第一章 忘却砦の極めて平凡な日々 一、牛すじカレーに人生を見失う①



 しっかりしろ、俺。

 逃げてしまった猫を呼び戻し、オルコットは人好きのするほほ笑みを顔に貼り付けた。生まれてこの方育て続けた鉄壁の外面は伊達ではない。これしきのことで負けるもんか、と拳を握りしめる。

 せっかく今までヘムレンの所行に耐えてきたのだ。「さわやか好青年」の姿は堅持したい。

 鶏を捕獲して足を縛った小男は騎士スケルトニオと名乗った。年の頃は六十過ぎ。禿げ頭がまぶしい。逃避が毛根と相性が悪い分、眉毛と髭はウマがあったのか、もっさりと顔の大半を覆っている。

「騎士ヘムレンに騎士オルコット。飛竜便で報せが来とったよ。ヘムレン殿のご勇名はここでもとどろいておる。若いのも来るし、皆、楽しみにしとったぞい」

 高いのに、さすがに着任連絡には飛竜を使うんだなあ。顔中に鶏の足跡を刻んだまま、オルコットは妙なところに感心する。

 普通の鳥便ならタラム銀貨一枚ほどだろうが、飛竜を使うとなるとジグタラム金貨二枚はする。ちなみに、今のオルコットの所持金は銀貨八枚とリルタラム銅貨十五枚である。こんな僻地にあって、それが多いのか少ないのかまったく想像がつかない。

 とても騎士には見えないスケルトニオが、踊るような足取りで軽快に二人を先導していく。相変わらずバタバタとうるさい鶏を振り回しながら、禿げ頭の騎士はヘムレンをちらりと振り返った。

「ときにヘムレン殿」


「なんじゃな」

「てっさは故郷に畑を買って、婿も迎えたそうな」

 むひっとスケルトニオはわらった。目がいやらしい。少々悪意のある笑いである。

 が、さすがにヘムレンは動じない。

「ほほう、それは良かったのう。貢いだ甲斐があったというものじゃな。いや。男冥利につきる」

 例によって、かかかと笑ったヘムレンにスケルトニオは神妙な顔つきで頷いた。

「いや、聞きしに勝る大器であられる。色街でヘムレン殿を慕う女子が紅涙を絞るのも道理。これからは、師匠と仰がせてくだされ。わしのことはスケさんと」

「助平のスケさんじゃな。わしのことも絶倫のヘムさんと呼んでくれ」

 うひひひひひ、と好色な笑いを漏らしながら、お互いの肩をバンバン叩き合う老人二人。

 エロじじいが増殖しやがった。オルコットの猫はまた家出しそうになっている。

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