大量の涙
「…隣国の王子、ナーニャ・スカルト様。何用でこちらに?」
驚く面々の中で、いち早く冷静に声を上げたのは、宰相マーガス。
式を中断されたことによほど腹を立てているのだろう、低く冷たい視線をナーニャに向けている。
「あぁ、マーガスさん久しぶり、相変わらず男前ね。でも筋肉量が少ないのではない?宰相だからって、剣も磨いておかないとだめよ。」
-…ナーニャ・スカルト、という男。
女言葉のわりにガタイはよく、黙っていれば美形な騎士に見えるのだが、いかんせんこの言葉遣いのせいで、留学先のこの国での友人は、ロミロアしかいなかった。
「何用でこちらに?」
青筋を立てたマーガスの言葉に、ナーニャはくねん、と体をひねる。
「私はー、ただロミロアの事を迎えに来ただけよー。ちょっと式の様子が気になっちゃって?教会の壁に魔方陣を描いて中を覗こうとしていたところを、この警備たちに誤解されちゃったの。」
(そら不審者扱いされますわな…)
ロミロアは頭を抱えた。
「ごめんね、ロミー。待ちきれなくて来ちゃったのー。別に式の邪魔なんてしないから。」
「迎えってどういうこと!」
場違いに、ヒステリックな声を上げたのは義母だった。
「ロミロア、貴方隣国に行くつもりなの!?」
「…話は式が終わってから…」
面倒くさいことになってしまった。
ロミロアの計画では、式を終わらせた後馬車に乗り、その足で隣国に向かう予定だった。
義母にだけはバレたくない逃亡計画だったのだ。
「ポルトヴァ様の事はどうするつもりよ!向こうはもう結婚式の日取りまで決めてるのよ!」
やはり、義母は勝手に話を進めていたらしい。
ナーニャに相談しておいてよかった、とロミロアは心から思った。
「お母様、その話はまず式を終えてから…」
(終わったら高飛びするつもりですけど)
「そうです。そちらのご家庭の事情は知りませんが、王族の時間を無駄に使わないでいただきたい。」
珍しくマーガスがロミロアに同調した。
単純に、さっさと婚約破棄式を終わらせてしまいたいだけなのだろうが。
「ハルク伯爵夫人、式が終わるまでは黙って着席していてください。ナーニャ王子もいいですね!!」
メガネが割れてしまうのではないかと思うほどに、大迫力のマーガスの言葉に、義母は悔しそうに席に座る。
「もちのろんよ!邪魔なんてしないから!」
ナーニャもまた、警備員たちの腕を荒々しく振りほどくと、にこにこと笑顔で席に着いた。
「さぁ、ギルドラード様、サインを!」
急に仕切り始めたマーガスの言葉に促され、再びロミロアはギルドラードにペンを差し出した。
この騒ぎの間、ずっと静かにしていたギルドラードは、明らかに不安げな表情を浮かべて、ロミロアとマーガスの顔を見比べている。
「隣国からの迎えって…なんだ?バルティ王国に、行くのか?」
その表情は、珍しく9歳児そのもの。
戸惑う子供の表情である。
(かわいい…)
ふや、とほやけてしまった顔で、ロミロアはギルドラードに微笑みかけた。
「はい。式を終えたら、そのままバルティ王国に行きます。」
「ちょっ!」
声を上げた義母は、マーガスの支持の元待機していた警備員に無理やり口をふさがれていた。
(…ありがたいけど、そこまでする?仮にも伯爵夫人ですよ…)
この式を早々に終わらせたいという、マーガスの並々ならぬ決意が感じ取れる。
「…もうお会いすることはないかと思いますが、どうかお元気で、無理はなさらないでくださいね。」
そっとペンを差し出したが、ギルドラードは受け取らない。
いつもの気品あふれる表情ではなく、まるで迷子の子供のように、眉を下げ、不安げな表情でロミロアを見ていた。
「ど、どうして…。ナーニャ王子は…な、なんで…?」
「ギルドラード様、私、ナーニャと婚約しますの。」
隠していてもいずれバレることだ。面倒だが、今伝えておいたほうがいいだろう、とロミロアは腹をくくった。
「こ、婚約…?」
「はい、この式が終わったら。」
正式に言うと、『仮婚約』である。
(ナーニャに婚約者が見つかるまでの、ダミーって事は、もちろん伏せといたほうがいいわよね。)
そう思っているのが自分だけだということを、ロミロアは気づいていなかった。
◆◆◆
三日前。
「私、そちらの国に逃亡しようと思うのだけど。資産は少しはありますし、いい下宿先などないかしら?」
ロミロアの言葉に、ナーニャは通信具の前で小さくガッツポーズをした。
「もちろんよ、ロミー。私がすぐに手配するわね。でも仕事とかはどうするの?」
「まだ考えてはないけれど…お菓子屋さんとか、パン屋さんとかに働き口があるといいのだけれど。」
ナーニャはこの時を待っていた。
ロミロアが自由になる、この時を。
「ねぇ、それならロミー。一つお願いがあるのだけれど。私と婚約しない?」
「え。」
「ほ、ほら?私って一応王族だから、最近婚約話が多くてうんざりしてるのよ。私、ロミーとなら婚約してもいいと思うんだけど、他の女性はちょっとねぇ…。」
ナーニャの言葉は、遠回しに言う『プロポーズ』だった。
しかし、鈍感なロミロアには、遠回しな言い方は通用しない。
「あぁ、そういうこと?私を女性除けに使おうって事ね。うーん、まぁそうね、でもお互い得になる話ね!」
「あ、いやあの、」
通じてないな、とナーニャが察したころにはすでに遅く。
「わかった、いいわよ!でも私たちの年じゃ、5年も10年も婚約状態になんてできないんだから、ちゃんと私と婚約してる間に、結婚したい人を探してね!」
「あ…う、うん。」
(結婚したい人は貴方なんだけど…、照れ隠ししちゃったわ…。)
まぁいいか、とナーニャは思った。
急がば回れ、という言葉もある。
婚約を結んだあと、じっくり口説き落とさせていただこう、と。
◆◆◆
そんな流れで、ロミロアだけが『仮』だと思っている婚約は、明日、バルティ王国で結ばれる予定である。
「だめだ!」
ギルドラードは今にも泣きだしそうな顔で、大声を上げた。
「…だめ、とは?」
一体、何が?
