水の迷宮

「……なんということでしょう!ビフォー・アフター!!洞窟が現れたではありませんか!」

「……(ヒュー、と風の音)。」

 爆発して根っこから飛び出したプラムの木の前で、勇者フゾロイが言った。

「……頼むから笑ってくれよ。」

「面白くもないのにボケようとするからだ、早く水の迷宮ダンジョンに案内しろ。」

 僕が勇者フゾロイに短剣を向けて急かすと、彼は笑って対応した。

「百姓、相対性理論って知ってるか?」

「知らないな。」

「彼女と過ごす時間は短く感じるが、仕事で客を待つ時間は長く感じるんだぜ。」

「急に相対性理論の話をする(キチガイな)勇者は見たことがないから驚いたな。今夜は芝生が生えそうだ。」

 僕は真面目な表情で言うと、勇者は調子に乗って、

「俺は全ての結末を知る勇者だから、知っているのは当然だぜ。人がゴミのようだな!ハハハ!せいぜい俺の前で土下座して乞うしかないってことだぜ。」

 と言って大声で笑った。これがこの村の勇者だとしたら、恐らく世界は末期だ。こんな終末世界では、生活どころか生きることすら難しい。

「……早く迷宮ダンジョンに案内しろ。一刻も早く妹を助けたい。」

 僕は勇者の喉仏に短剣を近づけた。

「……(スッ)。」

 スッと音がしたと思うと、勇者は一瞬にして僕の背後に移動し短剣を奪い、喉仏に突き刺さる距離まで短剣を近づけた。そして、僕の耳元に息を吹きかけた。

「フッ……、その短剣はシリコン製だ。こうやって人に向けるものじゃない。武器が殺すのは人じゃない、お前の心だ。覚えておけ。」

 耳元から、ニンニクの香りが漂う。格好つけて僕を脅したつもりだろうが、僕は勇者の口臭が臭すぎて話の内容が頭に入ってこなかった。

「……ああ、覚えておく(僕の耳元でニンニクの香りを漂わせたことは、一生忘れないだろう)、久しぶりに食事を提供して少し調子に乗っていたのかもしれない。」

 僕が言うと、勇者は満足したように僕の喉仏に向けた短剣を振り下ろした。短剣は僕の喉仏のギリギリをすり抜け、背後のプラムの木の枝に向けて突き刺さる。

「道具には、術者の感情が伝わる。油断するな。水の迷宮ダンジョンの入り口はここだ。本当に妹を助けたいならば、今すぐ入れ。」

「……ここが入り口なのか。」

 勇者フゾロイの話によると、プラムの木の根元に洞窟の入り口があるということだ。

 なぜ、こんなところに洞窟があるのか。そんなことはもう、どうでも良かった。僕は妹を助けたい一心で、入り口に飛び込んだ。

「うわ、うわああああ、ブクブクブ……。」

 僕は長い滑り台のようなところを滑り落ち、地面に着地するかと思いきや、水の中に放りだされた。最悪なことに、僕は泳げなかった。僕は溺死を覚悟する。 

 こんなところで、いきなり死ぬなんて……妹に合わせる顔がないな。と僕は思った。僕の頭の中では、妹と過ごした日々が走馬灯のように流れた。

 僕は、どんどん湖の底に沈んでいく。

「おい、百姓、起きろ!短剣を使え!地上に向けて意識を集中させろ!」

 勇者フゾロイの声が、頭の中に響いた。

 僕は、最期の力を振り絞り、水中で意識を集中させた。

「ばあうういいぶぶれええしょおぼぼん!」

 僕は短剣のつばに触れ、水中で藻掻きながら必死に叫んだ。体は宙に浮き上がり、水は円弧を描きながら強力に振動して岩場に着地した。


 チュポン……、チュポン、チュポン、チュポ、チュ、ポポポポポボオオオン!

 

 奇妙な水音が聞こえた。着地したと安心している間もない。僕が着地した足元の十センチ程度背後から地面が割れる。

「うわあああああ!」

 僕は驚いて、踊り場の横の暗い場所に逃げようとした、その瞬間だった。ピカッと不自然な横向きの光が見えた。その三秒後、


「カソオオオーーーーーード!」


という声が聞こえた。水に濡れた僕の体に大量の電気が流れ、僕はその場に倒れ、動けなくなった。かすかに開いた瞼から、僕の視界に入ったのは、美しく光る指輪だった。僕が指輪の残量を確認すると、

1:100000

 僕は体内エネルギーを使い果たした。体が動かない。これが死というものなのか。僕は急に激しい睡魔に襲われた。瞼が開かない。


「おい、起きろ、百姓!!」


 僕は朦朧として動けなくなっていたが、なぜか勇者フゾロイの声が僕の耳に聞こえた。勇者フゾロイは、動けなくなった僕の体を揺さぶった。やめてくれ、僕の安らかな眠りを邪魔しないでくれよ。僕はもう戦うことに疲れた。僕は、妹を助けることもできずに自分の命を一瞬で落とすような弱い兄だ。ああ、僕は強くなりたかった。

