第二章 二、桃だれ焼き肉で出演者を募ってみました ー 司祭①

 夕方になると、昼間のじっとりとした暑さが和らいで、涼しい風が海から吹きあげてくる。水田を渡ってきた空気はほどよく冷やされて、苛烈な太陽に焼かれた体を冷ましてくれるようだ。

 日が暮れると、三々五々外に縁台や小テーブルを出して夕涼みとしゃれ込むものも多い。大人は晩酌をしながらドロッテンという盤上ゲームに興じる。陣取り合戦のようなものだが、なかなかに奥が深い。ハイジア村の長老の無敗神話はヘム連によって破られ、そのヘム連はわずか七歳のニーナに負けた。ゲンゾーやクニチカに言わせると、おそらくシバタはもっと強い。そのシバタはヒューガ夫妻が組んだら無敵だろうと言う。実際のところはわからない。

 砦では、昼は開けっ放しの大門を、この季節は夜も開けておかないとやりきれない。

 砦には夏の仕様が他にもあって、何代か前の「あちら」からの移住者が、城壁を細工して風が通るようにしてくれたという。一見すると鉄格子の嵌まった小窓に見えるが、実は緻密に計算された通風口で、砦の中の気温を下げるようにできている。冬になれば、蓋をすることもできる。

 首筋の汗を拭ってジョウナスはため息をついた。

「やっかいなことになりましたな」

 あかね色の天を仰いで瞑目する。天におわす女神に彼は問いかけた。

「愛情深き女神ヴィスタよ、我らにどこまで成長することを求め給うや」

 今朝届いた飛竜便は、新しい助祭の着任と、ジョウナス自身の異動を報せるものであった。飛竜神報と呼ばれるそれは大神殿独自のもので、各地の神殿に王家の規制を受けることなく連絡が取れるようになっている。山を越えたこの地方には砦の教会しか宗教施設はなく、飛竜便が来ることなど滅多にない。よほどの大事か、あるいは着任、離任の連絡くらいだ。

 今、ジョウナスの腕に抱かれているのは、山を越えて疲労困憊した飛竜である。中型の犬ほどの体に折りたたんだ翼と長い尾。白い鱗に薄く生えた毛も白く、蹲って寝ていると本物の犬に見えることもある。頭頂の毛が黄色く染められているのが神殿の飛竜である証。これが応急のものであれば赤、軍事関係であれば紫となる。

 賢く、ある程度の言葉を解する飛竜であるが、ナムカンサヲ越える力を持つ個体は少ない。

「お、ジョウナスさん。そりゃ飛竜じゃねえか。えれえ疲れてんなあ」

 振り返っると、大剣を担いだ小柄な老人の姿があった。

「エイキチさん、あなたも先に夕飯ですか? その剣は?」

 エイキチはにひひと笑って応えた。

「こいつぁローヴが研いだヘムさんの剣さ。あいつもまあ、一人前だな。これで安心さね」

 ジョウナスの顔に微笑みが広がった。

「いいお弟子さんたちを育てられましたな」

「へっ、一人は生まれついての抜き身の刀みてえな剣鬼。もう一人はなーんも考えねえで走っちまうバカ。とどめに闘うのが怖くて怖くてしょうがねえのに怖さのあまり荒れ狂っちまう臆病者。まあ躾けるのがえれえたいへんだったなあ」

「エイキチさん顔が笑ってますよ」

 ジョウナスの指摘に、エイキチはてろんと頬を撫でた。

「けっ、言いやがれ。さ、今夜もお客様が来るんだろ? 五日前(めえ)にイッちゃんが牛捌いてたぜ」

「なるほど『卵か肉か』と訊かれましたからな。我々はまあ年なりのものをいただきましょうかね」

「だな。ローヴなんざ「え? 両方食う」ってさ。どんな胃袋してやがんだか」

 呆れた、とぼやくエイキチに、ジョウナスの笑みは不覚なる。初めて会ったときエイキチは既に老人だったが、纏う空気は触れたら切れそうな、それこそ「抜き身の刀」そのものだった。平和だという「あちら」で暮らしているのが不思議に思われた。ずいぶん人間臭くなったものだ。

