第一章 五、じゃこ天と涙を一緒に噛み締める③
ウィルマは森の狼人の里に赴く時以外の馬の使用を禁じ、オルコット自身が背負ったり荷車を牽くことを求めた。
少なからずプライドを傷つけられて、オルコットの口から質問の形をとった反発が転がり出た。
「これって何のためになるんだよ?」
ずっしりくるじゃがいもの袋に油紙に包んだベーコンと牛肉を重ね、後ろにひっくり返りそうになっているところに、更に革袋に入れた牛乳を腰につけて、走るどころか立っているのもままならない。
「わからないことを、何でもすぐに人に訊いちゃだめよ。自分の頭で考えなさい」
やはりウィルマはにこにこと返した。その背には、オルコットの倍くらいの荷物が積み上がっている。砦は高台にあるから、行きは下りでも、帰りは同じような重さの荷物を背負って、ずっと上り坂を駆けあがることになる。これはキツい。
しかしウィルマがにこにこしているのだ。意地でも笑ってみせる。
ふぬぎぎぎ、と歯を食いしばり、脂汗を流しながらにかっと笑う。
本日の目的地は港町にある水産工場だ。漁師のおかみさんたちが、魚や海草の加工品を作っている。
砦の南門を出て、左の道を行くとハイジア村。米、小麦、大豆、菜種といったものを育てている。東に控える山には茶や果樹が植わっていた。オルコットに農業の知識はないが、作物といえば小麦と豆だけ、あとは自分たちの口に入る野菜を細々と作るというのが北の農民のやり方のように思う。このように村全体で耕作地を計画的に配分しているのを見たことはない。
それぞれの作物は種まきも収穫も時期が違うから、お互いに耕作地や労働力を融通しあって協力するほうがなるほど合理的だ。
米以外の作物は、年ごとに作地を順繰りに移動させているという。理由はよくわからない。リン酸が何たら、アルカリ性がどうたらと、呪文のような言葉を唱えるレイトメニエスは、剣を持ったときよりよっぽど活き活きしていた。
右の道を下って行くと、長く伸びた岬の付け根にある港町ダモスに出る。その西側には岩山があって、麓の竹林の億にヘイワンを始めとする虎の一族が暮らしている。
三方を山や河や海に囲まれたこのとちは、山向こうのトロニア本国から見れば、経済的にも軍事的にも価値のない物に違いない。外国にとっては尚更だ。
港にしても底が浅いので、大型の商船や軍艦は入れず、交易にも軍事にもほぼ仕えない。。僅かにいる地元の商人たちは漁船と大差ない船で海を渡り、南や西の国へと出かけて行く。
水産工場で作られる魚や貝野干物や塩漬け、甘辛く煮詰めた佃煮などはなかなかの稼ぎになるらしい。近頃のヒットは魚や改造を炒りつけて味付けした「ふりかけ」。いずれも米とセットで輸出されている。
オルコットもほかほかごはんにふりかけの美味しさは身に染みていた。これなら他国の金持ちが大枚はたくのも頷ける。
「鐘はあるところから掠めとるのが基本ですよ、ふっふっふ」と会計のシバタは悪徳商人の顔で笑っていた
ふう、とウィルマは額の汗を拭って荷物を下ろした。隣でオルコットは座り込んでぜいぜいはあはあ息を切らし口もきけずへたりこんでいる。
「思ったより体力ないのね」
う、と息が詰まった。女の人に言われると胸が痛い。
「まあ、鍛えていきましょう。でも、やめたくなったら早めに言ってね」
「や、やめていいの?」
「ええ、騎士をね。この町も村も、砦の騎士をやめた人たちが別の生き方を選んで作ったものよ」
それは初耳だ。昔、砦を去った騎士たちの話は聞いたが、まさかこんな近場に定住しているとは思わなかった。
「俺は、やめない!」
笑みを深くして、ウィルマは頷いた。
「それなら、まだまだ死なない程度に鍛えてあげましょうね」
その笑顔は本当に怖かった。
今日もオルコットは賄いのテーブルに突っ伏している。疲れすぎて胃が食べ物を受け付けない。
ところがウィルマはそんなこともお構いなしに、通常の食事をさせた。本当に容赦がない。
「鬼だ…イビリばばあめ」
騎士団長の悪態に似た呟きを聞きつけたイツキが鼻で笑った。
今日の昼もまたハナの手伝いに入っている。太い大根をごりごりおろしながら、馬鹿にしたように笑う。
