第一章 四、筍ハンバーグで少年を愛でてみました ー 虎①
「うあああああかわいいいぃぃーー」
「あ、イツキちゃんが壊れた」
「だって、だってさ。あの細っこくて小さな妖精さんが、一生懸命足踏ん張って立ち上がってくるんだよ? 相手してやんなかったら、目に涙いっぱい溜めて、そんでも泣くの我慢して、ちっちゃい口をキュッて、ね、キュッて、くうぅー萌え死ぬぅっ」
「はいはい」
「男の子だねえ、もうボロボロなのに笑ってカッコつけようとすんだよ? うはぁぁーー美味しすぎるっ」
賄いのテーブルでじたばたしながら、少年の可愛さに悶えていたイツキは、突然ぱったりとその怪しげな動きを止めた。頭をはね上げると、キッときつい眼差しをこちらに投げかける。
「ローヴ、ヘイワン、いくらボコッてもいいけど、オルたんの可愛い顔に傷一つでもつけたら殺す」
イツキの炯々と光る黒い目。要望の美しさなど、一瞬で吹き飛ぶ猛禽の目。その目は、相手の心臓を抉ることしか考えていない。
冷たい汗が背中を伝った。やばい。こいつ、本気(マジ)だ。そっと隣のローヴを窺い見ると、表情こそ普段のままだが、尻尾が椅子の下に丸まってぷるぷるしている。耳もへたってるな。
ビビるな、俺。
ヘイワンは、自分の長い尻尾を震える左手で握り混んだ。右手は平静を装って、顎下にまばらな髭を撫でてみる。髭は、冷や汗でしっとりとしていた。
砦に久々の新入りが来てから、もう一週間。ヘムレンは、早々にエイキチとイツキに負け、ローヴと相打ち、ヘイワンに勝っておおよその順位を決めた。おそらくウィルマやスケルトニオより強いだろう。ランゴルドはどうかわからないが。
何事にも相性というものはある。ヘイワンの見たところ、ヘムレンは情がある。自分に害なすものには容赦ない。だが、敵であっても、戦意なく倒れているものに手出しはしまい。それに反してランゴルドは、相手が再び立ち上がる可能性すら、欠片も残すまいとする。蛇のような執念深さで、彼の双剣はどこまでも追ってくる。剣士というより暗殺者の剣だ。
騎士の中の騎士たるヘムレンとは合わないだろう。性格ではなく性質が。
俺とは、相性ばっちしだよなあ。ヘムさんとやってると、なんか楽しい。
迫り来る大剣を槍の石突きでいなす。すかさず繰り出した槍を柄で受け止める。気の利いた会話をぽんぽん交わすような、リズミカルな動き。どちらかの技量が僅かでも劣っていれば成立しないだろう。後は体力勝負になる。
仕合いに負けたからといって、ヘイワンは別に自分がヘムレンに劣るとは思っていない。勝るとも思わないが。
戦場で出会うと厄介な相手であることは間違いない。
何よりも恐ろしいのは、ヘムレンが目の前のヘイワンに集中していないことだった。前後左右、全方位に張り巡らされた意識は、一対一の仕合いではなく、敵に取り囲まれたときのものだ。おそらく戦闘時には、無意識にそうなってしまうのだろう。潜り抜けた修羅場の数が窺われた。
平和そのもののサルマーク辺境伯領では、永らく戦がない。しかし、一族に伝えられている古代の「竜戦争」のように、人間も獣人も殺し合う時代がなかったわけではないのだ。さらにその自体が再び来ないとも限らない。あるいは外的と闘うこともあり得る。
その時、ヘムレンのような男は貴重だ。
乱戦にこそ戦いの本質はある。ヘムレンはそういう考えが染みついた男だろう。隠れ棲んでいる獣人に似た雰囲気がある。虎の長老にして族長、白虎のソンミンが纏う空気と同じだ。
ローヴやヘイワンが完全獣化しても勝ったり負けたりの相手かもしれない。
だがしかし、エイキチやイツキは別格だ。正直言って、ヘイワンは勝てる気がまったくしない。
曾祖父と曾孫ほども年のひらきがある二人が、剣を握ると同じ目つきになる。底冷えのする、人間という生物を超越した光を放つ目。その目で見据えられると自分が子鼠にでもなったかのように身がすくむ。
人ではない、刀だ。
「こちら」にも「あちら」にも、魔剣、妖刀の伝承は幾つも残っている。
賄いから一歩も動かないくせに、何故か物知りなハナが教えてくれた。古代トロニアの「ゾンバルドの剣」とニホンの「妖刀ムラマサ」の類似性。いずれも、持つ者の意識を乗っ取り、人を斬らずにはおれないようにする。その代わり、無敵。出会えば災厄というほかない。
イツキが密かに気にしている「狂戦士化(バー策)」など、可愛いと思えるレベルだ。血を見て我を忘れたイツキは、確かに厄介ではあるが止められないものでもない。現に、ローヴは何度も止めている。
対手を斬ることより、いかに刀を扱うかに集中したときのイツキは、それこそ彼女の愛刀そのものになったかのようだ。
エイキチとイツキの師弟、二人の相手をするときいつも感じるのは、限りない寒さだ。寒い。凍てついた闘気が足下から這い上がって体を固めてしまう。
ヘムレンと対峙したあの時、イツキは刀を抜かず、柄に手をかけたまま左足をぐいと引いて低く身構えた。彼らの技の一つである「イアイ」というものだ。抜く手も見せず剣を走らせる様は、空間を切り裂くかまいたちが具現化したかと思わせた。
ヘムレンの大剣の先を、小指の爪ほどの長さで切り落とした時にはもう、イツキの刀は鞘に収まっていた。
あの技を使わせるだけの力をヘムレンが持っていたということか。それだけで賞賛に値する。
打ちひしがれて練達者同士の闘いを見ていたオルコットにあの仕合いの真価がわかっただろうか。
「できたばい。取りに来ちゃらんね」
ハナののんびりした声が、ヘイワンの思考を断ち切った。
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