第一章 七、トマトがけイワシの蒲焼きで色恋の初歩を知る③
ランゴルドは紛う方なきヘタレだった。。
いっそ犬だと言われたほうが納得できるくらい「ウィルマ、ウィルマ」とウィルマの後をついて回る。尻尾が丸くてよくわからないが、犬の尻尾があれば、千切れるほどに振っていたことだろう。
ウィルマに会えなくて寂しくて死にそう、はでまかせではなかった。こいつ、こんなんでよく出稼ぎなんか行けたよな。惘れるオルコットである。
ランゴルドの「ウィルマ好き好き」は周知の事実だった。ラリッサでさえ「兄様のアレはもう、ビョーキだから」と断じるくらいだ。
当のウィルマが、まったく意に介していないのが悲しい。
「ウィルマ好きー」「あーはいはい」のやり取りは何度も聞いた。まともに取り合っていないことが誰の目にも明らかだが、それでもランゴルドは避けられたり追い払われたりしないので、ウィルマの荷物持ちをするだけで幸せらしい。
村にも港にも、お年頃の娘はそれなりにいる。では、ランゴルドを狙うかといえば、そうでもない。
「ランゴルド様は目の保養よ。でもね…」
「強いし、かっこいいし…だけど、アレだし」
「だよねー。やっぱ、ヘイワン様?」
「ヘイワン様は妻帯者でしょうが。ここはふりーなローヴ様で」
娘たちの会話はよくわからないが、意外にランゴルドの人気がないのがよくわかった。つまり、ウィルマ以外はまったく目に入らない、ウィルマ以外はどうでもいい、を見抜かれてしまっているということか。
あれ? じゃあ、ヘイワンは?
愛妻と子どもたちを、それはそれは大事にしているヘイワンは、年齢層関係なく女性に大人気だ。この違いは何だろう?
「器の問題じゃな」
ヘムレンはそう言うが、器が何だかよくわからない。
そういうヘムレンも人気だったりする。これまたよくわからない。元は英雄だったかもしれないが、今や牛飼いのエロじじいなのに。
とりあえず、ランゴルドがウィルマの手伝いをしたがるので、オルコットは午後の一定時間を鍛錬にあてることができるようになった。
じいさまばあさまたちは、なかなかに忙しい。、自然に自由時間が重なるウィルマやランゴルドが鍛錬の相手となった。
ランゴルドはヘタレだが、恐ろしく強かった。さすが最上位。者。
同じ長さの、少し湾曲した二本の剣を操る姿は、とても中味が忠犬だとは思えない。
「オルたん、強いよ」
まるで犬に曲芸をさせるように、右に左に走り回らされて息も絶え絶えのところに言われても嬉しくない。
よく観察すると、二本の剣は、けして同じ動きをしない。常に半身に構え、どちらかが主、もう一報が従となって働く。厄介なのは、主従の位置がころころ変わることだ。
右を避けると左が。左をなぎ払うと右が。それぞれの一撃の重みも十分で、これで実践となったらどうだろう。
「相手の動きを見ることに神経使っちゃだめよ。剣先だけを見ちゃダメ」
ウィルマの指導はたった一言だ。しかもわけがわからない。ランゴルドに訊いても「えー俺わかんない」と、甚だ残念な答が返ってきただけだった。
色々試してみているが、まだ答は見つからない。
ウィルマとランゴルドの仕合いは、一度だけ見た。
いつものようににこにこしながら、ウィルマは低く身構えた。
それに対してランゴルドは、左を前にした半身だ。真っ直ぐ前に伸ばした左の剣。体に隠れて見えない右の剣。
それからの展開は、何と言ったらいいのだろう。
ランゴルドの前の剣は、閃光のように突き出され、それを追いかけて後ろの剣が弧を描いて別の角度から斬りつける。
それをウィルマはわずかな剣の動きで受け流し、徹底的に脚を狙う。
ランゴルドの足の動きが前後なのに対し、ウィルマの動きは半円。
やがてランゴルドは両手を挙げ、「公算」と笑った。
「こうも脚を封じられたら参っちゃうなあ。さすがウィルマ。腕、また上がったんじゃない?」
「もうちょっと粘られたら危なかったわ。それに、…ランゴルド、殺気がなかったもの。まだまだ私相手じゃ本気になれないのね」
「俺、いつでもウィルマ。には本気だけど?」
あ、今のは俺だってわかるぞ。「本気」の意味が違ってる。
自分には、どちらの「本気」もまだ届かないのが悔しい。自室で、何度も、二人の動きを再現してみる毎日だった。
「今日はイワシの蒲焼き丼、崩しトマト、破竹のぬた、ネギ玉知るたいね」
今日は午前中の配達が早く終わったので、練兵場で一汗かき、いつものようにランゴルドに踊らされて消耗した体力を補充しに、三人連れだって賄いへとやって来た。
相変わらずメニューを聞いてもよくわからないが、白飯の上の魚はふっくら照り照りと美味しそうだし、真っ赤なトマトも楕円形の筍もきっと美味しいに違いない。
「おすすめは、イワシの上にトマトをちょっとのせて、一緒に口にいれることやね。甘辛香ばしいイワシと酸っぱいトマトがよう合うと」
ごきゅり。
味を想像しただけで口の中がだえきでいっぱいになる。いただきますもそこそこに大口をあけて魚の一片と飯を頬張る。うう、魚がパリパリでふかふかで甘辛いたれが白飯に絡んで、うあああああ、こりゃたまらんわ。
いつの間にか、砦のじいさまたちの言い回しが頭の中でぐるぐる回っていた。がつがつと丼を抱え込んでかき込む。
思い出したように、筍をフォークの先にひっかけて口に放り込む。しっかりした歯応えと、絡んだ酢味噌の香りがいい。酢に何か入っているのか? ハナに聞いたら「山椒の実を漬けちょった味噌」と答えた。辛みのある実だそうだ。道理で、独特の刺激がある。
これも後でおかわりもらおう。そしてまた、丼に戻る。
静かに食べ始めたランゴルドが口を開いた。
「ウィルマ、この魚好きだろ? はい、一尾あげる」
「あら、ありがと。じゃあトマト半分あげる」
「やったー、トマト好きだぁ」
「うふふ」
え?
あまりに自然な流れに、耳を疑って顔を上げた。目の前の二人は、いつも通りの表情で、「まとわりつく犬とその飼い主」の距離感は変わっていない。
この二人、わかんねー。
勧められたようにトマトをのせて、再び魚を口に入れると、ほのかな酸味が舌の上に軟らかく広がった。
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