「何だよっ!?」
むっとして顔を上げると、今度ははっきりと嘲笑された。
「ウィルマちゃんの優しさがわかんないようなら、さっさと騎士なんざやめちまいな」
「なんだとっ!」
「騎士は女こどもの盾になって、最後の最後まで立ってなきゃなんない。それが最初にへばってどうすんだよ」
正論すぎて言葉もない。だん、と両手の拳をテーブルに打ち付けた。ピリピリとした空気が痛い。
そこにのんびりとハナが声を掛けた。
「できたばい。イツキちゃん、おろしのっけちゃらんね」
「いいよ。唐辛子は?」
「お好みっちゃね」
むすっとしたままオルコットは丼と皿を受取に行く。上から睥睨するイツキの態度がさらにむかついた。
「今日は、オルたんが港で貰ってきたじゃこ天をちょっと炙っていりこだしのうどんにのせてみたと。しっかり食べらな」
港のおかみさんたちが干物にもできない小さな雑魚を丁寧に擂り潰し、つなぎと塩、砂糖を加えて練ったものを成形して油で揚げてある。筍や玉ねぎなどの混ぜ物をしたものはまた違った味わいになった。
オルコットは港で揚げたてを食べさせて貰ったが、揚げ物なのに油っぽくなく、しっかりした歯ごたえと、噛めば噛むほど魚の旨みだけがずっと口の中に残るような味わいはたまらなかった。
目の前にある丼には薄く色づいたスープに小指の太さほどの白い麺。その上に手のひら大のじゃこ天が二枚。大根おろしがこんもりと山をなし、ネギが色味を添えている。
ほかほかと湯気をたてる丼の隣には、青菜を混ぜ込んだものと、双子姉妹の漬けた梅干しを刻んで混ぜ込んだもの、二種類の三角おにぎり。いずれも生唾を飲み込まずにはおれない。
あんなに食欲が減退していたのに、どうしたことだろう。
「イタダキマス」
「あちら」の作法に従って手を合わせると、オルコットはじゃこ天にフォークを突き刺した。端を少し囓ってみる。ちょっと淵がかりっとしている。炙ったことによって香ばしさが加わり、同時に口に入った大根おろしが微妙にスープを吸ってほのかな甘さを感じさせた。
うどんをちゅるんと吸い込む。もちもちした食感を楽しみつつ、またじゃこ天を囓った。今度はスープを少し吸ってみる。すっきりした魚の出汁が港町の陽気なおかみさんたちを思い出させた。
ふいに涙があふれてきた。零さないように俯いて耐える。
甘かった。戦うことも働くことも、ひいては食べることも生きることすら自分は甘く考えていた。
いついかなる時も食べなければ戦えない。働けない。生きていけない。
食べることは命を繋ぐことだ。今、多くの人の手を経て命を繋いでいる。
ならば、俺の守るべきものもそこにあるのだ。唐突に目の前が開けた気がした。同時に、自分は未だに何物でもなくまた何の力もないことがひしひしと感じ。られた。
食べよう。ウィルマが前を走っていることは確かなのだ。その背中を追ってみよう。
肩を並べられたら、また何かが掴めるかもしれない。
「あ、あたしも食べる」
イツキは言うと、自分で特大の丼を取り出してうどんを茹で始める。ハナは黙って何枚かじゃこ天を炙りはじめた。
やがてイツキは大きな皿に山盛りカラフルなおにぎりをのせ、特大の丼と共にオルコットの向かいの席に座った。
その丼、盥でも兜でもないよな? 肘につける盾ほどの大きさは、ゆうにイツキの顔の三倍はあるだろう。ちょっと頭痛がした。
先程の気まずい雰囲気など、毛ほども気にしていないようだ。
いただきます、と手を合わせてからのイツキのすさまじい食べっぷりに思わず手が止まる。じゃこ天だけで七枚あるのは目の錯覚だろうか。
「食べないんならもらうよ」
「やらねえよっ」
おにぎりに伸ばされていた手を払いのけて、梅おにぎりにかぶりつく。諦めたイツキがまた食料の大量消費を始めるのを上目使いデミながら、オルコットは心の中で嘆いた。
なんか俺、こいつにだけは勝てる気がしねえ。
色々なことを悟ったり悟らなかったり。成長期の若者はなかなかに大変なお年頃だ。
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