ずっと一緒に

 すや、すやすや。


 泣きながらすべてを早口で説明したギルドラードは、ロミロアの必死に誤解だと説明しする声を聴きながら、安心したように力なく笑みを浮かべてそのままぐっすりと眠りについた。


 ロミロアのドレスの端を握りしめたまま。


 まだまだ柔らかそうな頬。半開きの小さな口。

 まるで天使。天使の子供の寝顔だ。


 「…誤解だといっても、婚約破棄を言い出したのはギルドラード様自身ですからね。誤解だって泣けば、やはり中止だなんて、そんな甘いことはないかと思いますが。時期王としても、一度発言した事を取り消すのはいかがなものかと思いますし。」

 そんな天使を前に、マーガスはもっともらしくそういった。

 内心はただただ今回の婚約破棄の話をなかったものになんてされてたまるかという、気迫が感じ取れる。


 「まぁ二人の気持ちに任せましょう。非がこちらにあるのは明白。ロミロアさんも考えて素直な意見を言ってちょうだい。」

 氷の王妃と呼ばれる、美しく厳しい王妃が、ギルドラードをちらりと見て、頬を緩めた。

 「この子の涙を見るのなんて、2歳の時ぶりだもの。話位は聞いてもらえるとありがたいわ。」

 

 「王妃、しかしながら、」

 「マーガス、私の声聞こえなかったかしら。」


 冷たい口調でピシリと言われれば、曲者マーガスも口を閉じるほかなく。

 ギリギリと悔しそうに、ロミロアをにらみつけた。


 (断れ!王子が何と言ってこようが、断って婚約破棄を進めろよ!)

 マーガスの内心など、透けるように読み取れた。


 (さて、どうしたものかしら…)

 『婚約破棄はやっぱりなかったことになりました。』

 言葉にするのはとても簡単だ。


 しかし、本当でそれでいいのかという疑問もある。


 ロミロアの立場から、王家との婚約を断ることは、本来できないはずで。

 『婚約破棄をしたい』と考えているならば、今回はチャンスでもあるのだ。


 当然ギルドラードの事は嫌いではない。

 かわいいし、いとしいし、大切に思っている。


 だが、やはり年齢の差は埋められないのだ。


 今回は誤解だったが、ギルドラードとシャリーンがダンスを踊る姿はとてもお似合いだった。

 自分なんかよりもずっと。


 もう少しギルドラードが大きくなったら。

 年上の女性を疎ましく思う年齢になったら。

 やはりまた婚約破棄を食らうのかもしれない。

 いや、それとも同情されて、そのままいやいや結婚してもらったりするのかもしれない。


 どちらにせよ、悲しいことである。


 それならば一層、今のうちに、このまま婚約破棄をしてしまったほうがいいのかもしれない。

 

 (問題は、この天使のような可愛らしい子の手を、私が振りほどけるかどうか、というところね…) 


 


◆◆◆


 ギルドラードは夢を見ていた。

 5歳のころ、婚約者候補を集めて、お茶会をしていた時の夢だ。


 5歳前後の貴族令嬢が30人前後集まった、その会は、『お茶会』なんて優雅なものとは程遠く…阿鼻叫喚のただただ騒がしい大パニック保育園だった。


 「私のドレスにお茶かけたでしょ!」

 「うわーん、ママどこー?もう帰りたいよー。」

 「このお菓子食べていいの?食べていいの??」

 「ちょっと私の分取らないでよ!」


 いくら貴族令嬢とはいえ、5歳児前後の女子が30人も集まれば、気品も何もあったものじゃない。


 (この中からどうやって婚約者を選べと…?)


 当時からすでに神童と呼ばれ、精神年齢は10歳児以上と言われていたギルドラードは、その時間がとてつもなくもったいなく、令嬢たちに振り回されている執事やメイドたちの目を盗んで、そそくさと部屋に帰ろうとした。


 (別に誰でもいいや。頭のいい子でも選んでもらっておこう。)


 そう思いながら部屋に帰る途中、庭の片隅に座るロミロアを見つけた。


 ロミロアは風邪を引いた義母の代わりに、シャリーンの保護者として城に来ていた。

 お茶会が終わるのを、庭の片隅のベンチでぼんやりと待っていたのだ。


 「ギルドラード様!ギルドラード様どこですか!」

 背後から執事の声が聞こえ、ギルドラードはとっさに庭に駆け込んだ。


 ロミロアの背中に隠れ、執事をやり過ごそうとする。


 (こんなに早く気づかれるとは…部屋に帰っても呼び戻されるだけだな…)


 「あ、あのぉ…」

 壁代わりにしたロミロアが小さく声をかけてくる。

 「呼んでますよ、行かなくていいんですか?ギルドラード様。」

 「いいんだ。行っても無駄だからな。」

 「うーん、そうですか。それではこちらにお座りください。」

 ロミロアは少し席をずらし、ベンチの隣を開ける。

 「こちらなら私の影になって、廊下側からは見えませんわ。」


 お言葉に甘えて、隣に座らせてもらうことにした。


 改めてその令嬢、ロミロアを見る。

 まだ15歳前後というところだろうか。母親ではなさそうだな、と即時に判断、髪の色から、瞳の色を考えるに、ハルク伯爵家の長女だろうか、とすぐさま当てた。


 一方、初めてギルドラードの顔を、近くで見たロミロアは、途端に極限まで目じりを下げた。


 (な、なんだこの表情は…)