「俺ァ幽霊なのさ。「あちら」じゃ、いねえことになってる」

 酔ったエイキチがぽつりと洩らしたことがある。深くは訊かなかったが、その時のえいきちの目は奥の見えない洞窟のような、昏い色をしていた。

「ジョウナスさん、飛竜が来たってことは、あんたもいよいお払い箱ってことかい?」

「正確には、今度来る助祭を仕込んでから、二年後ですな。ありがた迷惑なことに、司教にしてくださるそうで」

「そんな顔すんなら、教会なんざ辞めちまやァいいんじゃねえか?」

 ジョウナスはゆるく頭を横にふった。

「後任は、おそらく王宮の間者です。今の大神官は権力志向が強く、国王陛下とも昵懇だ。北にこの砦の秘密が漏れたら、彼らは目の色を変えるでしょう」

「ほんとは「あちら」の方が剣呑なんだけどなァ」

 呟くエイキチにジョウナスは項垂れた。シバタやハナの話によると、こちらの地下資源は「あちら」にとって果てしなく魅力的なものらしい。この砦で二つの世界が繋がっていることは、どちらの国にも隠し通さなければならない。

「まあ、シバタやテルみてェなおつむのデキがいい奴らに策を練るのは任せようや」

「ハナさんを忘れてますよ。あの方は時としてシバタさんより腹黒い」

 エイキチはまじまじと司祭のにこやかな笑顔を見た。

「おめえ、そりゃ褒め言葉じゃねえぞ」

「はっはっはっ、ハナさんなら褒め言葉だと思ってくれますよ」

「そんなもんかね」

 賄いには「あちら」の老人たちに加えて、アンヌマリーの姿もあった。タキフキ姉妹の向かいに座って、なにやら談笑している。珍しくうっすらと微笑みを浮かべた表情は、慈愛に満ちて柔らかく、とても騎士団長を締め上げる厳しさの持ち主には見えない。

「おばばさま、ナスとキュウリが漬かったぞ」「漬かったな」

「後で取りに伺います」

「明日のお昼はうちで食べなさらんか?」「なさらんか?」

 おそらく百歳を超えていると思われる双子姉妹がアンヌマリーを「おばばさま」というのも変な話だが、あれは愛称のようなものなのだろう。ほほえましく思いながら、ジョウナスは席に着いた。

 その日の夕食は「なんちゃってスパニッシュ・オムレツ」と紹介された野菜とチーズの入った卵焼きで、おろし醤油かケチャップが選べた。二人とも迷うことなくおろし醤油を選んだ。ハナが卵を焼いている間に冬瓜とエビの含め煮、もやしの酢の物。、玉ねぎとワカメの味噌汁をテーブルに運んだ。小ぶりのオムレツは卵がほこほこしたじゃがいもや甘い人参、玉ねぎ、ピーマン、歯ごたえのある椎茸、とろとろチーズをふんわりと包み、やさしい味がおろし醤油のさっぱりとした辛みによく合った。

 ジョウナスの連れてきた飛竜は、竜人の好む燻製卵に食らいついた。試しにハナが具なしのオムレツを作ってやると、頭を突っ込むようにして平らげた。

「その子、来んかったことにはできんと?」

 え? と皆が視線を集中させる中、ハナは例のにんまりとした人の悪い笑みを浮かべた。

「時間稼ぎばい。司祭さんにはなーんも連絡は来んしゃらんかったと。そしたら後任の助祭さんも、本物かどうかわからんちことになるげな」

「ハナさん、それは」ジョウナスが口を挟もうとしたところでハナはさらに続けた。

「そんでね、司祭さんは今から、一週間前くらいに「新任の助祭を騙った男」がおって。処罰して放逐した、て報告書ば鳥便で出すったい」

 あんぐりと口を開けたジョウナスは、素早く考えを巡らせた。その筋立てなら、新任の助祭に監視をつける言い訳として成り立つ。だが、あまりにもでまかせすぎないか?

「こういうのは、要所を押さえて細部を作り込めばバレんとよ。今晩「あちら」から来る人の誰かを偽助祭のモデルにして、砦みんなで口裏合わせとかんとね。ああ、人相書きも作ろかね」

「…あなた、本当に陰謀好きですね」

「妄想と悪だくみが大好物ばい」

 茫然としたジョウナスも腹から笑いがこみあげてきて、声を上げて笑った。皆も笑っている。人生の大半をこの人たちと過ごしてきたのだ。いまさら都で権力闘争をするつもりはない。

 この砦に来た頃は帰ることばかり考えていた。それがいつしか都のことを忘れ、都にも忘れられることを望むようになってしまった。なぜかはわからない。

 ただ、肩を寄せ合って、必死に生きて、それでも人生を楽しむ力強い人々の間にあって、ジョウナスは幸せだった。様々な苦難があったが、確かに人生は楽しいと言える。

 膝に乗った飛竜が、笑うジョウナスの顔を見上げて「きゅおん」と鳴いた。

 そこでエイキチが先程の「腹黒」呼ばわりをバラし、ハナが「お褒めにあずかり」とすました顔で皆をさらに爆笑させたのは言うまでもない。

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