「隣国に行くなんて絶対にダメだ!ぼ、僕と婚約破棄して、すぐにナーニャ王子と婚約を結ぼうだなんて、そ、そんなの許さない!!」
ぷぅ、と頬を膨らませる様子は、いわゆる子供の拗ねた顔、だ。
(え、かわいい。かわいいけど…)
「なんでそんなこと貴方に言われなきゃいけないのぉ?」
不満げにナーニャが立ち上がり、ゆっくりとギルドラードに詰め寄った。
「婚約破棄するって言ったの、そっちでしょ?そのあとロミーが何しようが、貴方に関係なくない?」
ナーニャの身長は、おそらく190前後はある。
ギルドラードの頭二個分ほど高い位置から、見下ろして言うその姿勢は、ナーニャが隣国の王子でなければ、無礼千万打ち首ものだろう。
「ま、まだロミロアは僕の婚約者だぞ!」
こぶしを握り締めて、涙目でナーニャを見上げるギルドラード。
「じゃあさっさとサインしてくんない?おこちゃまのわがままに付き合ってる時間ないんですけど?」
ナーニャは本気でおこっている様子で、身をかがめ、ギルドラードの顔に自分の顔を近づけてすごんだ。
(あんなのされたら大人の私でも怖いわよ…)
「…嫌だ。」
それでも涙目で、ギルドラードはナーニャをにらみつけた。
「お前と婚約させるくらいなら、このまま俺の婚約者のままにする。」
「わがままいってんじゃねーぞ、ガキが。」
「いや、ガキはよくない!」
一体何が起こっているのかさっぱりだが、このままだと国際問題にもなりかねない。
「ちょっとぉ、何よロミー、このガキの味方するの?」
「ガキはよくないわよ、ナーニャ。ギルドラード様は年齢に似合わず聡明でしっかりされた方よ?」
「元婚約者を人に取られるのが嫌で、駄々をこねてるガキにしか見えないけどぉ?」
ギルドラードはプルプルとこぶしを震わせて、そのこぶしを振り上げた…
かと思うと、マーガスを指さした。
「マーガス、お前もういい加減にしろよ!」
「ぼ、僕ですかぁ?」
今まで知らぬ存ぜぬで事の成り行きを見ていたマーガスがぽかん、と口を開く。
「お前だよ!お前しかいないだろ!ロミロアが隣国に行くって言ってるんだぞ!止めるのはお前の役目だろ!?」
「なんで僕がぁ?」
「男見せろよ!いいのか?こんなガラの悪い男に取られて!?お前がそんなだからロミロアも不安になって隣国に行くなんて言い出すんだろ!好きなら好きってきちんといえよ!ロミロアと結婚してちゃんと幸せになれよ!!」
ギルドラードの言葉に、マーガスは命いっぱい顔をひきつらせた。
ロミロアもまた、同じ顔をしていた。
「…マーガス、そうだったのか?」
「それは気づかなかったわ…。」
しばしの静寂の後、王と王妃がポツリとつぶやいた。
「そんなわけないでしょう!おぞましい!」
マーガスの大きな声に、ロミロアはピクリと眉を吊り上げる。
「おぞましいって何ですか。」
「おぞましいですよ!何を好んでこんなケツの青い女と…僕には生涯愛を誓った亡き妻がいるんです!」
「僕に遠慮なんてしなくていい!」
ギルドラードは譲らなかった。
「僕はロミロアが幸せになれるならそれでいいから!それをそばで見れるならそれでいいって決めたんだ!相手がマーガスなら、僕だって…安心だし…。」
そういいながらグスグスとギルドラードは涙した。
「だから、僕は、身を引いてっ、俺がいわないと、王家との婚約、は、ロミロアからは解消できないし、」
(もしかして…)
初めて見るギルドラードの泣き顔を見ながら、ロミロアは思う。
(…なにやら壮大な勘違いが、発生していたのかしら…?)
「あー、そっかそっか、うん、わかった。子供なりに考えてたのね。」
ぽんぽん、とギルドラードの頭を優しくなでながら、ナーニャが言う。ひざまずき、ギルドラードの目線に合わせて、安心させるように、いつものにっかり笑顔で。
「じゃあ、とりあえず、この書類にサインしようか?」
婚約破棄書を差し出した。
「そんなこと言って隣国に連れていくつもりだろーが!絶対無理!」
「ち、バレたか。」
「ロミロアを遠くに連れていくなんて、絶対に許さない!絶対にサインなんかしない!」
(あらあら、おやおや…)
当然、ギルドラードがサインをしなければ、婚約破棄は成立しないわけで…。
大人たちが盛大にクエッションマークを頭に浮かべていたころ、無邪気なシャリーンがつぶやいた。
「でも、ギル様。それにサインしないと、私と婚約できませんよ?」
ギルドラードは、涙ぐんですっかり疲れた様子で、ぼんやりシャリーンを見ると、
「なんで僕が君と婚約しなきゃいけないの…?もうやだよ、どーなってるんだよぉ。」
豪快に涙した。
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