第一章 五、じゃこ天と涙を一緒に噛み締める②

 ウィルマの顔は怖い。

 顔立ちは地味ながら整っている。だが、左眉の真ん中から両眼の間を斜めに、右頬の中程までひどい傷跡がある。刃物で切り裂いた後、腕の悪い医者が縫ったように、縫い目の目だつひきつれた跡だ。

 いつも温厚そうな笑顔を見せているだけに、左右非対称な笑みは痛々しくも怖い。夜中に出くわしたら泣くレベルだ。

「ごめんね、気持ち悪いよね?」

 初日の宴のときに、申し訳なさそうに謝られたが、とっさのことで両手と顔を同時にぶんぶん振るという珍妙な否定しかできなかった。

 もっと気の利いたことが言えれば良かったと、じぶんのふがいなさを責めた。さすが年の甲というもので、じじいたちの対応は、オルコットにはとても考えの及ばないものだ。。エイキチやヘムレンのように膝枕をねだることもできず、筋骨隆々な怪力クニチカじいさんのように口説くこともできない。

「後添えに来てくれんかね。ウィルマちゃん好きじゃあ」

 スパコーンッ!

「あたしゃまだ生きてるよっ」

 ウィルマの右手をごつい両手で押し頂き、ごつい体をくねらせておねだりするクニチカを、見事な裏拳で張り倒したサチも、口説かれているウィルマも楽しそうに笑っていた。

 サチは、昔はさぞや美人だっただろうと思われる、ぴしっと背筋の伸びた老婆だ。こっそり「あいつに逆らうと、全身の関節外されるぞ」と耳打ちしてきたクニチカに、今なら「よーく知ってる」と答えられるオルコットである。あれは、脂汗が滝になるほど痛かった。

 後で聞いたが、後添え云々は、連れ添って五十年の夫婦の鉄板ネタで、律儀なウィルマは毎回付き合ってやっているらしい。

 ウィルマ自身、傷跡を隠すことも卑下することもないから、ただあるがままに普通にしていればいいのだろう。しかしオルコットにはまだ難しい。つい、じんわりと目を逸らしてしまう。

 ウィルマは六位。なんと、ヘムレンより強いということになる。

 最上位者たちの異質な強さではないが、届きそうな切っ先が、指三本ほど届かない。避けたはずの打ち込みが、思っていたタイミングより半瞬早くやってくる。刃を合わせたときには勝てるかも? と思うが、いつの間にかずるずる負けている。そういう強さだ。

 そのうえ、剣を避けたら続いて蹴りが飛んでくる。動きの規則性がまったく読めない。ヘムレンは「防衛戦に強いタイプ」と言っていた。

 ヘムレンとの仕合いにおいて、長大な「黒十字」に対し、ウィルマの細身の剣は短く、武器だけ見ても勝負にならないように思われた。

 だが。

 するするとヘムレンの打ち込みを避けた彼女は、なんと「黒十字」の由縁たる黒い柄を踏み台にして跳躍したのだ。

 ヘムレンの頭上でくるりと身を翻し、背後から首に刃を当てたウィルマに、苦笑いしながら元英雄は「参った」と両手を上げた。

 あの動き。。俺にもできないか?

 それからというもの、オルコットは挑戦の合間に、ウィルマの鍛錬を盗み見た。

 いつもニコニコしている感じのよい彼女は、オルコットと同じくらいの細剣を振るうときもその表情を崩さない。だが、仕合いが長引くにつれ、笑顔自体が恐怖の対象になってくる。中肉中背の女性が、どれだけ動いても同じ速さで避け、同じ強さで打ち込み、同じ表情でにっこり笑う。怖い。

 鍛え抜かれた技量と、それを支える無尽蔵の体力。オルコットが「追い越し狙い」をかけるなら、まずはウィルマだろう。

 まず命じられた仕事は「おつかい」。

 指示されるままに、村や町のあちこちに砦の作物を届け、代わりに各地の産物を貰って帰る。それは米であったり、小麦粉であったり、あるいは醤油・味噌のような調味料であったり。ときには石けんなどの日用雑貨であったりした。

 驚くべきことに、サルマーク辺境伯領において、食料・衣料品・日用雑貨、いずれにおいても王都の豪商を凌ぐ質を誇っている。オリーブの脂で作った石けんにはほんのりと香料がかおり、豚の毛で作った歯ブラシ、柔らかい紙、黒々と美しいインク、皮革製品、木綿・麻・毛織物・絹織物。そして、北では庶民が一生口にすることがない茶。

 すべてが当たり前のように皆の生活に存在している。

 シバタは「まだまだ産業は育成するよ」と言っていたが、「あちら」の人たちはそんなに物を作ることが好きなのか? と衝撃を受けた。

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