 そのときだった。僕の指にはめた指輪が眩い光を放つ。その光とともに、誰かが僕の前に現れた。ああ、これは神か天使か……、僕を迎えに来たのだろうか。天使は僕の唇に優しいキスをした。

「ブチュウウウウウ!」

 奇妙な音が響き渡り、僕はその異常な唇の不快感に目を覚ました。

「もう、やっと目を覚ましましたわね、わたくしのキスで起きないなんて、ありえないですもの。」

 僕が状況を理解するのに時間は必要なかった。女の子が僕に人工呼吸をしているという、奇妙な状況が出来上がっていた。僕は顔を赤くする。女の子の髪は腰までの長さの金髪で、その長い髪は赤いリボンで一つに結ばれている。水色の澄んだ目に、ぱっちりした二重瞼が魅力的だった。僕はこんな美少女を今までに見たことがなかった。

「あっ……、えっと……。」

 そのあまりの美しさに僕は思考が停止した。何の会話をしたら良いのか分からなかった。

「わたくしは、水の国の第四王女、アクア・スイドリームと申しますの。アクアと呼んでください。わたくしは、迷宮ダンジョンで瀕死のあなたを見つけたので、救うことにしましたの。」

「あ、うん、ありがとう。」

 僕はそっけない返事した。

「……ぷにぷにしていますわ。」

 アクアは僕の頬に触れて言った。

「な、何だ急に、女王のくせに、僕に触るなんて……、やめてくれよ、変に意識したくない。」

 僕は目を逸らした。アクアは、その澄んだ瞳で僕をじっと見つめる。

「もしかして、初めてでしたか?」

「何が?」

「初めてなんですね。」

「いや、違う。勝手に納得するな。」

「どう………ですか?」

「どうって何が?」

「……え、違います?」

「違うな。勘違いされても困る。」

 僕は鋭い視線で睨みつけた。ここで目を逸らしたら負けだ。僕の今後の人生に関わる。しばらくの間、女の子と睨み合っていた。何分経ったか分からないが、とにかく長い沈黙のあと、女の子は勘弁したように僕の目を逸らした。

「毎日のように殿方が私のエネルギーを求めてきますの。もう人生が嫌になってしまいましたの。王級の堀に飛び降り、自殺しようとしたのですが、気がついたら迷宮ダンジョンの中にいましたの。目の前にあなたが瀕死で倒れていたので、仕方なくわたくしの水のエネルギーを体内に入れました。」

 女の子は、自然に僕に近づいた。そして、僕の短剣を奪い取った。そのとき、フラッシュのような光が差した。


「カソオオオーーーーーード!」


 勇者フゾロイの声が聞こえた後、その光線は女の子に命中した。女の子は僕の胸元の方に向かって倒れる。抱き合っているかのような状況になって、僕は激しく動揺した。

「安心しろ、そいつは気絶しているだけだ。」

 僕の背後から勇者が現れた。ワープでもしたのか、全く音もなく不気味に現れた。

「お前が黒幕か、ミスター・フゾロイ。」

「ハハハハ!そうだ、俺様がミスター・フゾロイだ。俺に騙されたお前が悪いんだよ、お前ら全員、俺の敵だ、ハハハハハハハ!」

 フゾロイは、高らかに笑った。

「本当に黒幕だったのか。まさかこれほど最低な人間だったとは、夢にも思わなかった。フゾロイ、お前は絶対に許さない。」

 僕はフゾロイの喉仏に短剣を向け、フゾロイは僕の喉仏と心臓の両方に鋭い短剣を向け、相打ち状態となる。

「おい、お前は馬鹿か、黒幕はこいつだ。水のエネルギーを買い占めて枯渇させ、高値で売りさばき、他国と貿易をしようと企んでいた張本人だ。」

「それは本当か。」

「本当だ。」

 僕は、女の子を地面にそっと休ませ、短剣を捨てた。

「本当ならば、僕はこの女を傷つけることを厭わない。だが、僕は勇者だ。全てを救う手段が、一つだけある。」

 僕は、指輪の残量を確認する。

100000:100000

「勇者よ、僕を殺せ。僕のエネルギーと、この女のエネルギー、全てを宝玉に集め、それを無償で僕の妹……いや、全ての人々に提供して欲しい。そうすれば、もうこんなことは終わりだ。」

 僕が言った。勇者フゾロイは、全く躊躇いもせず、僕の体に触れた。僕の体は淡い光を放ち、ゆっくりと消えていった。

「勇者よ……、ありがとう。」

 僕は最期に勇者になった。

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