第一章 四、筍ハンバーグで少年を愛でてみました ー 虎②
焼けた肉の匂い。甘く香ばしいたれの匂い。。
賄いにいつもある、平和な家庭の匂いだ。
ヘイワンはこの匂いを嗅ぐたび、自分が手にしているものの大切さを思う。
ヘイワンたち虎の一族は、絹織物や羽布団の製作を生業としているものが多い。そのため、仕事内容には、男女の区別があまりない。皆が等しく忙しい。従って食事も簡単な物になりがちだ。
ヘイワンの家では、朝食はヘイワンが作る。大抵は飯と具沢山の味噌汁。具は野菜だけだったり、肉の切れ端が入っていたり。とにかく量がありさえすればよい。ごま油で炒めた具に、味噌と魚粉を加えて更に加熱。そこに熱湯を注ぎ、今度は火を弱めてじっくりと。
毎日同じような物だが、何か特別な日には、卵を人数分入れる。
先代の米ばあちゃんに教わった、「とりあえずこれを食べれば大丈夫」。確かにその通り。そして何故か飽きない。
朝食を詰め込んだら、桑畑から葉を運び、蚕に与える。会計係のシバタは「こちら」の蚕は「あちら」の二倍以上の大きさがあると言っていた。だから、吐く糸の量も多く、食べる葉の量も半端ない。なかなかの重労働だが、それが終わると二日に1階の割合で砦に出勤する。
砦では、主に力仕事をやっているが、たまにクリスタやラリッサの手伝いで、布の裁断をすることもある。子どもの頃から、布は扱い慣れている。
エンリカ砦の人々は、大体すとんとした長衣にズボンを合わせる。腰にベルトを巻くと、剣や商売道具を吊ることができる。皮職人のゲンゾーならば目打ちと小刀、毛抜きに金槌といったところ。これが大工のテツジならば、金槌と釘入れになる。
服飾担当のクリスタは少女趣味なので、ヘイワンたち騎士にはやたら飾りの多い騎士服が用意されている。面倒なので着ない。
イツキやラリッサには、ふわふわひらひらしたドレスがあるが、イツキは頑なに着ようとしない。一度ローヴと出かけるときに着ていたが、帰ったときには服と、何故かローヴがボロボロになっていた。
何があったか、怖くて俺には訊けません。世の中には、知らない方が幸せ、ということがあるもんね。
そのイツキはさっさとキッチンに回り込んで、飯を盛っているようだ。カウンターの上に皿と茶碗が並べられていく。
「ハーナさーん、今日はなーにー? いー匂いするねえ」
「ローヴがおねだりしとった筍ハンバーグばい。大根おろしに柚子胡椒だれ。付け合わせはアスパラガス。副菜に蕗と厚揚げの煮物。三つ葉の吸い物がついちょるばい。吸い物には卵豆腐入れたとよ」
いつものメニュー解説。
「わーお! ハナさん愛してるよー」
いつもの軽口にハナもイツキもふふんとよく似た笑いをもらした。
トレイの上に整然と並べられた皿の数々。「あちら」の食事形式で「テイショク」というらしい。色々な味が楽しめて、ついついにんまりとしてしまう。
リクエストした当のローヴはと見れば、その有様たるや。
「ローヴ、おまいさんねえ」
「え? 何?」
何、じゃねえよ。ヘイワンは素直にツッコむ。
きらきらした瞳ではふはふいいながら尻尾を千切れんばかりに振っているようすは大好きなご主人を前にした小犬だ「銀の神狼」と謳われた剣闘士時代には、冷たく整った美貌と華麗な剣技をもて囃されていたものだが、何のことはない。中味はただのわんこ。ああ残念だ。まったくもって残念だ。
手のひら大のハンバーグを三枚、それぞれずっしりした皿をテーブルに持ち帰り、まずは香りを楽しむ。柚子胡椒の爽やかな匂いがこんがり焼けた肉の表面から立ち上ってくる。とろりとしたソースはむらの醸造所でできた醤油や味醂を使っているのだろう。いつだったか、ハナから味醂という調味料を使うと料理に旨みと甘味、そして照りが加わると聞いたことがある。てらてらとした照りは絶妙な甘さと塩辛さのバランスを想像させる。今日はそれに青唐辛子の辛みが引き締まったアクセントをつけることだろう。春大根の軟らかい汁気があれば、口の中がさっぱりして、際限なく食べられそうだ。
「いただきます」
イツキに続いて狼も虎も手を合わせる。「あちら」の作法らしいが、よくわからない。ハナがカウンターから「よう食べり」と応えた。
さて、どこから攻めるか。
隣のローヴは相変わらずぶんぶん尻尾を振りながら、ハンバーグにかぶりついている。配分などまったく考えていない。そもそも細かいことはかんがえず、本能のままに生きている男だ。
寡黙で笑顔の少ない彼のことを、、「憂いを帯びた横顔が素敵」とか「ストイックなところがたまらないわ」などと騒いでいた令嬢や奥様に、本当の姿を教えてやりたい。
その向かいのイツキはといえば、もう一枚目を平らげていた。大ぶりな茶碗の飯も半減している。優雅な手つきで箸を使っているが、ただ、恐ろしい速度で前の肉の山が減っていく。
「ヘイワン、食べないんなら貰うよ」
その細い体のどこにそれだけの肉が入っていくのか、イツキの猛禽の目はヘイワンの皿を狙っていた。まずい。うかうかしているとやられる。
「俺って繊細でお上品だからさぁ、ローヴみたくがっつかないわけよ。まずは目と鼻で楽しんでからねえ」
「え? 何?」
「おまいさんはいいから食ってろ」
きょとんとしてこちらを向くローヴの後頭部を掴んで自分の皿に向かわせると、狼はおとなしく食事を再開した。イツキは「ふーん」と流して、もう二枚目をあらかた片付けている。
虎は大きな口を開けてハンバーグを一枚、丸ごと放り込んだ。肉を噛み締める。じゅわりと広がる肉汁の旨み。予想した甘辛さのあとに鼻に抜ける柚子胡椒の香りと刺激。すかさず山盛りの大根おろしを一口。そうするとまた腹が減る。
噛み締める肉に、違う食感。噛みしだくと、繊維の間から春の香りが洩れ出す。
若者には大きめ、歯の弱い老人には薄めに筍を切ってあるらしい。そういう心遣いも好ましい。
剣闘士時代には、それこそ山海の珍味というもの、目も眩むような豪華な食材というものを味わったが、ここの豊かな自然、皆の育て上げた作物で作られた毎日の食事には及ばない。
ぐごるるると喉が鳴った。
独特の匂いがする翡翠色の蕗を口に運ぶと、唐突にああ春ももう半ばを過ぎちまったんだな、と思った。なにしろヘイワンは繊細で風流を解する虎なのだ。
残りを五口ぐらいで終わらせて、おかわりを求めにカウンターに突進しようとした時、同時に立ち上がった三人の横手の引き戸が開いた。
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