 (何この子、かわいすぎるーーー。こんなかわいい子がこの世にいるのね。)


 ロミロアの表情は、ふにゃふにゃとふやけており、めいいっぱいの好意がそこにあることは一目瞭然だった。

 それでいて他の大人の女性とも、子供の令嬢たちとも違い、ねっとりともギラギラともしていない。


 ただただ純粋な好意。

 まっすぐで大量の、純粋な好意。


 「あ、あまりこちらを見るな…。ばれるだろう…。」

 なんだか気恥ずかしくなって、とっさに顔をそらし、そういった。

 「あ、そうですね…」

 残念そうに路美ロアの視線が、ギルドラードから外れた。

 

 「…ギルドラード様、婚約者選びのお茶会の途中なのでは?」

 「まぁそうだが…。相手なんて、誰でもいいしな。」

 「あら、ずいぶん冷めていらっしゃる。どのような相手でもよいと?」


 ちらりちらりと廊下の執事たちの様子を気にしながら、二人は小声で会話を続けた。


 「まぁしいて言えば頭のいい女性がいいが。王妃教育は大変だと聞くし、仕事も手伝ってもらわないといけないからな。」

 「あぁ、なるほど。でもそれは『王妃』という役割に対しての希望ですよね。ギルドラード様の妻としての希望はないのですか?」


 そんなことは考えたこともなかった。


 「どういう…ことだ?」

 「明るい子がいいだとか、優しい子がいいだとか。一生を共にする相手ですもの。大切なことですよ。」

 「うーん…」

 

 王妃という大変な仕事をしてもらうからには、大切にしようと思っている。

 そういう意味では、やはり、王妃として全うできる子という答えしか考え付かない。


 「…よくわからないな。たとえば、君は?どういう相手がいいんだ?」

 「うーん、そうですね、穏やかに、ずっと一緒に過ごせる相手がいいですね。」

 「ふーん…ずいぶん簡単だな。」

 「いえいえ、結構難しいんですよ。年をとっても手をつないで、一緒に月をみながらお茶を飲むんですよ。流れ星を見つけて微笑みあったりして。なかなかそんな相手、いませんよ。」


 ギルドラードの脳内で、王という地位を子供に譲った後の、年老いた自分を想像する。

 確かに、悪くないのかもしれない。

 王や王妃という大変な役割を終えた二人が、のどかな日々を仲良く過ごす。

 

 これまでもこれからも、『穏やかな時間』とは程遠い人生を過ごしていくギルドラード。

 隠居後位はそのような平穏な時間があってもいいではないか、と、わずか5歳児が、老後の自分を想像し、心を温かくする。


 「こういう天気のいい日なんか、意味もなくピクニックに行ったりして。いい天気ですねぇ、なんて話をするんですよ。」

 「あぁ、なるほど。確かに今日はいい天気だな。」

 「鳥の鳴き声が聞こえますねぇ、ツグミでしょうか?」

 「いや、どうかな…コマドリかもしれないぞ。」

 「そうかもしれませんね。綺麗な声ですね。」

 「そうだな。」


 眠気を誘う、穏やかな日差し。安らかな鳥の声。わずかに右側に感じるぬくもり。


 「ギルドラード様!どちらですか!」

 執事の声に、はっと我に返る。


 「お、おぉ、今のが穏やかな時間というやつか…」

 悪くない。確かに悪くない。

 「そうだ、ロミロア。」

 「あら、私の名前をご存じで?」

 「僕と婚約してくれないか?」


 ロミロアはぎょっと目を見開いた。


 一緒に老後まで、穏やかな時間を過ごせる相手を、今見つけたのだ。


 「婚約者は、穏やかな人がいい。ずっと一緒にいよう。」


 


 ずっと、一緒にいよう。




 「ギルドラード様、私、やっぱりバルティ王国にはいかないことにしました。」

 笑顔でロミロアがほほ笑む。

 (そうか、よかった。)

 「それで、マーガス様と結婚することにしました。マーガス様がお相手なら、ギルドラード様も諦めてくださるんですよね?」

 (違う!あれは、君に遠くに行ってほしくなくて…)

 「大丈夫です。マーガス様と結婚するので、国内にはいますよ。たまには顔をだしますね。」

 (待って、お願いだから、)

 「私をあきらめて、手を離してくれたのはギルドラード様でしょう?」

 (違う、僕は、ずっと)



 ずっと君と一緒にいたいだけなんだ。




 はっと目を覚ましたと同時に、大きく安どのため息をつく。

 「よかった、夢か…。」


 そうだ、ロミロアとマーガスの事は勘違いだったのだ。

 

 それで安心して…ずっと眠ってなかったから、泣きつかれて眠ってしまって…


 泣き、つかれて…


 「ぐぁあ!」

 昨日の醜態を思い出し、思いっきり体をよじる。

 

 そうだ、昨日、ロミロアを引き留めたくて。

 どうしてもバルティ王国になど行ってほしくなくて。

 気が付けば号泣して、子供のように駄々をこねて。


 「なにしてるんだ、僕は…」


 なにが早く大人になりたい、だ。

 なにがロミロアにふさわしいかっこいい大人、だ。


 (記憶を消し去ってしまいたい…)


 「ん…?あ…ギルドラード様、起きたんですね。」

 すぐそこ。ベットの端に頭をもたれるようにして眠っていたロミロアが、むっくりと顔を起こした。




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