ」


「……わたし、人間っていう生き物がとりあえず嫌いなんですよ」


 美沙緒さんは意外なことを言いだした。美沙緒さんは心底軽蔑している口調で、

「クラスのやつら、柔軟剤の匂いの上から香水つけて最悪な匂いしてて、気持ち悪い化粧してて、男子も眉毛抜いてて、とにかく最悪なんですよ。それで、そういう最悪なやつらが群れて、石をひっくり返したときいっぱいいるダンゴムシみたいにしてて。あんな奴らのなかに、仮に先輩の言うような『ハイスペック』なやつがいても、付き合いたいとは思いませんね」


「辛辣だね」俺がそう言うと美沙緒さんは長い睫毛を伏せた。二重まぶたにするノリの跡などはない。美沙緒さんが生まれつき完璧な二重だということがわかる。


「先輩は、人間、好きですか?」


「好きか嫌いかで言えば好きかなあ。親は尊敬できるし、保健室の白河先生だって優しいし、顧問の日下部先生も価値観こそシーラカンスだけどちゃんとした人だ。可愛い後輩もいるし」


 美沙緒さんは、いままでのお下品な言動をチャラにするような、超絶可愛い照れ方をした。


「可愛い後輩……ですか。そこから、可愛いセフレに昇格はしてもらえないですか」


 俺は必死でミルクティーを飲み込んだ。しばしけほけほして、


「セフレって、人間関係としては最悪だと俺は思うよ」と答えると、美沙緒さんは残念そうな顔をした。そんなに俺とやりたいのか。そんなに俺の股間が気になるのか。


「なんでですか? 気持ちよくなりたいとき手軽に気持ちよくなれたら幸せじゃないですか」


「だってそんなの、美沙緒さんが可哀想だよ。誰かが気持ちよくなるためだけに美沙緒さんと友達やってるってことだよ。そんなの、自分の大安売りじゃないか。美沙緒さんは、もっとちゃんとした動機で必要としてくれる人と、手をつなぐべきだ」


「……先輩は、わたしのこと、いらないですか?」


 美沙緒さんはグッサリくるセリフを選ぶのが上手い。その言葉はまるっきし、ナイフのように俺の心に突き刺さった。


「美沙緒さんは必要だよ。可愛い後輩。教えれば教えたことの倍を習得するすごい後輩。将棋を指す相手。アマ初段をどっちが先に取るかのライバル。親友。そういうふうに必要」


「……」美沙緒さんは黙り込んでしまった。気まずくなって窓の外を見る。雨がすごい。そう思っていると、盤の上にぴちゃり、と水が落ちてきた。天井を見上げると、ちょうど盤を置いている机の真上に、黒い染みができていた。雨漏りしているのだ。


「あちゃー……雨漏りしてるな。とりあえず机を移動しよう」


 美沙緒さんと二人、机を適当な場所にずらし、雨漏りしている地点にバケツを置いた。


「これ日下部先生に報告しなきゃないな……修理費出るかな……」


「……あの、先輩、」美沙緒さんは震え声で、絞り出すように喋った。

「わたしはもしかしたら、先輩が好きなんじゃなくて、先輩をえっちな目で見るのが好きなんじゃないか、って気がして」


「……はい?」よく分からない告白にそう切り返す。美沙緒さんはそのぽっと色づいた、イチゴのような唇をぎゅっと噛んで、


「このあいだ、先輩を『一年生を迎える会』で知って好きになった、って言ったじゃないですか。でも、よく考えたら、ステージに一人で出てきた先輩が、学校のステージじゃなくて、異世界の闇オークションで手枷足枷をかけられて売られてたら素敵だなーって思ってたんです。最初っから、先輩を性的な目で見てたんです。大事な先輩を、闇オークションの商品だったらなあって思ってたんです。それで先輩を、男に飢えたサキュバスが買い取って、毎日毎日搾精管理してたら素敵だなあって、そんなふうに思ってたんです」


 そういうふうに美沙緒さんは悲しげに語った。美沙緒さん、そんなスゴイこと考えてたの。変態にも程があるぞ。美沙緒さんはぽろっと涙をこぼした。


「先輩をこれ以上、オカズにしたくないんです。でもオカズにしちゃうんです。ずっとそういうふうに、先輩を……汚らわしい目で見たくなくて……部活、辞めちゃおうって思うときもあります。でも、部活辞めたら、先輩独りぼっちじゃないですか。将棋、指せないじゃないですか。先輩をそういういやらしい目で見てるくせに、先輩と将棋指したり、先輩からいろいろ教わったりするのが楽しくて、部活に来る前は辞めるって言おうと思ってたくせに、部活にくると辞めたくなくなるんです。最悪ですよね」


「将棋が楽しい、が、ここにくる動機としては一番正しいよ。辞めなくたっていいよ。美沙緒さんは俺の大事な後輩なんだ。俺をそういうふうに見てても、それは変わらないよ」


 そう言って、美沙緒さんのほうに一歩近寄ろうとしたそのとき、床に置いておいたバケツに思いきりつまづいて、俺は見事にすっ転んだ。


「きゃっ」美沙緒さんの悲鳴。俺は、おもいっきり美沙緒さんのセーラー服の襟もとに、顔面を直撃させていた。慌てて立ち上がり全速力で後ずさると、美沙緒さんは顔を赤らめて、


「先輩、こういうのをラッキースケベって言うんでしたっけ……?」

 と、えっちなライトノベルで仕入れたらしい知識を開陳してきた。俺の人生はラノベじゃない。そう思ったものの、なにも反論できなくて、俺は「ウグウー!」と叫びそうになった。

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