絶望の誕生祭
(早く大人になりたい。ロミロアにふさわしい、大人の男性になりたい…)
そう願うギルドラードにとって、1歳でもロミロアの年に近づける、誕生日は待ち遠しかった。
誕生日より二か月も先に、正装をオーダーメイドするために、高級ブランド店を訪ね、ちょうど買い物を終えたところで、偶然店内でシャリーンを見かけた。
「君もドレスを買いに?」
ギルドラードの問いに、シャリーンは驚くこともなく
「まさか。」
と答えた。
「こんな高級店でドレスを買う余裕なんてありませんよ。」
そのシャリーンの視線の先には、母親の姿があった。
ギルドラードの存在にも気が付かず、楽しそうに光沢のある布を肩に充て、鏡をのぞいては、布を変える、という作業を繰り返している。
シャリーンの実母で、ロミロアの義母。
「…ドレスを買う余裕はありそうだけど?」
「母の分で精一杯です。」
「君の分はないの?」
「だからお金がないんですってば。ギル様買ってくれます?」
やりたいことをやり、思ったことを口にする。
シャリーンの素直な性格は、かなり好感が持てるものではあるが、貴族令嬢としてはこの先苦労するだろう。
(まぁ、まだ9歳だしな。おいおい学んでいけばいいことか。)
自分の年齢を棚に上げ、ずいぶんと上からギルドラードは思った。
「ドレス、欲しいのか?」
「そりゃほしいですよ。この育ちざかりに、年に一度しかドレスを変えることができないなんて、いい笑いものですもの。」
ギルドラードの女性への関心は、基本的にロミロアにしか向いていないので、正式には覚えていないが…確かにここ1年、催し物の際にシャリーンがきているのは、ピンクのドレスのイメージしかない。
ロミロアは、『王子の婚約者』という立場から、王族からドレスが贈られているから、困ってはいないだろうが…妹は年に一度しかドレスを買えないとは、何とも不憫である。
「あ、あら王子様!いつからそちらに!」
ようやくこちらに気づいたシャリーンの母が、わかりやすく媚びた笑顔を浮かべた。
「いつも娘と仲良くしていただいているようで、ありがとうございます。いろいろと至らないところもありますので、学園でもご迷惑をおかけしているかと思いますが…」
彼女の言う『娘』はシャリーンの事のみのようだ。
ギルドラードは薄く、笑みを浮かべた。
ロミロアと義母がうまくいっていないことは、なんとなく察している。ロミロアにとっての『家族』はシャリーンだけだ、ということも。
「貴方の娘は僕の婚約者ですからね。仲良くもしますよ。」
もう一人の娘のことはお忘れか?と遠回しの嫌味だった。
「あ、あぁ、えぇ、そうですわね。王子にふさわしい子がどうかはわかりかねますが、」
不思議なものだ、とギルドラードは思う。
カラッとしたシャリーンの実母のはずだが、性格は全く似ていない。
ねっとりとして、遠回しで、隙があらばと狙ってくる、この国の貴族の典型的な代表のようだ。
「すまない、急ぐので失礼する。」
会話をする価値はない、と踏んだギルドラードは店を出る間際、店員に告げた。
「彼女にドレスを見立ててやってくれ。請求は王家に。」
それは将来の妹であり、友人であるシャリーンに対する、少しばかりのお礼の気持ちだった。いつも話を聞いてくれてありがとう、と。
しかし、一つだけ、ギルドラードには誤算があった。
この店員。普段はデザインを担当していて、今日はたまたま休みだった接客の物に代わって店頭に立っていた。
彼はもっぱらのデザイン馬鹿で、服のことにはうるさかったが、世間の情勢には疎かった。
それ故に、普通であれば常識として知られているであろう、『王子の婚約者』の顔を知らなかったのだ。
さきほどの会話から、一つ勘違いをしてしまう。
(ふむ、こちらの令嬢は、王子の婚約者であられたか…)
まだ幼いが、可愛らしいカップルではないか、などと考えたのだ。
お節介にも彼が準備したドレスは、ギルドラードのタキシードと、おそろいの、白いドレスだった。
◆◆◆
誕生日会当日。
会場へ向かう途中で、マーガスの執務室から、言い争うような声が聞こえてきた。
その声は、ロミロアの物だった。
いけないことだと思いつつ、いてもたってもいられずに、ギルドラードはその会話を、ドアの外で立ち尽くして聞いてしまった。
「何度も言わせないでください!私はギルドラード様と婚約破棄などいたしません。そもそも王家との婚約は、王家からしか破棄できないことぐらいご存じでしょう。」
「何度だっていうよ。君がギルドラード様の婚約者でなくなるまではね。」
当然、ものすごく当然、この会話も本来、ロマンチックなものなのではない。
言葉のまま、そのままの会話なのだが、ギルドラードの脳内では勝手に変換されていった。
