第4話


それから暫くの後、彼女は店主夫婦の意向もあり、店に住み込みで働く事になった。


店の名は「エスペランサ」スペイン語で希望と云う意味の名だ。



2年前の流行り病で たった一人の娘を亡くしたらしく、年の近い彼女に娘の面影を感じたのだろうか。


主人と夫人は彼女を受け入れてくれたのだ。


家や店の壁には娘さんが描いたと思われる絵が所狭しと飾られている。


両親をモデルにした絵、動物の絵、風景画、自画像と、どの絵も慈愛に満ち溢れたとても素晴らしい作品ばかりだ。


店の名のとおり、死んだ娘さんは夫婦にとっての希望そのものな存在だったのだろう。



希望、彼女自身もまた 明日に 、これからに希望を見出せずにいた。


彼女も始めて深く関わり合った人間の暖かさにふれ、優しくされ、一時の安らぎに浸りたかったのかもしれない。


それと 自分自身に名前が必要だった。人間として生きていくための名前が。



彼女が‘ミパ.ン.ルゴ’の時の名は‘エカ・テムパ・ン・ルペ’。


‘遥かなる星の子’と云う意味の名だ。


彼女は夫婦の死んだ娘の名前‘イザベラ’を自らの名に決めた。


それは名前がない彼女を訝しむ事なく、親身になり相談に乗ってくれた夫婦に勧められた結果だ。



それは 楽しく暖かい日々が続いた。



夫婦とはお店が休みの時に、娘さんが生きている時に行ったという見晴らしの綺麗な、町を一望出来る場所に行ったりもした。


2人にとっては娘の思い出の場所。彼女をイザベラを家族として扱ってくれていたのだ。


人間としての生活にも慣れていき、何よりも何かに、彼女の秘密に気づいているであろう夫婦の無償の優しさが暖かく嬉しかった。




それから 5年の月日が流れたある日、店の主人が 病に侵された。くしくも、彼の娘と同じ病で倒れたのだ……



主人の最後の言葉、「わ、私達に…出会ってくれて…ありがとう…我が……娘よ。」


安らぎを求めていたのは彼等の方だったのかも知れない。



それから一年の内に夫人も、同じ病で主人の後を追うように静かに息を引き取った。その最後はとても穏やかな顔だった。



夫人との最後のやり取り……


「死なないでお願い……」


「イザベラ。貴方にはこれからいろんなものを見て、触れて、感じて欲しい…… 私達に囚われないで、大丈夫。貴方なら前に進めるわ……」



笑顔だけを残して彼女は息を引き取った。



「…… 人としての生き方を教わった2人のことは決して忘れない。そして私は旅立ちます。ありがとう……そしてさようなら」


2人の墓前で彼女は前に進むと誓った。



それから数日ののち、イザベラは誰も継ぐ者のいない店を畳むと町を離れた。


数々の思い出の残るその町を。

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