第一章 三、団子汁に問う己の存在意義③
賄いのキッチンには、いつものハナに加え、ヘムレンと仕合いを終えたばかりのイツキがいる。すらりとした長身はハナより頭一つ高い。
エイキチを追って練兵場に来たイツキも、ローヴとよく似た剣を携えていた。黒い鞘のローヴの剣よりやや短い、朱塗りの鞘に収められた刀身は、月光を想起させるような、鋭く透明感のある美しさだった。
「久しぶりに師匠が仕合うって聞いたから、慌てて駆けつけたんだよ」
にっと笑った顔は挑戦的で、今、キッチンで野菜を刻んでいる穏やかな表情とは対照的だった。
「イツキちゃん、後で筍天ぷらしちゃらんね。ヘイワンが山ほど持って来てくれたと。あく抜きはしとるけん」
タケノコ? テンプラ? またもや知らない単語だ。しかし昨日の経験から、何か美味しいものだと確信する。そして、近いうちにそれが食べられることも。
「いいよ。ヘイワン、いつもすまないね」
こちらにちらりと笑顔を見せるイツキは、まだ二十になったばかりだという。
「あちら」特有の絹地のように肌理(きめ)の細かい白い肌、癖のない真っ直ぐな黒髪。顎のあたりでふっつりと切り揃えられた髪は、イツキが身を翻すたびに何かの花のように揺れた。切れ長の目は涼やかだが、とても若い娘とは思えない鋭さがある。
ローヴが言うには、「エイキチの1番弟子」だそうだが、エイキチは「あーもー、イッちゃんには敵わん敵わん」とヘムレンとの仕合いの後、勝負を望んだイツキにひらひらと手を振ってみせた。
その上でヘムレンとイツキ、二人の仕合いを見たいと望んだのだ。
「ヘムさん、ちいと俺の秘蔵っ子とやっちゃあくれめえか。あんたァやっぱし、えれえ強(つえ)えが、イッちゃんはまた、俺たァ毛色が違(ちげ)えよ」
実際のエイキチとヘムレンの仕合いは、ヘムレンの剛剣を、力をまったく入れていないようなエイキチの剣がふわりと受け止めるという、どこか手品めいたやり取りだったのだが。
確かにイツキとヘムレンの闘いはまったく違った。
一瞬。ほんの一瞬で勝負がついたのだ。
気がつくと、剣を鞘に納めてすっくと立つイツキと、一馬身ほども跳び退(すさ)って獣のように背を丸めて構えるヘムレンの姿があった。
「今日は楽しかったねえ」 太く喉を鳴らしながら、ヘイワンが言った。ローヴも静かに笑っている。
そりゃあんたたちは楽しかったろうさ。オルコットはテーブルに突っ伏したまま唇を噛んだ。
油断していると、涙が零れてきそうだ。せめてそれくらい我慢したい。
悔しい悔しい悔しい。俺はどうしてこんなにダメダメなんだ。まともに勝負もしてもらえなかった。
「オルたんの相手してもつまんなそうだし。それならヘムさんともう一回やりたいな」
ヘムレンとの仕合いの後、よろよろと立ち上がって挑もうとしたオルコットを、イツキはあっさりと断った。
屈辱に俯くオルコットの頭を、ローヴがクシャリとなでた。「出直せ」 端的かつ正確な助言に、オルコットは再び地面に崩れ落ちた。
それからヘイワンやローヴが、イツキ、ヘムレンと実に楽しそうに仕合うのを、練兵場の柵に寄りかかってぼんやりと見ていた。
俺はどうしたらいいんだろう? テーブルに伏したまま、自問するオルコットの顔の前に、コトリと器が置かれる。
がばっと身を起こすと、すぐ近くにイツキの顔があって二度驚いた。
「サービスだよ。いっぱい食べて明日もがんばりな」
身を翻すイツキを呆然と見送ったオルコットは、目の前の知る者をまじまじと見る。大きな湾には、朝に食べた茶色いスープがなみなみと湛えられている。
そういえば、腹が減っていた。スープの香りが空腹を呼び覚ます。
勢いよく汁物を食べ始める。色々な野菜と豚肉。それに白く幅のある麺。スープで煮込まれ、風味のよい、優しい味がする。
「ハナさん、これ何?」
ヘイワンの質問にハナは微笑んだ。
「団子汁ばい。消化がよくて、いくらでも食べられると。御飯が欲しかったら筍ご飯あるとよ」
「食べる」
即答。ハナは満足そうに頷いた。傍らのイツキが、これでもか、と山盛りにした茶碗を差し出す。
そうだ、今は食べよう。食べて力をつけてまた明日からやるぞ。今に見てろ。
猛然と筍ご飯をかき込み始めたオルコットを横目で見て、ヘイワンが「若いねえ」と笑った。
「俺、成長期だから」
言いながら、今度はもちもちした麺をフォークでたぐる。少し魚介の匂いのするスープも一口飲む。
大口を開けた虎も狼も食事を始め、賄いには仕合いとはまたちがった熱気が立ちこめた。
起きては倒れ、倒れては起きる。そうするたびに強くなれる気がする。
カウンターの向こうで、「おかわりどうね?」とハナが笑っている。
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