「もう諦めてくださいよ…。」
「絶対にあきらめないよ。ロミロア嬢から婚約破棄ができないというのなら…出来ることは限られてるねぇ。」
「何してるの?ギル様?」
話に集中していて、後ろからの人影に気が付かなかった。
いつの間にかシャリーンがギルドラードの背後を取っていた。
「ん?誰かいるのか?」
(やばいっ)
マーガスの声に反応し、ギルドラードは慌てシャリーンの手をつかむと、一目散に廊下を走った。
「…何してるの?」
大人しくついてきてくれたシャリーンは、頭にクエッションマークを大量に浮かべていたが、答える余裕などはない。
「あ、そういえばギル様、このドレスありがとうございます。ただ、このドレスって…」
ギルドラードはシャリーンに目もくれず、自分の世界にもぐりこんでしまった。
せめて、一目。
少しでもシャリーンの姿をしっかりと見ていたら、彼女のドレスが自分とおそろいの物であるということに、気が付きそうなものなのだが、ギルドラードの脳内は、それどころではなかった。
(あの会話…)
ギルドラードの脳内では、2人の会話がロマンチックに変換されていく。
『あなたの事は好きよ。でも私は王子の婚約者。王家との婚約を破棄することなどできないの。どうか、私の事は諦めて…。』
涙ぐむロミロアを、抱きしめるマーガス。
『諦められるしかないだろう。もう出来ることは限られてるけど…』
(出来ること、とは…)
「…婚約者のいる女性と、恋に落ちた男性が…最後にすることってなんだ…?」
「何?またロマンス小説の話ですか?」
ぽけーっとシャリーンは答えた。
「駆け落ち?」
シャリーンという人物には、悪意も裏表もない。
思ったことを素直に言う。
だからこそ、刺さるのだ。
「…かけ、おち…?」
さーっとギルドラードの顔から血の気が引いた。
「ロマンス小説好きすぎでしょ、ギル様。それよりほら、早く会場に行かないと。ギル様主役なんだから。」
微動だにしないギルドラード。
シャリーンに、半ば引きずられるような状態で、パーティー会場へ入った。
図らずともギルドラードが贈った、おそろいのドレス。
親切心でギルドラードを会場へ連れ込んだシャリーン。
二人の子の行動は、『おそろいのドレスを着たカップルが、一緒に会場入りした』と、周りは全員認識した。
「おめでとうございます、王子。」
「おめでとうございます!」
お祝いに駆け付けた貴族たちは、この時のギルドラードの様子をこう語った。
『まるで9歳とは思えない、精悍な顔つきだった。』
『我々の言葉には耳を貸さない、絶対的君主という雰囲気が醸し出されていた。』
実際のギルドラードの脳内は
(かけ、おち?駆け落ち?KAKEOCHI?)
一つのワードにとらわれていて、彼の眼は何も映していなかった。
「ちょっと、ギル様、大丈夫ですか?」
パチン、と目の前でシャリーンが手をたたき、久しぶりに息を吹き返す。
「あ、あぁ。」
そのころにはすでに、自分の周りには誰もいなかった。
穏やかなダンスナンバーが流れている。
もうダンスタイムに入ったのだ。
「ほら、主役なんだから躍らないと!お姉ちゃんが待ってますよ!」
壁際に、ギルドラードを見つめるロミロアの美しい姿があった。
(…嫌だ…)
今はロミロアのそばにいたくない。
別れを切り出されたらどうしよう。いや、別れも言わずに去ってしまったら…?
ギルドラードはその問題と直視するのを極端に恐れた。
そして、逃げたのだ。
「シャリーン、踊ろう。」
「え?私?」
「とにかく踊らないと!会場から出れないだろ!」
ギルドラードはすでにポンコツと化していた。
シャリーンのドレスにも気が付かず、ファーストダンスの意味さえ忘れて。
強引にシャリーンの手を引っ張り、ダンスを踊った。
(ダンスが終わったら、そのままひっそり部屋へ帰ろう。考えなくては、ロミロアを失わない方法を、考えなくては…。)
身体とは恐ろしいもので、心は全く別の事を考えていても無意識に軽やかに、ダンスを踊っていた。
ぱっと、目の前にロミロアが見えた。
マーガスに手を引かれ、腰に手を当てられて踊っている、姿が。
(…お似合いだ…)
悔しくもそう思わざるを得なかった。
(おしまいだ、もう手遅れだ)
ロミロアは、マーガスに手を引かれ遠くに行ってしまうのだ。
(いや、それなら一層…)
人の物になってもいいから、遠くに行かないで。
月に一度でもいいから、その瞳に、自分を映して。
眠れぬ夜を過ごし、ギルドラードは決めた。
婚約破棄を、しよう、と。
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